2章 権五郎神社の福猫ごんごろ失踪事件

3/11
前へ
/48ページ
次へ
 玄関先での立ち話よりはと社務所の中に通され、玄関を入ってすぐデスクが並んでいる一角に案内された。衝立で仕切られたソファに座ると、宮司の吉水さんは出かけなくてはならないらしく、真純という女性に任せ、奥へと引っこんでしまった。 「ごめんなさい。この前の面掛行列の後始末が終わって、今度は七五三の準備にとりかからなくてはならなくて。ごんごろのことは、私が担当させていただきますから」 「真純さんは、ここに住みついたごんごろの世話をずっとしてきた。いなくなってさぞ辛いだろうに」  中川のじいさんの言葉に、真純さんは小さくため息をついた。沈んだ横顔は整っていて、儚い雰囲気が漂う。  あいかわらずぼうっと真純さんの顔を見つめているおっさんの足をテーブルの下で軽く蹴った。 「い、って!」  おっさんが軽くにらんでくる。覚えてろ、って口パクで言われたけど、今はとりあえず目の前のごんごろ探しを解決するのに集中してほしい。  オレだっていつまでもつきあってなんていられない。  おっさんは改めて姿勢を正すと、やけに何度も咳払いをした。あまりにも意識しすぎているおっさんの様子に意地悪な気分がもたげた。 「これから歌でも披露すんの?」 「あのな! オレにも心の準備ってもんが必要なんだよ!」  なんの心の準備だか。  無視していると、おっさんがまた、マジ覚えてろ、と口をぱくぱくさせた。  その時、不意に小さく笑う声が聞こえた。  真純さんがかすかに口元を抑えて笑っている。中川のじいさんも呆れたような笑みを浮かべている。 「ごめんなさい。なんだかどちらがお兄さんでどちらが弟さんだか分からない感じだから」 「「兄弟じゃない!」」  こんなでかい体の騒がしいやつが兄弟にいたら毎日うるさそうで嫌だ。今の一人っ子で十分。 「お前、ハモんなよ」 「おっさんこそ」 「兄弟ゲンカしとる場合か。話を進めい」  さすがに見かねた中川のじいさんがぴしりと慧とおっさんのやりとりを断ち切った。  おっさんは恐縮したように改めて居住まいを正すと、少し身を乗り出した。 「中川さんから、大筋の話は聞いています。ごんごろがこの神社に住み着いたのは8年前くらいからだそうですね。以来、真純さんが世話をされてきたんですか?」 「私が、というより、この辺りの地域みなさんでという感じです。ご飯もお水も、トイレも眠るところも社務所の中に用意してあって、いつでも出入りできるようにはしているんです。でもここで寝ている方が少なくて。自由気ままに境内の好きなところで過ごしているのが好きなんですよね。まあ……猫はたいがいそうだと言われればそうかもしれないですけれど」 「じゃあいつからいなくなったとかは……」 「それはたぶん、わかります。あの、だいたい、ですけれど。ごんごろは、日中はお気に入りの場所にいますし、なにより、ごんごろのことが大好きで毎日会いに来てくれる小学生の子がいるんです。うちの例大祭がが必ず9月18日と決まってるんですね。面掛(めんかけ)行列という、」 「面掛行列! 聞きましたよ、奇祭とか?」  おっさんがさらに身を乗り出した。  スキンヘッドのテカリに劣らず小さな目がきらきらしている。 「あ、ええ、中にはそうおっしゃる方もいますね」 「それはもうぜひ、野狐も参加させていただきたい。神輿でもなんでも担がせていただきますよ。なんてったってこれ以上ないくらいのこの体ですから!」  おっさんの参加したいアピールに真純さんが困ったような顔で体を引き気味にしている。そりゃその体で迫られたら、オレでも少しビビるんだから、女性にはなおさらだろう。 「おっさん」と呼びながらその作務衣の袖をぐっと後ろに引っ張った。 「なんだよ、慧」 「話逸れてんじゃん。ごんごろのことでしょ、まずは。それにそんな体で怖いから」 「ん? ん……そうか。も、申し訳ない……」  おっさんが頭をなでながら体をソファに沈めた。ぐうっと沈みこんだそのソファの方が潰れてしまう気がする。 「で、そのお祭りの日がどうしたんですか? ついこの前ですよね?」  慧が促すと、真純さんはほっとした顔つきになって背筋を伸ばした。  とてもきれいな姿勢だと思う。 「そうですね、例大祭がある前後はいろいろと儀式や準備で普段とは違います。9月18日はなおのこと朝からいろんな関係者が出入りするので、ごんごろはそのうるささが嫌でさっさとどっかに行ってしまったみたいでした。ご飯食べてない、って職員の1人がぼやいてたのを聞いた記憶があります。翌日も、いつもごんごろに会いに来る子がいなかったって言ってて……。でも1日くらい見かけないことはよくあるので、その日は特に不思議に思わなかったんです。でもその次の日も見かけないってなって、……だから9月18日以降、たぶん19日か20日には神社にいなかったんじゃないかなって」 「中川さんにも聞きましたが、ごんごろが外、つまり境内から離れることはないとか」 「はい。もうだいぶ高齢ですし、この境内が彼のテリトリーなんです。ちょうど身の丈に合っているんでしょう」 「でもちょっと境内の先……例えば、江ノ電の踏切がありますから、そこで、」  おっさんがそう言いかけて、真純さんの顔が青ざめた。 「嘘でも……言葉はまことになりますから」 「申し訳ない」  慌てておっさんが深く頭をさげた。  その先の言葉なんて簡単に想像できる。わずかに顔を背けた真純さんは、少し怒っているようにも見えた。それを敏感に察して、おっさんは動揺している。  しっかりしてくれよ。  仕方なく慧が言葉を引き継ぐように真純さんに確認した。 「ごんごろを最後に見たのって、誰っすか?」 「え、ええっと……たぶん、会いに来る子……(つむぎ)ちゃんだと思います」 「え、誰?」 「小学生の女の子で、近所に住んでる子なんです」  小学生の女の子、と聞いて、ふとさっきの子が浮かんだ。神社にまではついてこなかったけれど、あの不機嫌そうな顔の子供とはあまり関わり合いにはなりたくない。  とはいえ、毎日ごんごろに会いに来る子、というなら話を聞かないわけにはいかないだろう。  ただできれば、その子がさっきの小学生でありませんように。 「その子に話は聞けますかね?」 「たぶん聞けると思います。お母さんが仕事から帰ってくるまで境内で毎日のようにごんごろのそばにいましたから、そうですね、そろそろかな」  真純さんがちらりと壁の時計をみやった。  確かに小学生が下校する時間に近い。 「帰ってきたら社務所に顔をだすと思いますから、それまでお待ちいただいてもいいですか?」 「そうですね。真純さんにいろいろとお聞きしたいこともありますし」  おっさんがそわそわしだしたのを見て嫌な予感がした。聞きたいことがごんごろ以外のことなんだろうなあと簡単に予想がついた。  でも真純さんはそれまでの様子からすると避けたいはずだ。そういうのを読めないこの人、絶対モテないだろうな、とは口が裂けても言わないでおく。 「おっさん。それよりも境内を案内してもらった方がいいんじゃないの?」 「なんで」 「だって、ごんごろがどんな場所がお気に入りで、とかさあ。手がかりあるんじゃない。さっきみたいに適当に植えこみ探すとか、オレもう勘弁」 「なんだよ、根性ねえな」 「根性論とか今どきダサいでしょ」  言い返すと、「必要なときもあんだよ、根性ってのは」となぜか自慢げに言われた。  本当にいちいち年下のオレにマウントとるのやめてほしい。 「でもそうですね、慧くんが言うように、ごんごろがどんなふうにここで過ごしてるか知ってもらった方がよいと私も思います」  真純さんの冷静な言葉に、おっさんが「もちろんオレもそう思います」と大きくうなずいた。 ……本当にこの人、信用できない。 「慧くん、ほかに手がかりになりそうなこと、気になることあったら、遠慮なく言ってくださいね」  ため息をついていた慧に、真純さんが穏やかに笑いかけた。 「あ、……はい」とうなずいたものの、そんなふうに自分の名前を柔らかい声で呼ばれると、くすぐったいような居心地が悪いような感じがして、ちょっと落ち着かない。  でもその時、隣からあからさまに舌打ちする音が聞こえた。  本当にこのおっさんは、オレより年上なのか? 「とりあえず、外へ出ましょうか」と真純さんが促してくれなかったら、たぶんまたおっさんと言い合いになっていたと思う。  疲れる。
/48ページ

最初のコメントを投稿しよう!

18人が本棚に入れています
本棚に追加