5章 不穏な影と、忘れていた記憶

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 面掛行列は、9月18日に行われる例大祭の中でも特に人の注目を浴びる祭りだった。本来は権五郎神社で祀られる神様をいただく神輿こそが行列の中心だ。  でもいつのまにか、その面の強い個性が一人歩きして、面掛行列だけをとりあげて「奇祭」という人たちも出てきた。面の祖型は昔の中国やインドからの流れを汲むと、見た目の異様な感じからもわかる。だからこそ、18日は平日でも面掛行列を目当てに訪れる観光客は多い。  氏子にとって、宝物庫に祭礼の日以外は展示されている十人衆の10種の面を被って通りを神輿とともに練り歩くのは、だから年に一度の華やかな晴れ舞台でもある。世襲的な役割であり、そしてその役割を担える氏子は、氏子たちの中でもある意味特別、花形だった。  でもその十人衆の中にごんごろを連れ去った人物がいるかもしれない。  中川のじいさんのショックは並大抵のものではなかった。氏子の中にいたとしても仕方ない。でもできるなら、という気持ちもあったのだろう。十人衆を務める氏子は、氏子総代の中川のじいさんにとっては、町内会、氏子たちをまとめあげる幹部ともいえる存在だからだ。  あまりのショックで言葉すら出なかった中川のじいさんをいったん休ませようと、宮司の吉水さんをはじめ、おっさんたちは紬も連れて社務所へと入っていった。  残されたのは、オレと理音。  もしかしたら、わざとじゃないかと勘ぐりたくなるくらい境内にも人気は少なくなっていた。  でも再会したといって、いまさらどうする。  黙っていると、理音が小さく笑うのが聞こえた。 「……慧くんのそのくせ、変わんないね」 「くせ?」  思わず聞き返すと、理音は少し首を傾げるようにして「それ」と言った。  なんだかわからない。自分の体を見たり触ってみたりした。わからずに理音を見ると、理音はパーカーのポケットに手を入れたまま笑った。 「グミ。考えごとしてたり不安な時、グミ噛むのとまらないよね」  言われて、口の中を意識した。  噛んでも噛み切れないくらいに強いグミが口の中でぐにぐにと慧の歯と戦っていた。そしてたぶん、ポケットの中のグミの袋にはきっともうあまり残っていないだろう。  前におっさんとインセンティブの話をした時、グミ1年分という案もあった。今考えると、けっこう現実的にいい路線だったような気もする。 「……で、何考えてるの? それともなにか不安?」 「別に何も」 「ふうん」と、少し楽しそうな理音になんでかおもしろくない気持ちが沸き上がった。 「伊佐沢って名字だったっけ?」  そっけなく言うと、理音は軽く頭を振った。 「前は安堂だよ。ママが再婚したから今は伊佐沢」  ふうん、と今度はこっちが気のない返事をした。 「こっちに住んでもないのに、なんでわざわざごんごろのこと探してんの?」  そう聞くと、理音は少し黙ってから小さくため息をついた。 「……慧くんってさ、私のこと、全然覚えてなかったでしょ?」  思わず図星をさされて、視線が泳いでしまった。忘れていた、というより忘れてしまいたかった、といったほうが正しい。  なにせ、幼い頃に理音を守ると決めたくらいだったのに、引っ越した彼女はしばらくして連絡を絶ったからだ。守る前に振られてもいれば、忘れてしまいたい記憶にもなる。  そんな複雑な胸の内を明かすわけにもいかず。 「否定しないんだ。まあそれはいいんだけど」  いいなら聞かないでよ、と文句も言いたくなる。 「オレが理音のことを覚えてなかったこととごんごろ探し、関係あるわけ?」 「あるの。おおいにある」  断言されて戸惑う。ただの成り行きでごんごろ探し(正確にはおっさん)に振り回される羽目になったけど、慧の記憶とごんごろ探しが関係ある理由なんて、これっぽっちも思い当たらない。 「……全然わかんないんだけど」 「だよね。わかってたけど、はっきり言われるとちょっと傷つく」 「……ごめん」  寂しそうな笑みを浮かべられて、なにに謝ればいいのかわからないけど、つい謝った。 「ごんごろって、8年前にここに住み着いたんだよね。でも本当は、もっとその前、10年前、慧くんと私とごんごろ、2人と1匹で遊んだことあったんだよ」 「……え?」 「ごんごろって、前はもっと縄張り範囲が広かったの。神社が中心っていうよりは、いろんな家でご飯もらってたし、その家ごとにいろんな呼び方されてた。で、その一つがうちだったんだ。中には自分のうちが飼ってる猫だなんて思ってるお宅もあったんじゃないかな」 「え、ごんごろと遊んでたっけ……」  まったく覚えがなかった。 「だから、名前だってごんごろなんて呼んでなかったから。ヤタロー。略してヤタって。それも覚えてない?」 「ヤタロー……ヤタ……ヤタさん」  なんとなく出てきた「ヤタさん」という言い方に、理音の顔が嬉しそうになった。 「ヤタさん?」改めて口にすると、一気に記憶がよみがえってきた。  まだ若くて、体中が生命力に満ちあふれて張っているようなオスの猫。普通の猫よりも倍近く大きいんじゃないかという大柄な体格の上に、額がハチワレしていて、でも右目の上に矢の形をした傷があったから、ヤタロー。呼びにくくてヤタとなり、でもその辺り一帯を仕切るボス猫的存在の貫禄ゆえに、さん付けするようになった。ほかの家では、ハチって呼ばれていたりもした。ボス猫なのに、人間を怖がることもなくて、むしろ撫でられるのが大好きで、よく理音は道端で見かけると「ヤタさん」と嬉しそうに寄っていった。  でも慧は、ヤタさんが苦手だった。 「慧くん、あんまり近づかなかったんだよね。たまに、ほんのちょびっと触るくらい。それでもヤタさんは慧くんに撫でられると嬉しそうにしてた。私もヤタさん大好きだったから、慧くんがヤタさんと遊んでくれるの、すごく嬉しかった」  言われてようやく思い出したくらいだ。正直、10年以上も前で、しかも目の前の理音も思い出すのに時間がかかったくらいだ。ましてや苦手な猫など覚えているはずもない。 「それが……ごんごろなの?」 「そう。だから、ごんごろがいなくなったって噂で聞いて、いてもたってもいられなかった。慧くんがごんごろ探しをしてるって知った時、慧くんも昔のこと覚えてたって嬉しかったけど、なんだか事情が違うって知ったらちょっとムカついちゃって。もっと早くに言おうと思ってたけど、なんか私ばかり覚えてるの、すごく癪じゃない」  少し拗ねた響きにドキリとした。香坂さんのようなかわいい女子に、普通の男子高校生としてときめく感情はあるけれど、でもだからといってつきあいたいとか、そういう気持ちになることはない。アイドル相手に本気にならないのと同じだ。  でも理音は幼馴染だ。もし初恋は、と聞かれたら、理音だと言えるくらいには、あの頃の慧にとって彼女の存在は大事だった。  その理音が目の前にいることに、今になって実感が湧いてきた。 「これで私がここにいる理由、わかった?」 「まあわかったけど……紬とはどうして知り合ったわけ?」 「……わかんない?」  また少し淋しそうな顔をされて言葉を探していると、理音は「あの子は私と似てたから」とだけつぶやいた。その真意を聞こうとした時、社務所の玄関の方が騒がしくなった。
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