6章 面掛十人衆(一部)の男たち

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 細田照彦。  店をやっているらしい、という話ではあったものの、そこは予想を超えた店だった。 「和菓子 SASARA」。  その看板がけられた店の周りにはトクサなどの和の植物が植えられ、白を基調とした女性が好みそうな洗練されたガラス張りの箱のような建物だ。鎌倉、しかも中心街からは離れた極楽寺や長谷に近いエリアでは見かけない、どことなく高級な雰囲気を漂わせる店構えだった。国道からは奥まった路地にあり、そこを知って目指さないとたどりつけないような、いわば隠れ家的な雰囲気で、店の前にはすでに数組の女性客がいた。 「わ、きれい……!」  理音の声が弾んで、それから紬も同じように顔を輝かせている。 「和菓子、って店じゃねえな」  おっさんは眉をひそめつつ、風に揺れる薄水色の暖簾をくぐろうとした。その瞬間、入り口付近で待機していたらしい女性スタッフがおっさんをやんわりと止めた。 「お客様。申し訳ございません、当店は予約制となっておりまして、整理券をお持ちでしょうか?」 「せ、整理券?」  和菓子を売る店で、と言わんばかりの大声に、周りの女性客が訝しげにおっさんを見た。 「あ、あの、すみません。お客として来たんじゃないんです」  慌てておっさんを押しのけて、白いシャツに薄水色のハーフエプロンをしたスタッフの女性の前に出た。 「ええと、細田照彦さんに用がありまして」 「失礼いたしました。細田ですね、何かお約束でしょうか?」 「いえ、それが……」  アポがないと会えないのか。  これまでの氏子たちの雰囲気からもっと気軽に考えていたせいか少し動揺してしまう。 「わかりました、大丈夫ですよ、お待ちください」  慧の戸惑いを見てとったスタッフの女性がにっこりと笑みを絶やさずにうなずいて、暖簾をくぐって店の奥へと入っていった。 「すごくかわいい……!」  理音と紬は本来の目的を忘れて、ガラス越しのショーケースの中に、まるでどっかの有名パティシエが作っていそうなケーキよろしく和菓子が1種1個ずつ陳列しているのに魅入っている。  オレは理音の嬉しそうな顔につられてショーケースをのぞきこんだ。  まるで芸術作品みたいに美しい色合いの和菓子が並んでいる。 「これ、本当に和菓子なの?」  慧がイメージする和菓子はもっと地味だ。羊羹とかおまんじゅうとかは茶色だし、ほかの色といってももう少し赤や白、そんな単色の色で構成されていた気がする。こんなふうに鮮やかでさまざまな色をグラデーションのように織り交ぜた和菓子なんて見たことなかった。 「そう、練りきりっていって、餡に色を混ぜて、それで季節ごとにいろんな表現をするんだよ。でもこんなに淡い色彩のきれいなもの、初めて見た……!」  理音はもう目の前のショーケースに夢中だ。  女ってこういうもの、本当に好きだよな。  そう内心でつぶやきながらも、なんとなく理音が喜んでいる顔を見るのは悪くない。  そう思っていると、背後からきゃあって黄色い笑い声が聞こえてきた。 「ええ、本当に? アデールで弾いてるんですかあ?」 「私たち、さっきアデールに行ってきたばっかりなんです。すっごく素敵なお店で」 「そうそう! ジャズの生ライブもあるって知ったばかりだったから、まさか、そこの専属ピアニストの方に会えるなんて」  まさか、と振り返った。  案の定、おっさんは並ぶ数組の女性客のうち、女子大生らしき3人組と楽しげに話をしている。 ……専属ピアニストなんて肩書でナンパしたな、あいつ。  呆れを通り越して心が冷える。その凍りつく視線を感じてないわけがないだろうに、おっさんは御園生さんのイケメンぶりさえ自分の手柄と言わんばかりに吹いている。 「いいな、こういうの彼氏と一緒に買いに来たりしたい」 「……彼氏?」  理音には、彼氏、がいる、らしい?  今度は、慧の方が凍りついた。  胸の奥にもやもやしたものが広がって、ものすごく動揺している自分がいる。なんで焦っているんだろう。  慧は思わずポケットに手をやり、すでにグミがなくなっているのに気づかないまま探った。 「あの、さ。理音、彼氏って……」  聞こうとした時、「お客様」と先ほどの女性スタッフが戻ってきた。  おっさんはいまだ取り巻かれていた女子大生3人組にカッコつけながらこっちへと歩いてくる。動揺を鎮めようとしていると、おっさんがオレを見た。 「どうした、慧。なんか顔が青くねえか?」 「別に、なんも。つうかマジ、あんたって節操ないね」 「うっせえ。お前みてえな奴にオレの気持ちはわからねえんだよ」  なんとなく2人でぼそぼそ言い合いながら、女性スタッフの後ろをついていった。  案内されたのは店の横に伸びている、これまたトクサが整然と白い石畳の横を並ぶ小径だ。 「いちいちしゃれてんな。これ、本当に店主のセンスかね」  おっさんが疑わしげにつぶやく。  鎌倉の和菓子屋としては、かなり洗練されている。有名な鳩の形のお菓子の店も和菓子屋だけれど、だいぶ前はもっと地味な感じだった。慧がイメージする和菓子屋といえば、やっぱり力餅家なのだ。 「こちらの奥、和菓子をつくるアトリエでございます。そこに細田がおります。まだ作業中ですので、手短に、とのことです。どうぞ」  和菓子の店で、アトリエ、なんて言うのか。変なところで感心しながら、目の前の建物を見た。  ガラス張りの正方形に近い白い箱のごとき建物はやはり洗練されていて、その中がアトリエという、つまり厨房なんだろう。さきほどの店のスタッフとは違う出立の職人らしき男性や女性が黙々と手を動かしている。  その中の1人、高齢のふくよかな男性が周りに指示を出しているのがわかった。その男性はマスクを取りながら外へとガラス戸を開けて出てきた。 「細田でございますが、権五郎さんの猫のこととか?」  挨拶も抜きにと言わんばかりに、細田照彦は切り出した。  柔らかそうで丸みを帯びた体型とは印象が違って、かなりせっかちのようだ。 「わざわざこちらに来てもらって申し訳ないですが、見ての通り店が忙しくて、面掛も祭りも最低限の関わりにとどめさせてもらってるんですよ。ごんごろのこともたいして助けになるような情報なんて、私でお役に立てるかどうか。あ、いや、立ちたいんですけれどもね」  先にそう言われると聞き出しにくい。  あまり協力的ではないんだな、という印象だった。 「お忙しいところ、申し訳ありません。病気もされたと蓮次郎さんから聞いておりましたが、お体の方は?」 「あ、ああ。まあそれはもう職業病みたいなものですから。いまさらどうしたもこうしたもないんですけどね。心配をかけてしまって蓮次郎さんには申し訳ないんですけどね、もう2ヶ月先も予約でいっぱいな状況で、なかなか顔を出すのも、もう年齢も年齢で体がきついんですよ。娘が結婚でもしてくれりゃ多少は楽できるかもしれませんけども」 「わかりました。じゃあごんごろのことで、何かお気づきになるようなこともなかったですかね?」 「こういう食べ物商売をしていますとね、動物はだいたい避けてしまいます。ましてや和菓子なんて、この手で練りますからね。嫌がるお客さんもいるでしょう。いくらこっちが気を遣ってても、動物はね、好き嫌いとは別に毛も匂いもありますからね。あぁ、だからってごんごろはかわいいと思いますよ。うちだって、練り切りの定番菓子にはごんごろを模した福猫もありますしね。見てる分には、ここらにお客さんがおいでになるきっかけにもなっていますしね、かわいいと思います。でも、あの例大祭の日に、ごんごろを見てる余裕なんてありゃしませんからね。ええ、はい。本当に力になれなくて申し訳ないんですけどね」  そこまで早口でまくしたてられて、慧と理音は呆気に取られていた。なにせ、細田さんはあまりこっちを見てもいない。常に視線はどこかあっちを見たりこっちを見たり、まるで話しかけられるのを避けているみたいだ。  怪しい、といえば怪しい。挙動不審にさえ見えた。  そんな中でも唯一、紬だけは通常運転というか、大人たち(紬にとってオレも理音も大人の部類ということにしておく)の事情なんて関係ないんだろう。ガラスの向こうの練り切りを作っている様子をガラスに貼り付いて見つめている。  そしておっさんは。 「わかりました。お忙しいところありがとうございます。……時に、つかぬことをお伺いしますけども」 「なんでしょうかね?」  細田さんは背後の厨房、いや、アトリエを何度も振り返りながら、「あぁ、そんな手つきじゃ」とか「あれじゃ店に置けない」とかつぶやいている。戻りたがっている雰囲気を隠しもしない。 「氏子さんの仲は良いんでしょうか?」 「……は?」  細田さんがその時になって、ようやくおっさんを正面から捉えた。  おっさんは穏やかに笑みを浮かべて、スキンヘッドの頭をつるりと撫でた。 「いや……なんていうかですね、こうお忙しいと氏子の仕事もご負担でしょう? さきほど最低限とおっしゃっていましたが、氏子さんの中には分担の軽重があればご不満に思われる方もいたりしないのかな、と思いまして」 「……いや、まあ私ももっと深く関わりたいですよ」  細田さんは困ったように何度も目を瞬かせながら、話を続けた。 「でも、まずは生活が大事でしょう? それに、これだけのお客さんが待っておられる。そこは蓮次郎さんや氏子の皆さん、個人の事情をそれなりに汲んでいただいてますからね。こういう時は持ちつ持たれつですしね。  むしろ私より、そこの道を出たところの徹んところはもっと大変ですよ。佐和さんが脳溢血で倒れられてから、あ、佐和さんというのは、徹のお母さんですけどね、もう慣れない介護と漁の仕事とで、でさらに氏子として例大祭だその準備だといろいろ、もう見てられませんよ。  所帯でも持ってりゃまだ違ったかもしれませんけどね。だから徹が一番、まあ負担が軽いといえば軽い、ですかね。だからって仲がどうのなんて話にはなりませんよ。徹自身が腰の低い、寡黙な男ですしね。もう55にもなるというのに、なんで嫁のきてがなかったんだか。  まあ、そんな感じで私も含め氏子連中はそれわかってくれてますからね。そりゃ、全員とはいわないですが、面掛行列があるような、こういう地域の結束ってもんは、強いもんです。私はそう思ってますけどね」  基本、話すことは嫌いじゃないんだろう。でもまくしたてるような早口に、おっさんも口を挟める隙はなかった。  そしてそれだけ言うと満足したのか、「もう大丈夫ですね、ほかになにかございますかね?」と言った。 「十分です、ありがとうございます」とおっさんは頭を下げ、慧や理音もそれにならった。  挨拶もそこそこに細田さんはせかせかとアトリエへ飛びこむように戻っていった。本当に忙しいのか、またガラス張りの向こうで、指示をだしたり、餡をこねたりと忙しく飛び回っている。  ああいう人から、あのきれいな和菓子が生み出される、というのが信じられなかった。  たぶん残された理音もおっさんも、同じことを思ったと思う。
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