2章 権五郎神社の福猫ごんごろ失踪事件

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 線路を渡ったすぐ先に鳥居があり、その正面の階段を数段のぼれば権五郎神社の素朴な拝殿がある。権五郎神社とは通称で、本来は御霊神社という。拝殿の奥に本殿があり、その背後には標高の高くない山が迫っている。まるでその山を背負っているみたいな古く小さな神社だ。  山の裾辺りの斜面と、江ノ電の線路沿いとにはアジサイが植えられ、5月や6月の梅雨の季節になると、素朴な社殿とアジサイの趣ある風情に観光客がカメラを構えて訪れる。とはいえ、シーズン以外となると訪れる人も少ない。  この日も、秋の紅葉にはまだ早すぎる境内にはほんの2、3組の参拝客しかいなかった。でもその観光客がみんなちらちらと、鳥居をくぐったすぐ右手にある社務所の方を気にしている。  仙人みたいな中川のじいさんと、スキンヘッドのでかいおっさんの2人組が社務所の玄関口に立っているからだ。どう見てもただ者には見えない。  2人のそばに行くと、玄関からちょうど袴を身につけた神社の人が出てくるところだった。白い着物に水色の袴の姿を鎌倉で見かけるのは珍しくもない。 「どうも、中川さん。先日はありがとうございました」  メガネをかけた白髪まじりの男性が丁寧に頭を下げた。おっさんよりは年上のようだけれど、まるで枯れ枝みたいに細くて頼りない。  この人がごんごろの飼い主、ということになるんだろう。 「いやいやこちらこそ忙しいところすまんね。その後、なんか進展はありましたかな?」 「いえ……それが全然で。祭礼を無事に終えてホッとしたところに、こんなことになるとは……もうかなり高齢なので、心配で」  声が小さくなった。少し疲れて見えるのは、やっぱりごんごろがいなくなったせいかもしれない。 「それに近頃、マスコミもかぎつけたらしくて。取材申し込みも断ってはいるんですが、それも時間の問題でしょう。いつまで隠しおおせますか……」 「まあまあ。今日はごんごろ探しを手伝ってくれる強力な助っ人を連れてきてね」  中川のじいさんはさきほどのマスコミの人間のことには触れずに、おっさんの方を見た。 「野狐さん。こちらは、権五郎神社の宮司をされておられる吉水誉(よしみずほまれ)さん。ごんごろを世話してくださっているお人で、私らもいつも世話になっておるんです」 「なにをおっしゃられる。世話になっているのは、僕らの方です」  謙遜した宮司は改めておっさんに「吉水です」と頭を下げた。 「極楽寺で野狐という古道具屋兼便利屋をやっています、支倉実篤です」 「ああ、聞いたことありますよ。氏子さんの誰かが名前を出してらっしゃった覚えがあります。野狐さんに頼めばたいていのことは収まるって」  心強くなったのか少し表情を明るくした宮司は、おっさんだけでなくオレにまで丁寧に頭を下げた。慌てて会釈を返す。  おっさんはというと、聞いたことがある、と言われただけで顔を緩めている。でかい体でにやつかれると、ちょっと引く。 「いやいや、野狐が力になれるようでしたらもう! これも何かの御縁ですから」 「はい、ありがたいことです。ただ私は、11月に七五三を控えてまして、けっこうそちらの対応にとられてしまいまして」 「七五三は祝い事ですからねえ」 「ええ。ご祈祷も頻繁に入りますし。対応が滞ってもと思いますのでごんごろのことは別の者に言付けておきます。それでも大丈夫でしょうか?」 「その方はごんごろのことをよく知っていますかね?」 「それはもちろん。うちでも一番か二番かぐらいにごんごろを可愛がっていたと思います」  そう言いながら宮司は玄関の奥に向かって「真純(ますみ)さん!」と細い声をかけた。  玄関の奥から「はーい」と涼やかな声が返ってきて、ぱたぱたと駆けてくるような音がした。  その瞬間、おっさんの体がかすかに緊張したように見えた。  草履を履いて出てきたのは、長く黒い髪を1つに縛って後ろに流した作務衣姿の女の人だった。まるで神社の澄んだ空気そのものみたいな雰囲気の人だ。たぶん巫女なんだろうと思いつつ、なにげなく隣を見あげてぎょっとした。  ほおを赤く染めた顔でぼうっと女の人を見つめている変態がいた。いや変態はひどいか、と思い直した時、「かわいい……」とつぶやいたのが聞こえてやっぱり半分遠からず、という気がした。  でもおっさんがぽつりとつぶやいた言葉に思わず反応したのは、当然、その目の前の真純と呼ばれた女性もだった。  少し戸惑ったように一歩後ずさっているところを見ると、スキンヘッドに複数のピアス、そして水色のつなぎ姿の大きな体の男、が相手ではさすがに怖いからだと思う。  おっさんはどん引きされてるのも気づかずに真純さんの方に足を踏み出した。 「は、支倉実篤と申します。野狐という古道具屋をやってます。今度店にぜひ、あ、いえそうじゃなくてですね。ごんごろは必ず、必ずこの野狐の支倉実篤が見つけます。あなたは、真純さん、と言うんですね? ごんごろのご担当の」 「ええ、あの、担当というか」  戸惑い気味にうなずいた女性の手を、突然とった。  そしてしっかり握る。初対面の女性相手へのその行動に、オレは思わず口を開けてしまった。 「あの」 「ぜひ、この野狐にお任せください。必ずごんごろを連れて帰ります!」  挙動不審にさえ感じられる自己紹介に、思わず頭を抱えたくなった。  でも女性は神社の人間らしく、困ったような笑みを浮かべながらも「ありがとうございます。本当にごんごろのことは心配していますので、心強い言葉、頼もしく感じます」と当たり障りなく返した。  本当ならそこで手を離すのが普通だと思う。でもおっさんはさらに言い募った。 「それはもう! これもなにかの御縁ですから!」  つぶらな目が輝いていて、女性の手を離す気配はない。  さすがに真純と呼ばれた女性がちらりと、助けを求めるように宮司を見た。  察してくれよ、と思いながら慧はおっさんの服を引っ張った。 「うん、なんだよ」 「あのさ、少し落ち着きなよ」 「ん? オレは至極まっとうに落ち着いている」 「うん、わかった。いいからさ、ちょっとキモくなってきてるから、いい加減さ」 「キ、キモく?! 慧、お前、目上になんつう言い方すんだよ」  噛みつきかねないクマのように吠えながらおっさんが女性の手を離した。 「どうどう、どうどう」  両手をあげて降参のポーズをしつつ、なだめる。  でもその言葉が気に入らなかったらしい。  さらに吠えかけたおっさんよりも早く、女性が「あの、そちらは……?」と言った。 「あ、ごんごろ探しを手伝ってる宮島慧です。早速なんですけど、ちょっといくつか確認させてもらっていいっすか?」  女性が少し驚いたように慧を見てから、「もちろんです」とにっこりと笑みを浮かべて言った。
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