落とし物

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俺は、夕方の街中をトボトボと歩いていた。いつもツイてないと思いながら生きているが、今日は特別だった。 昨日の夜、スマホの充電を忘れていて今朝目覚ましが鳴らず、朝イチの重要な企画会議に遅刻。その会議用に前日揃えておいた資料が何かの手違いで全く 別の物だった。資料が無いせいで会議での上司のプレゼンが散々で、タバコを吸いながらひとしきりディスったら、本人が既にその場に居て、全てを聞いていた。 みっちり説教されての帰り道、改札前でポーチを会社に忘れて来た事に気付いた。ポーチの中にはスマホもサイフも定期も全て入っている。 俺は勢大な溜め息をつくと、踵を返して会社へとトボトボと歩き始めた。今はこんな状況である。 その俺の目の前に、一匹の黒猫が現れた。真っ黒な毛が薄暗くなった街路の明かりを反射して、つやつやと光っている。黒猫は俺の前に座り込んだ。黒いコーンに見える。瞳を真ん丸に開いて、こっちを見ている。 「うわ、縁起悪(わる)」 俺は思わず呟いた。 「『黒猫が目の前横切ったら不吉』ってか?どんだけベタなステレオタイプやねん」 猫が喋った。しかも何故か関西弁である。 「何でやねん?」 俺も思わず関西弁で突っ込んでしまった。 「自分、めっちゃショボくれとんな。この世の終わりみたいな顔しとおわ」 猫はずけずけと言う。 「うるせえな、サラリーマンは大変なんだよ。猫には判んねえだろうけどな」 「自分の失敗を棚に上げて悪態つくんだけは一丁前やな」 「うっさいわ」 本当にイヤな事をずけずけと言う奴だ。 「人の事クサしてばっかおったら、自分の大事なモンを失っても気付けへんようになるで」 「何だそりゃ?」 俺の問いを、猫はスルーした。 「自分に仕事をして貰うわ。人の落とし物をひらうんや」 「ひらう?」 「『拾う』 いう事な」猫は淡々と言った。「めっちゃ大事な仕事やさかい、しっかりやったってや」 猫はそう言い終えると、ニャーンと大きくあくびをした。それと同時に俺の目の前が真っ白になり、頭がボーッとして来た。 視界が戻って来ると、黒猫の姿は無く、時計を見ても、数秒も経っていないようだった。 夢だったのかな? 夕刻の道の真ん中で立ち止まって首をかしげている俺を、スーツ姿のサラリーマンが追い抜いて行った。何だかひどく疲れたような足取りである。 良く見ると、彼の足元から何かが滴り落ちているように見える。ポロポロと地面に落ちては消えて行く。俺はそっと彼を追いかけ、その落ちているものを覗き込んでみた。 それは、小さなプラスチックの玉のようなもの(ガチャポンのあれ)で、その表面に「気力」と書いてあった。それは、十秒も経たずに蒸発するように消えてしまった。彼は、「気力」を落としながら歩いていたのだ。 「こんだけ『気力』を落としてたら、元気ないわな」 俺は呟きながら周りを見回してみた。駅前に程近い辺りなので、人の往来も多い。そんな人達からも、何かが落ちていた。中には浮かんでいるもの、そのまま飛んで行ってしまうものもあったが、大概は地面に落ちていた。 俺の前からスマホで喋りながら女の人が歩いて来た。泣きながら、強い口調で何やら電話の向こうに言いつのっている。そんな彼女の胸元からポロポロ落ちているのは、「信じたい」と書かれた玉だ。どうやら電話の向こう側の人に裏切られたのだろう。あんなに落ちていったら、相当不信感が募るだろうな、と他人事ながら心配になってしまった。 色んな人が、色んな物を落としていた。「気使い」や「遠慮」や「慎み」など、特にスマホを触っている人ほど大量に落としていた。スマホに向かって怒鳴っている奴は大きな「許す」という玉を落としていた。 何だこりゃ。楽しいなあ。 周りの奴らの残念な心の動きが見えて、何だか妙に楽しかった。世の中、クズな奴らばっかりだ。そんな奴らを、俺は冷静な目で見定めている。 あれ、俺何でこんなものが見えるようになったんだっけ?まあいいか。 そんな好奇心だけで周りを見回していると、突然後ろから声を掛けられた。 「あのー、すいません」 慌てて振り返ると、そこにはショートカットの女の子が立っていた。見た所大学生くらいか。かなり俺の好みである。 彼女は優しい笑顔と共に、両掌に乗せた物を俺に差し出した。 「こちらを落としたようですので、お渡しします。大事な物ですから、無くさないように気を付けて下さいね」 彼女はそう言って、俺が差し出した両掌にそれを置いた。 それはそれぞれが掌一杯くらいの大きさで、「思い遣り」「憐れみ」と書かれていた。 そうか、俺はみんなの心の動きを見ながら、そんなみんなを蔑み、自分を正当化しようとしてたんだな。 そう考えた時、両掌の玉が掌の中に溶けるように沈み込んだ。 「良かったですね、無くさなくて」 彼女はそう言うと、小さく会釈をしてそのまま立ち去ってしまった。 そう言えば、あの子も俺と同じ物が見えるんだな。 俺がそう考えていた時、俺にぶつかるようにして女の人が走り抜けた。さっきスマホ越しにケンカしてた人だ。 俺にぶつかった拍子に地面に何かが落ちた。スマホと、もうひとつは大きな玉。それには「生きる望み」と書いてあった。 彼女はヨロヨロと交通量の多い大通りに向かって走って行く。 もしかして、自殺する気か? 俺は突然そう思った。考えるより先に、その「生きる望み」玉を持ち上げた。サッカーボール程のそれは、ボーリングの球より重たかった。 俺は走り始めたが、結構離れていたので、大通りまでに追い付けるか微妙だった。なので、一か八かで渾身の力でその玉を飛げつけた。 彼女の背中に当たった玉は、そのまま体の中に溶け込んで行った。次の瞬間、彼女はビクンと背を反らせて立ち止まった。目の前にガードレールがあり、あと一歩で車道に出る所だった。少し遅れて俺が追い付くと、彼女は呆然と車が行き交う車道を見つめていた。 「おねえさん、大丈夫かい?」 息を切らせながら尋ねた俺に、彼女は怪訝な目を向けた。 「何、あんた?何か用?」 彼女は俺に対して、変な物を見るように顔をしかめた。 「いや、俺はただ君が道路に飛び込みそうだったから心配で」 俺の言葉に、彼女は一瞬目を泳がせたが、すぐに首を振った。 「何言ってんのよ。変な感じのナンパ、やめてくれる?それより、私のスマホ知らない?」 彼女はぶつぶつと言いながらそそくさとこの場を去って行った。 俺は呆気に取られて彼女を見送った。何て自分勝手なんだ、と思ったが、すぐに彼女が無事で良かったと思い直した。 そう思いながら改めて自分の周りを見回してみると、皆色んな物を落としていた。皆、それぞれの事情があり、色々な想いがある。落とす物も、得る物もある。簡単には行かないのがこの世の中なのだ。 何だか急に、この人生が大切で好もしい物に感じられて来た。ツイてないのも、自分がツキを落としていたのだと素直に考える事が出来た。 そこへ、さっきの黒猫が再び現れた。 「自分、ええ仕事したやないか」 猫はやっぱり上から目線の態度で言った。 「『生きる望み』って重いんだな」 俺はしみじみ呟いた。 「そらそうや。その人間の生きて来た時間の重さやからな」猫はニヤリと笑って言った。「彼女の命も拾たんや。ファインプレーやで」 「その割には彼女、素っ気なかったけどな」 「人の為に何かした、いうても、相応の見返りがあるとは限らへんで。でも、嫌な気ィせんかったやろ」 「そうだな」 「それはな、他人を思いやる事で自分の心が洗われたからや」 猫は、そう言いながら近付いて来ると、俺の前に小さな玉を置いた。 「これ、自分の忘れモンや。拾といたったで、大事にしいや」 俺はその小さな玉を拾い上げた。それには、「心」の一文字があった。 「そうか。俺、『心』をなくしてたんだ」 そう言って前を見ると、黒猫はもう姿を消していた。 あいつ、一体何だったんだろう? 俺は首をかしげつつ、会社に向かって歩き始めた。 明日から、何か変わるだろうか?きっと変わる。何しろ、さっきとは風景が全然違って見えているから。 俺はそう考えながら、忘れたポーチを取りに帰った。 おわり
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