2章 権五郎神社の福猫ごんごろ失踪事件

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2章 権五郎神社の福猫ごんごろ失踪事件

「探しておりますなあ……」  空気成分ばかりの声がして顔をあげると、作務衣姿の中川のじいさんが近寄ってくるところだった。半ばスキンヘッドを茂みの中に突っこんでいたおっさんが後ずさりして立ち上がった。 「これは蓮次郎さん。方々にご面倒をおかけしています」 「なに、面倒をかけてるのはこちらの方。将棋と違って猫は動く。生き物となるとなかなか簡単にはいかんだろう」 「猫が好きそうなところを探してはいるんですがねえ……」 「いないとなるといよいよ困ったのう。ごんごろはここらの福猫。地域のもんも氏子連中もみんな心配しておって」 「そうでしょう。いや、大丈夫です。野狐が必ず見つけてみせますからご安心ください。この御縁はきっとごんごろにもつながっているはずですから」  いったいその自信はどこから来るんだろう。  服についた木の枝や葉っぱを払いながら2人の会話を聞き流していると、「すみません」と声をかけられた。  顔をあげると、カメラを肩からかけた男性とジャケット姿の女性が立っていた。 「すみません、地元の方ですか?」 「あ、まあ近くですけど」  2人が顔を見合わせてうなずきあった。 「私たちお騒がせネットニュースのものなんですが、そこの神社の占いができるという猫について」  言い終えるか否かだった。 「お引取りいただけませんかな?」  中川のじいさんが有無を言わさずその2人組をまっすぐ見ながら言った。笑みを浮かべているかのように柔和な表情だけれど、その白いひげに隠れた口元が笑っていないのは、細められた目を見れば明らかだった。 「あの、そちらのご関係者でしょうか?」 「お引取りいただきたいと申し上げた。取材をしたいのであれば、まずは神社に筋を通しなさい。ましてやその子は高校生。後々問題が起きた時に困るのは、そちらさんではないですかな?」 「いやその、筋は通しますが」  2人組もなかなか粘る。中川のじいさんの隣におっさんが立った。  個性的なコンビの異様な圧に、さすがの2人組がたじろいだ時、慧は慧で別の方角から強い視線を感じた。  たどるように周りを見回すと、権五郎神社のある方角とは反対に路地を抜けた角、中川のじいさんがこの前史乃さん家で手土産にくれた力餅家があった。その先はちょうどT字路で、そこそこ交通量の多い星の井通りがある。その交差点付近に人が立ってこっちをじっと見ていた。  遠いせいで顔までは分からないけど、女性だ。黒髪で短いスカートを履いている。制服らしい。女子高生だろうか。  なんだろうと思わず見返しても目をそらす気配がない。こっちの様子を少し気にした、という感じでもなさそうだ。その女性がいる方に体を向け直した時、「慧」と呼ばれた。  振り返ると中川のじいさんと連れ立ちながら、おっさんが手招いた。マスコミの人間らしい2人組は出直すことにしたのか、わずかに離れてこちらをちらちらうかがいながら話をしている。 「神社さんに挨拶行くぞ」  うなずいて、もう一度力餅家がある星の井通りの方を見た。  力餅家の中にでも入ったのか、もうそこには誰もいない。首を傾げていると、またおっさんに呼ばれた。 「今行くって!」  どら声で「慧」を繰り返されるのはあまり気分がよくない。つっけんどんに返事をすると案の定「さっさとしねえからだ」と怒鳴り返された。  前を行く2人の背中を少し小走りで追いかけながら、もう一度星の井通りを振り返った。  やっぱり誰もいない。もしかして力餅家の店の人が民家の軒先をのぞいたりしていたオレとおっさんを見て、不審に思っていたんだろうか。 ……まあ確かに、オレはともかくおっさんは不審人物そのものだしなあ、と中川のじいさんと楽しげに話をする縦も横も大きい背中を見た。その隣をひょうひょうと歩く中川のじいさんの背中も、今は史乃さん家で見た雰囲気とはまるで違って見えた。  中川のじいさんのその仙人ばりの風采は、本質を隠すカモフラージュみたいなものだろうか。  あまり逆らわないようにしようと思いながら、2人がくぐった石造りの鳥居の方を目指した。その手前には踏切がある。江ノ電のだ。  踏切手前にある石段をのぼりかけた瞬間、カンカンカンと警報機の音が鳴りだした。 「やっべ」と思わず遮断機が下りる前に渡ろうとした。基本的に江ノ電は単線だ。この権五郎神社の手前の踏切も足幅の広い男性ならひとまたぎできるくらいだ。 「今渡っちゃいけないんだよ」  ふいに服の裾をひっぱられて、体がつんのめった。 「なんだよ」とつい苛立った声で振り返ると、一瞬だけ怯えた顔をした小学生の女の子がパッと慧の服の裾から手を離した。  痩せ気味の体には不釣り合いな、眉の濃い気の強そうな顔が慧をじっとみあげている。口を真一文字に結んで、不機嫌そうに見えた。まだ小学1年生か2年生くらいのようだ。  子どもにありがちな強気で正論すぎるほどの正義感でもって、まさか点滅する青信号を渡らせまいとでもしたいのだろうか。あまり親戚に幼い子がいないせいか、どう接したらいいのか戸惑う。  無視するのも悪いかなと思いながら「……なに?」と聞いた。  どうせおっさんには「鈍くせえ」とか言われるんだろうと思ったら、まあのんびり行けばいいやと少し投げやりな気分にもなっていた。 「……別に」 「は?」と思わず声に出していた。  なにをしたいのか、あるいはなにをしてほしいのか、全然わからない。  相手にするのも面倒になって前を向くと、ちょうど極楽寺のトンネルからクレヨンの緑で染め上げたような電車が出てくるところだった。  目の前をたった4両の電車が風を巻き起こしながら抜けていく。  警報機の音が止んで、遮断機があがった。  ちらりと横を見ると、女の子はその場に佇んでつまらなそうな顔で横を向いている。  とりあえず放っておこうと決めて単線の線路を渡った。
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