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エピローグ
なんでここにいるんだろう。
オレも、そして、理音もだ。
せめて会うならもう少し七里ガ浜の海とか、江ノ島とか、でなければ鎌倉のカフェとかでもいい。せっかくならカフェ&バー アデールに誘うべきだったかもしれない。
そう思うのに、理音は目の前で、慧のことを忘れたように権五郎神社の石段で寝そべるごんごろを撫でている。
そしてなんで? と首をもう一度傾げた。
「聞いてるか、慧」
おっさんがごんごろを挟んだ理音の反対側に座って慧をみあげている。なんでおっさんとここにいるんだろう。
「……聞いてた」
「その顔は聞いてねえだろ」
「聞いてたっつうの」
慧も理音もおっさんに呼ばれたのだ。といっても、理音に連絡したのはもちろん慧だ。
おっさんに聞かれたものの、理音の連絡先を教えるなんてとんでもない。
「だからな、いちおうごんごろは平日を中心に週4日をこっちで、残り3日を佐和さんとこで過ごすってことだ」
最近まで町のおめでたいニュースとしてネットやテレビで情報が流れていたせいか、おっさんから聞かなくてもその程度のことは把握していた。
ーー権五郎神社の占い猫ごんごろ帰る。
なんて見出しがいろんな媒体で踊り、その結果、いつになく権五郎神社は観光客で賑わい、それに応じて宮司の吉水さんや真純さん、未涼さんたちも対応に忙しそうにしていた。そして関心はもちろん、ごんごろはケガとか病気とかないのか、帰ってくるまでどうしていたのか、だ。
それに丁寧に応えていたのは、宮司の吉水さんだった。
「猫ですからね、ふらりといなくなる時もなかったわけじゃないんですよ。今回はたまたま長かったようです。昨日出勤したら前と変わらず社務所の専用寝床で眠ってました。
ええ、そりゃもちろん驚きましたけど、嬉しいですよ。もうおじいちゃんですから心配してましたしね。ただ私たち神社の人間も四六時中ごんごろを見ているわけにはいかないので、これから週の半分くらいは氏子さんのところで面倒を見ていただこうかと思っています」
穏やかに営業スマイルを貼り付けた吉水さんのそれはだいぶぎこちなかったけれど、でもマスコミも世論もほとんど「よかったですねえ」とばかりに喜んでくれていた。
そのせいか、参拝客が少ない平日にもかかわらず、遠方からニュースを見た人がひっきりなしに訪れていたのが1週間前。ようやく落ち着きつつある境内で、ごんごろはあいかわらず自分のペースでテリトリーを見回ったりそこらへんで寝ていたりする。
明日からは佐和さんのところに行くらしい。留守にすることが分かっているのか、念入りになっているように見えるのは気のせいだろうか。
慧はというと、ごんごろ探しの前とたいして変わりばえのない学校生活が続いている。
柿澤はあいかわらず絡んでくるし、香坂さんはあいかわらずかわいい。風の噂で、香坂さんがアデールに通い詰めてるということは聞いたけども、だからって御園生さんとどうこうなった話は聞かない。
唯一、変化といえば理音とSNSでよくやりとりするようになったことくらいだろうか。自宅に帰り、上生菓子の袋を開けたら中に理音の連絡先が書かれたメモもついていたからだ。あの時、飛び上がって喜んだというのに、理音の意識はごんごろに向きっぱなしだ。
「佐和さんや紬も心おきなくごんごろと過ごせていいんじゃないの。紬のお母さんも佐和さんとなら安心だろうし」
「なんだ、その含みをもたせた物言いは」
「さてね。まあ徹さんだけは、猫アレルギーであいかわらず辛いとは思うけど」
「まあな。いちおうあれから徹さんに、どうやってごんごろを連れ出したか、ちょっと聞いてみたんだけどな」
それは興味ある。
とはいえ、あんなふうに人馴れして、ぶみぶみ鳴くごんごろを見てしまうと、簡単に誰でも連れ去ってしまえそうな気もする。そういう意味でもごんごろはやっぱり神社以外でも面倒を見てもらえている方がいいのかもしれない。
「やっぱな、深夜に檻とそれを隠せるように薄手の毛布をもちこんだらしい。あとは何日も前からえさでごんごろを徹さん自身に慣れさせ、それから檻にもえさの匂いをつけたり、できるだけ警戒心を抱かせないようにしたらしい。まあいわゆる、罠猟みたいなもんだな」
「罠猟?」
「山でイノシシやシカを捕まえる時に、罠の奥にえさを置いといて、中に入った瞬間に檻の入り口が閉まるっていう」
「ごんごろは罠にかかっちゃったの?」
理音がごんごろに話しかけた。
「ごんごろはもうおじいちゃんで、えさが十分にあったからおとなしかったらしいんだが、まあ途中で暴れられても困るっていうことで、ちょっとえさに細工をしたらしい」
「細工?」
「薬」
「薬!?」
「いや、劇薬じゃなくて、ちょっとした鎮静剤みたいなものらしいが」
さすがにそれは問題では、と思ったのは理音もらしい。大顰蹙モードになった慧と理音におっさんは「まあ落ち着け」となだめた。
「ごんごろを連れ出すのに、どうしてもおとなしくしていてもらう必要があった。まあ薬をもる前から、かなりおとなしかったらしい」
「だって餌付けされてたらそうなりますよね」
「まあな。で、本当は祭りの前夜のうちに連れ出すつもりが、ほら徹さんは猫アレルギーだろ。咳がとまらなくて、もたついている間に近所の高齢者が早朝参拝にきて、それにつかまっちまったらしい。仕方なくその時は諦めて、もう一度例大祭の最中に実行したんだな」
「それって、よけい見つかりませんか?」
理音の言葉に、おっさんは頭を振った。
「いや、逆だ。徹さんはすでに祭りの衣装を着てて、しかも面も被ってた。祭りは面掛行列がはじまれば、それに注目されるだろうけど、それまで神楽だの儀式だのもあるからな。ごんごろが鳴きでもして騒ぎ出さない限りわからないだろ。長距離を移動すんならまだしも、すぐそこだしな。ほら、紬が言ってたろ。神輿庫の裏に変な人がいたって」
「それがやっぱり」
「ああ。檻の中に無事つかまってしまったごんごろがちゃんと眠っているか確認してたらしい。そんな時に紬が現れて焦ったそうだ。
紬には悪いことをしたと落ちこんでいたよ。神様が見てるなんて、まさに自分の方が景政様に見られてたはずなのにって。で、檻から眠ってるごんごろを衣装の中に隠して、母親の様子を見に行くふりして自宅に戻った」
「衣装が多少膨らんでても、人は気づかないよね、たぶん。面掛十人衆だからそういうもんか、って思い込みそうだし。それに阿亀がいるから、適当な理由とか作れそうだし。来年は妊娠姿の阿亀役をやるから練習してるとかなんとか」
「まあ、例大祭なんて、いつもと違う状況ばかりだから、面掛行列にこじつければ納得はさせられただろうな」
「……そんな簡単に……」
「お前、警戒心なさすぎじゃないの?」
慧がごんごろにそう言うと、ごんごろはうっすら目を開けて、ぶみ、と鼻を鳴らすように鳴いて顔を背けた。
なんだそのちょっと偉そうな態度は。
「その後は、折を見て檻とか毛布とか回収して」
「でも檻とか大きいでしょう? 回収するまでに見つかる心配とかなかったの?」
「ないわけじゃなかったろうな。でも神輿庫の中、正直雑然としててな」
おっさんの店兼自宅も同じだ、とは言わないで、グミをぐにぐにと噛んだ。
「毛布かぶせて隅に追いやっておけば、人はたいして注意も向けない。なにせ、神輿以外は、布をかぶったいろんなものが置いてあるところだからな。で、檻に誘導するためにいろんなとこにまいたえさは、そこらへんの生き物が食べて処分してくれるだろうと」
「なんか計画としてはだいぶ粗いような気もするけど……」
「まあうまくいっちまったからなあ。でも、徹さんも相当追い詰められていたんだろ。ごんごろにすがるほどに」
「ごんごろすごいね。人助け、いっぱいしてる」
理音がごんごろを撫でた。
すると、ごんごろは女たらしよろしく、理音の方を見上げて目を細めながら、ぶにゃぁと幸せそうに鳴いた。
「でも今の話って、誰がどこまで知ってるの?」
「神社側じゃあ宮司の吉水さん、真純さん、未凉さん。あとは蓮次郎さんと、オレらが訪ねてった氏子さん、くらいだな」
「そっか。徹さん、平気かな」
「平気じゃねえだろうな。氏子同士として一番大事にしてほしかったもんを、徹さんは信じてくれてなかったんだからな」
「でもまた気づいてくれたなら、そっからなんとかなんじゃないの?」
慧がそう言うと、おっさんと理音が驚いたように揃って見た。
「え、なに、変なこと言った?」
聞き返した時、鳥居の方から声が響いた。
「あー! ごんごろ! あれじゃない!? 帰ってきたっていう」
騒がしさに振り返ると、女子大生らしき4人くらいのグループがはしゃぐようにしてこっちを見ている。
「あのーすみません、ごんごろですよね、その子!」
「はい」と言いかけた時、おっさんが「この猫がごんごろです。権五郎神社のアイドル。そしてオレはそのマネージャーです」
思わず吹き出した。
「マネージャー!? やっぱりごんごろってすごいんだ!」
「占ってくれるって本当ですか!?」
またはじまったよ。
呆れていると、理音はおもしろがるそぶりでその場からどいて慧の方へ来た。おっさんは「どうぞどうぞ、皆さんは観光で鎌倉へ?」とさっそく親しげに話しかけている。
「まったく、女なら誰でも感半端ない」
「そうかな、でも野狐さん、話しかけたりはするけど、それ以上って感じはないけどね」
「そう? あれで?」
離れたところに退いて様子を見ていると、ごんごろを中心に撮影会がはじまっている。おっさんはカメラマンに徹していたけど、そのうちなんでか女子大生たちに混じってごんごろと写真に収まりはじめている。
ああいうのは放っておくに限る。そして痛い目を見れば目を覚ますと思う。
「理音、このあとは?」
「別に考えてないかな。慧くんが呼び出したんだよ?」
「オレもおっさんに呼び出されたの。でも終わったみたいだし、ちょっとおすすめのカフェあるんだけど」
ごくごくさりげなく誘ってみる。
「カフェ! 行きたい!」
よっしゃ、と内心ガッツポーズをする。
「アデールっていうとこなんだけど」
理音を促して境内を歩きはじめた。
「待て、待てこら、そこの不純異性交遊!」
フ、フジュン、イセイコーユー?
聞き慣れない変な言葉に振り返ると、おっさんが大きな体で境内から走ってくる。あれでけっこう機敏なのがよくわからない、と思いつつ、その勢いに思わず身構えた。
「なんだよ、話終わったじゃん。まだあんの?」
「ちげえよ! 徹さんの話はどっちかってえと世間話だ」
「はあ?」
本題じゃなかったのか。
「慧、史乃さんとこ行くぞ」
「えっ!?」
史乃さん。ばあちゃんの名前を出されて反応が少し遅れた。その隙におっさんが慧の腕をつかんだ。
「どうしても急ぎで見つけたいもんがあるんだと」
それを手伝えと?
「なんで! おっさんは仕事だろ! オレ関係ないし!」
「お前のばあさんだろうが! 孫が祖父母を大事にしないでどうすんだ」
ひきずられる。
これから理音とカフェ、があっさり目の前で崩れていく。
「待ってよ。待って、おっさん! 明日、明日は? 明日なら手伝う!」
「きょ、う、だ!」
はあああ?
さすがにでかいおっさんの力技にはかなわない。泣きそうな気分で理音を見ると、おもしろそうに笑いながら、胸のあたりで小さく手を振った。その口が、「がんばって」と動いた。
ずるずるおっさんに引きずられていく途中で、ふと視界を白い布が翻るように掠めた。
力餅家だ。
「力餅」
買ってってあげようかな。史乃さんと、じいちゃんに。
おっさんの慧をつかむ手の力が緩んだ。
「あ、野狐だー!」
ちょうどその時、星の井通りを駆けてくる小さな姿があった。
「おー、紬、帰りか」
「そう! これからおばあちゃんとこ行くの!」
そう言って、紬は明らかにオレを無視して徹さんの家の方へと走っていった。
本当に、嫌われる理由がまったくわからない。ちょっと胸が痛むけど、まあ小学生の女子なんてこの先関わり合いになる必要性もない、と思い直す。
「紬、車気つけろ!」
おっさんの声に「平気ー!」と叫び返しながら紬は徹さんの家の玄関のドアホンを押して「おばあちゃーん」と声を張りあげている。
まだごんごろは境内だ。いない日でも遊びに行くらしい。
「嫌われたもんだな」
おっさんが、ふっと鼻で笑いながら言った。
「うっせ! つうかバイト代、出んだよね? あれ、そういえば、ごんごろ探しの時のもらってなくない?」
振り返るとおっさんが慧に背を向けて歩き出している。
まさか、このままバイト代を踏み倒すつもりだったのか。
大人って、汚すぎる!
ショックで言葉を失っている隙におっさんが走り出した。
「ちょ、待てってば! おっさん! ねえ! あー、もう!」
大声で叫びながらも、あ、と気づいて力餅家に引き返した。
史乃さんもじいちゃんも、そして理音も好きな力餅。
権五郎神社の参道入り口に立つ木造の古い店構えの、素朴な餡子と餅の和菓子だ。
白い暖簾を潜り、少し歪みのあるガラスの引き戸を開けた。史乃さん家で、おっさんも食べたがるだろうけど、バイト代のことに蹴りをつけてからだ。
「いらっしゃいませ」
声をかけられて顔をあげると、三角巾をした小柄なかわいい女性がガラスケースの向こうで頭をさげた。細長い店の、古いガラスケース越しのその女性がにっこりしている。おっさん好みの、華奢で守りたくなるような。
「あ、すみません、力餅10個入りの一つください」
そう伝えて、その女性が用意している間に、入り口から外に顔を出した。
「おっさーん、力餅家の店員さん、すっごくかわいい人ー!」
叫ぶと、星の井通りをどんどん歩いていたおっさんの背中が止まった。そしてくるりとこっちを向いた。いそいそと力餅家にいる慧の方へ歩いて、いや雪駄で走ってくる。
本当にぶれない人だ。
まあ、おっさんをいいと思ってくれるような女性が現れるくらいまではつきあってもいいかもな。
なんとなくそう思いながら、店の中に声をかけた。
「すみません、この人がお支払いしますんでー」
「は? なに言って」
「中の人、すっごいかわいいよ。おっさんとお似合いなんじゃないかなあ」
おっさんの顔が一気に緩んだ。
ちょっとキモいけど。そのスキンヘッドにピアスにひげの四角顔は。
でもいつか、そのおっさんをこそ気に入ってくれる人が現れるまで、まあ、つきあってやってもいいかもしれない(けっこう長くかかりそうだけど)。
秋めく空の高さのすがすがしさに、慧は背後で「野狐の」と自己紹介なんかをしているどら声を聞きつつ、大きなあくびとともに伸びをした。
了
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