6章 面掛十人衆(一部)の男たち

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 これからのことは、中川のじいさんが、徹さんの悪いようにならないようにする。  そう言って中川のじいさんはとりあえず徹さんとともに権五郎神社へと向かっていった。もうだいぶ遅い時間だけれど、連絡を受けた吉水さんと真純さん、未涼さんが残っているらしい。これからそこでどんな話し合いが行われるのか、慧のような高校生には想像もつかない。でも悪いことにはならないはずだ。  紬は、結局母親が迎えに来るまで佐和さんのところにいることになり、その間、留守を預かることになったのは、おっさんだった。紬の母親、と聞いただけで目の色を変えていたのだからげんきんなものだと思う。そんなふうだから、誰にも相手にされないんだろうと、口が裂けても言わないでおく。  あれから佐和さんは、また徹さんのことを徹さんとは認識できなくなった。誰かに忘れられる、というのはやっぱりやりきれないと思う。でもそれでも、徹さんはすっきりした顔をしていた。ごんごろを連れ去ったことを白状したこともあっただろう。でもなにより、誰かがそばにいてくれる、それが血のつながっていてもいなくても、誰かがその人を忘れても、その人を忘れていない誰かがいる、というそのことを思い出したからに違いない。そしてそれが母親である佐和さんにもいい影響を与えるといいな、と思う。 「なんか、いろいろあったね」  隣を歩く理音が大きく伸びをしながらぼんやりつぶやいた。結局、慧が理音を最寄りの長谷駅まで送ることになったのだ。 「すっごい疲れたけどね」 「でも慧くん、すごかったよ」 「え、なにが?」 「なんか、ポイントポイントで、鋭いところに気づいたりしてたから」 「そう、かな」 「うん。最初はあの野狐の支倉さんに引っ張られてるだけかなって思ってたけど」 「あー……まあねー……」  おっさんの変な威力、みたいなものはすごいと思う。それに最後、なんだかんだで中川のじいさんと徹さんの間の空気を柔らかくしたのも、ごんごろの落ち着く先を提示したのもおっさんだ。難しい顔をしながらじゃなくて、あっけらかんとその場を笑いに紛らわせてしまった。 「ほんと、あの人何者なんだろ」  呟くと理音が小さく笑った。 「実はなんでも見通してそうだよね、あの人」 「単なる女好きなら、もう速攻縁切ってるけどね」 「とかいいながら、たぶん慧くんはつきあってくと思うよ、あの人と。だって2人、いいコンビだと思うよ」 「えー……」と不満な声を出したけれど、そこまで嫌ではない。たぶん、あの無愛想な親父のらあめんを食わされたあの時から。そしていつのまにか、おっさんが常に「これもなにかの御縁ですから」というセリフが耳になじんでしまった時から。 「そういえばね、さっき慧くんたちが仏間で話をしてる時、佐和さんと八太郎の写真の話になったの」 「へえ、写真なんて撮ってたんだ」 「佐和さん、若い時のことはよく覚えててね。結婚したら猫を飼いたかったらしいんだけど、息子の徹さんが猫アレルギーだってわかって諦めたみたい」 「猫アレルギーはなあ……。軽ければなんとかなるとは思うけどさ」 「うん。でも無理じゃない、あれじゃあ……。だからせめて遊びにきてくれる八太郎の写真を撮ったりしてたみたいね。でね、実は徹さんに怒られるから教えてないらしいけど、布団のそばにその写真を大事に隠してるんだって。それを見せてもらったんだけど」  なぜか理音の声が弾んでいるというか興奮している。 「うん」 「八太郎なんだけど、ごんごろなの。もうそっくり。ハチワレで、目の上の矢みたいな傷も」 「――はあ」 「じゃなくて! だからね、ごんごろって、8年前に権五郎神社に住み着いたでしょ? その前はヤタさんってうちらが呼んでたみたいに、あの辺りのボス的存在だったわけでしょ?」  理音がなにに興奮しているのかわからない。 「でもその前の出自ってわからないじゃない? だからね、こう考えられると思うの。ごんごろって、八太郎の血を引いてるんじゃないかな、って。八太郎は、もともとあの辺りの外猫として飼われていたっぽいわけだし。ね、別にないことじゃないと思わない?」  そう言われて、頭の中で計算してみる。 「息子、というより、孫、かな? それかひ孫?」 「ありえなくない話でしょ?」 「確かに。隔世遺伝とか言うし」  ごんごろが八太郎の子孫だったらいいな、と思う。佐和さんにかわいがられていた猫の子孫が紬にかわいがられ、そして今になってごんごろを中心にまた人と人がつながっている。  そして慧自身も、ごんごろを中心に、いろんな人に結びついた。  野狐という古道具屋兼便利屋のおっさん。権五郎神社の人たちやじいちゃんのケンカ仲間であり氏子総代の中川のじいさん。アルバイト候補でアデールの御園生さん(あそこでのバイトを諦めてはいない)、紬、は除外したいけど、これも縁のうちだ。  そして一番は、隣を歩く、理音。  ごんごろと理音と慧で遊んだ時があった。そしてごんごろ探しを通じて、また理音と再会した。  目の前に長谷駅が見えてきた。  最近駅舎を改築してなんだかモダンになった長谷駅は、もう夜も遅いせいか、観光客はほとんどいない。 「そういや今日学校、休んで平気だったの?」 「そういう慧くんは?」 「いや、オレは別に……」 「その顔の怪我のせい?」 「別に。つうか忘れてたのに」  言いながら口の中にいれていたグミをぐにぐにと噛んだ。柿澤も、縁のうち、ということになるんだろうか。できれば切りたい縁だけれど。 「理音は?」 「私ね、成績優秀なの。だからたまにサボっても平気」 「はいはい」  肩をすくめると理音は「なんだ、せっかくあげようと思ったのにやめよっかな」と拗ねるように言った。 「なにを?」  理音が背負っていたリュックから紙袋を取りだした。昼間、和菓子SASARAでもらった上生菓子のだ。 「これはやっぱり慧くんの分だから」 「今あげないとか言わなかった?」 「いいの、今日の記念。私は茜色のにするから、慧くんはモミジの方ね」  理音が茜色のをとりだし、そしてもう片方を慧に差し出した。それから幾重もの花びらが刻まれたような茜色のを手にして、「やっぱりかわいいね」と慧を見ながら笑った。 ……いや、理音の方がかわいいけどね。  そう思ってしまうのが悔しく照れくさくて視線をそらした時、改札からすぐ見えるホームから「鎌倉行きが参ります」とアナウンスが流れた。 「あ、乗らないと」  長谷駅は、藤沢行きと鎌倉行きの線路の2線があり、ちょうどそれぞれの行き先の電車が待ち合わせするところだ。すでに藤沢行きの緑の電車は鎌倉行きの電車が来るのを待って止まっていた。鎌倉行きの電車も、着いたらすぐに発車となるだろう。 「じゃあ、慧くん」  理音が慌ててオレから離れた。 「あ、理音」  連絡先教えて。  そう言うよりも早く、理音が「そういえば」と振り返った。そして楽しげに笑いながら「私、彼氏いないよ」とささやくように言って身を翻した。 「え、あ? え?」 「じゃ、またね!」  改札の中に軽やかに飛びこんでから、もう一度慧に手を振ると、ゆっくり入ってきた緑の電車の方に走っていった。そしてあっという間に電車の扉の中に吸いこまれた理音は、電車のドアの内側から慧の方を向いて、胸の辺りで小さく手を振った。  行き場を失った言葉をもてあましながら、それに手を振り返した。  理音を乗せた江ノ電が、ゆっくりと動き出し、そしてスピードをあげて長谷駅を出ていった。
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