6章 面掛十人衆(一部)の男たち

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 筒井孝太郎。  達筆な字で書かれた木の表札が味わい深い。古谷家からほど遠くない路地のどん詰まり、古い平屋建ての木造家屋があった。L字型をして、芝生と柿や桜の木が植えられた庭に面した縁台もあり、昔ながらの民家だ。ちょうど軒先には洗濯物が干してあり、庭に盆栽が並んでいる。そこに高齢の男性が剪定バサミで盆栽に手を入れているところだった。 「筒井さん、ごめんください。支倉と申しますが!」  おっさんはドアホンを介さずに、平屋を取り囲む低い板塀の上から声を張り上げた。  びくっと震えた男性は顔を向けると、「びっくりさすな!」と怒鳴り返してきた。  今度は慧とおっさんがびくっとして身をこわばらせていると、筒井のじいさんは剪定バサミを置いて「ちょっと待っとれ!」とまたよく通る大きな声をあげて、縁台から家の中へとあがりこんでしまった。 「剪定してる時に驚かせたら、変なとこ切っちゃうんじゃないの?」  怒鳴られたことへのショックと不安で思わずおっさんに言うと、おっさんはいつになく「……だよな」と素直に落ちこんでいた。 「盆栽はなあ……繊細なのになあ……。ちょっと焦っちまったなあ……」  後悔しているらしいおっさんと玄関の方に回ると、ちょうどガラスのはまった玄関ドアがからからと引き開けられたところだった。厳しい顔つきは人生の荒波ばかりを刻んでいるようで、怖い。 「まったく驚かせおって。蓮次郎さんから聞いとる。まあとりあえずあがんなさい」 「すみません。お邪魔します」  頭を下げて三和土へとあがった。 「今ちょっと家内が留守にしておるから、たいしたもんも出せんが」  最初に怒鳴られはしたものの、別に怒っているわけではなかったらしい。筒井のじいさんは和室に慧とおっさんを通して、待つように言い残すと部屋を出ていった。  戻ってきた筒井のじいさんの手には見事な盆があった。 「鎌倉彫ですね。いいツヤです」  思わずおっさんが身を乗り出させた。 「ほお、わかるか」  筒井のじいさんの潮に当たり続けたかのようなしわっぽい顔がさらにしわの数を多くした。 「だいぶ使いこまれていらっしゃる。でも丁寧に扱われてますねえ、彫りの深さがより際立ってとても味が出てます」 「そうそう。若いの、よくわかっておるな」 「ありがとうございます。鎌倉彫は、ほかの彫刻にはないおおらかさ大胆さがある。それが好きで」  おっさんの言葉に、筒井のじいさんがうんうんとうなずきながら、盆の上の湯呑茶碗を慧とおっさんの前に置いた。  あっという間に初対面の人間、しかも厳しそうな筒井のじいさんから穏やかさを引き出していて、慧は内心舌を巻いていた。  本当に、このおっさんは何者なんだろう。  女に向き合うとヤバイ人になるし、たいてい子どもっぽいし、うるさい。でもこういうちょっとした人との距離のとり方や、その懐にうまく入りこんでしまえるのは天性のものなんだろうと思う。  慧が真似したいと思ってしようとしても、絶対できない。 「鎌倉彫はいい。そっちの少年には、この渋さはなかなか理解しにくいかもしれんが、この禅味は時代によっても微妙に違っておって、鎌倉時代のもんを見ると彫りにこめられた気風が今とは全然違う。仏教への信心の現れといっても過言じゃなかろう」 「……仏教っすか?」 「そうなんだよ。もともと禅宗のお寺さんに仏具だって伝わってきたのがはじまりだからな」 「そう。禅宗寺院の……」と言って、筒井のじいさんはふと思い出したようにおっさんを見た。 「そうか、お前さんが、極楽寺の野狐か」 「ご存知でしたか。改めて、支倉実篤と申します。こちら、いろいろと手伝ってくれる宮島慧です」 「いやいや、改めて筒井孝太郎です。蓮次郎さんからはごんごろ探しのことで、2人行くとは聞いておったが、まさか極楽寺の野狐が関わっていようとは」  筒井のじいさんが感心するような様子を見せるのにはもう驚かなかった。  まめきちのおばちゃんも、アデールの御園生さんも、そしてきっとほかにもたくさん。なにより、おっさんと知り合うきっかけになった史乃さんの家での出来事。  オレの知らないおっさんは、極楽寺の野狐という看板で走り回るおっさんは、たぶん、もっとすごい人なんだろうという気がする。  ただし、女に絡むこと、という一点を除いては。 「さてさて時間もあるまいしな。何を答えればいいかね?」 「では早速おうかがいします」と、おっさんは正男さんに聞いたことと同じことを筒井のじいさんにも確認した。でも筒井のじいさんもまた、正男さんと同じような答えだった。 「それに、当日警備の人間がいないわけじゃない。まあ氏子の人間がその役割を担うから、正規の警備員には及ばんかもしれんが、それでもずっと毎年やってきている。不審な人物がいればすぐにわかるだろう」  筒井のじいさんが話を終えると、おっさんは「ありがとうございます」と頭を下げた。  ここでも新しい収穫はなさそうだと思った時だった。 「そういえば」とおっさんが座を辞しかけた時に思いついたように口にした。 「十人衆をされる氏子さんはさぞかし大変でしょうね。古谷正男さんもおっしゃっていましたが、もう忙しくて仕方ないと。面を被ったまま動いたりされるのはさぞ大変だったでしょう」 「面を外してこんなしわくちゃの顔を晒すわけにはいかんとは思うんだが、やっぱり視界がとても悪くてな。目はこんな小さい丸い穴しかない」  筒井のじいさんはそう言って親指と人差し指で小さな1センチほどの隙間をつくって笑った。 「じゃあ皆さん、たいてい外しておられる?」 「まあ行列がはじまる時間は決まってるからな。拝殿の右側に末社の石上神社があるだろう? その前が待機場所みたいになっておって、写真撮影をしたり準備をしたりしてるんだがね。たいていはそこに詰めていたりするもんだ。面をつけたり外したりしながら」 「そうですか、じゃあ、十人衆はそこに揃っていたんですね」 「揃っていた、と思うがねえ……。そりゃ、まあずっといるわけじゃないもんもおる。安堂の徹んとこなんかはおふくろさんの佐和さんを介護しておるからね、様子見で頻繁に出入りしないとならない事情をもつもんだっているわな」  雑談のような話で終えると、 「これも何かの御縁です。どんな雑用でも申し付けていただければ」とおっさんはまた名刺をとりだして渡していた。
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