5章 不穏な影と、忘れていた記憶

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「紬ちゃんがごんごろのことで話したいことがあるって言ってます。聞いてもらえませんか?」  中川のじいさんが細い目を細くして笑み崩れた。 「紬ちゃん、どうしたかな? ごんごろのことで、じいじに言いたいことでもあるのかな?」  紬を気にしているのは、まめきちのおばちゃんだけじゃない。この地域で、中川のじいさんもそして権五郎神社の真純さんたちも、紬のことを気にかけているのがわかる。  なんだか、少し紬がうらやましい。  でも紬はきゅっと唇を引き結んでいる。 「あ、あの子ー」と未涼さんが驚いた声を出した。 「前にごんごろ探しをしてる子いるって言ったじゃないですかー。その子ですー」  それを聞いて、おっさんが紬から女子高生に目を向けた。 「ごんごろを探してた? 君1人で?」 「はじめまして、伊佐沢といいます。私のことより、先に紬ちゃんの話を聞いてもらえませんか。ほら紬ちゃん、話そう?」  伊佐沢と名乗った例の女の子が隣に身をかがめて紬の顔をのぞきこむようにした。それでも頑なに全身をこわばらせているようだった。 「じいじにも話せんのかのう?」  中川のじいさんが淋しげにつぶやいた。 「紬、どうした。誰もお前んこと責めねえぞ」  おっさんが後ろの方から大きな声を出した。  ただ地面を見つめていた紬の目が動いて、おっさんの存在をとらえたようだった。それからその目が手前にいる慧を見た。  その瞬間、険しくなった。  なんだよ、なんでオレばっか目の敵にされてんの?  反射的に口の端にのぼりかけた文句を飲みこんだ。例の女の子が牽制するようにきつい視線を送ってきたからだ。仕方なく口の奥で噛みつぶす。  紬は濃い眉の下の目でもう一度おっさんを見て、それからにこにこしている中川のじいさんを見て、真純さんを見て、あっさりその手前にいる慧を無視して隣の女子高生を見上げた。  今回のごんごろ探しが終わったら二度と、絶対に、こっちからは関わるもんか。 「ごんごろを見つけるためだよ。大丈夫、お姉ちゃんも一緒に怒られてあげるから。2人なら怖くないでしょ?」  紬が小さくうなずいた。 「お祭りがあった日に、変な人いた」 「変な人?」 「お祭りの服着た男が、あの家の後ろっ側にいた」 「お祭りの服だって?」 「どんな服か、それはヒントになりますね」 「家ってあれかな、あの建物のことー?」  宮司の吉水さんや真純さん、未凉さんも含めて、口々になんのことかと声があがった。その勢いに紬がさっと女子高生の体の影に身を寄せた。 「あの、まずは聞いてあげてください」  たいして大きな声を出してもいないのに、その声はよく通った。オレ以外はたいがい、いい年齢の大人ばかりなのに、そのみんなが黙った。  でもそれよりも慧は、目の前で紬に「大丈夫」となだめているその子を見つめた。  聞き覚えがあるその声。  まさかと思う。  だってあの子は小学生の時に引っ越してしまったはずで、しばらくらやりとりしていたメールとかも途中で届かなくなった。  向こうがその気ならとムッとした感情がよみがえった。  見つめる視線を気づいた彼女が、慧を見つめ返した。その眼差しはまっすぐで、わずかに厳しい。 ――はじめから、彼女は、オレに気づいてた。  理音。  そう呼んで仲良しだったあの子の顔が、少し離れた場所に立つ彼女に重なる。  いっきに動揺した。  なんで思い出さなかった。面影を残しているというのに。  紬のことも、ごんごろ探しのことも吹っ飛びそうな衝撃とともにいろんな思い出や記憶がよみがえってきた。初めて理音が家にやってきた時のこと。史乃さんの家で力餅を食べては「おいしいね」と満面の笑みを浮かべていたこと。大喧嘩をして2人で大泣きしながらそれぞれの母親にあっちが悪いと訴えたこと。  引っ越してしまうと知った時、家で母親に泣きついたこと。それから一生懸命慣れない手紙を書いて渡したこと。江ノ電の電車で藤沢駅まで一緒に乗って見送ったこと。  小学生にあがっても続いたメールが、1年も経たないうちに届かなくなったこと。そのショックが大きくて二度とメールを出さなくなったこと(届かないとわかっていたし)。  理音を見つめていると、ふと視線を感じた。  ほかのみんなが慧を見ていた。  なかでも、おっさんのにやつく顔が一番腹立たしい。 「な、なんだよ!」  顔から火を吹きそうになるほど、熱くなるのが自分でもわかった。たぶん理音を見ていたのを、見られていたのだ。あらぬ誤解をされていそうだ。断じておっさんが思うような感情なんかじゃない。そう叫びたいのに、そう叫べば墓穴を掘るだけだとわかってるから逃げ出したくなった。 「ちゃんと紬の話きいてたかあ?」  その四角いにやけ顔にぶつけるものを探しつつ、「ちょっと考えごとしてたんだよ」と文句をぶつけた。  でも声が小さくなったのは仕方ないと思う。  紬の話は、こうだ。  例大祭の9月18日。1人ではダメだと言われていたのに、こっそりお母さん(いまだに信じられないけど、あの美人な)に内緒で権五郎神社に来てしまった。どうしてもごんごろに会いたかったからだ。  でもその日は当然、たくさんの見知らぬ人が出入りしていた。圧倒的に男性ばかりで、怖くても、ごんごろの方が心配だった。  知らない相手でも人懐こい猫だけれど、さすがに大勢の大人、しかも男の人が多い状況は紬でも怖い。それならば、ごんごろはなおさらのことだろう。  ごんごろを探しに、境内の奥へ行こうと思った。落ち着きたいごんごろが向かう先はたいてい、紬にはわかっていたからだ。  神輿庫か、アジサイの小径の奥。  それか本当に嫌な時は山の上に行ってしまう時だってある。山の上に行ってしまえば、のぼってこれない人間に煩わされることもない。  むしろ山の上に行ってくれていればいいな。  でもごんごろに会ってからおうちに帰りたいな。  そんな小さな葛藤を抱えて、紬は大人を避けて遠回りをしながら歩いていった。  神様がいるおうち(紬にとって拝殿は神様のおうちということらしい)の前では、棒と縄で四角く区切られた場所がつくられ、きれいな衣装を着た人が踊りみたいなものを披露していた。  いろんな大人がそれをじっと見つめていた。  その舞台みたいな場所の向こう、大きくて太い夫婦銀杏がある広場にいる大人たちは踊りみたいなものを見つつも忙しそうに動いていた。  そっちの方角にもアジサイの小径はあるけれど、あまりに人が集まっているから、きっとごんごろはいない。紬はそう思って、人ごみを避けて神輿庫の方へ向かった。  神輿庫に、神輿はすでにない。  いつも閉められているガラスの扉も開いていて、中は誰でものぞけるようになっていた。  いつもなら誰も入ってこられないから、ごんごろは寝床にしているのだ。でも開いていたら、きっと落ち着かないからいないだろう。さっと中をのぞいて確認してから、仕方なくその裏手のアジサイの小径の方へと向かった。  やっぱり山の上に行ってしまったかもしれない。  紬は神輿庫の建物をぐるりと回った。  そして建物の裏に足を踏み入れた時だった。
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