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「え。なんか怒ってます?」
戸惑う瑞樹の手を引いて、スタイリングチェアに誘導する。鏡に映る瑞樹の顔は、まだ困惑の色が残ったまま。
「怒ってないけど、困ってる」
カット用のケープをかけながら、手近な作業ワゴンを引き寄せる。鋏を手にする僕を窺うように、ちらりと肩越しに振り返る可愛い顔。
「困ってるって、何がですか?」
「瑞樹が可愛いすぎて、食べたくなるから」
「んなっ!?」
「ほら前向く。耳切っちゃうよ」
真っ赤になった頬と耳。同じくらい石榴のように艶々とした赤い唇がはくはくと動いていた。
「いつもと同じくらいでいい?」
「は、はい……お任せします。圭吾さんがしてくれるなら、なんだって」
「なんだって……なに?」
耳からうなじにかけて、ほんのりピンク色なのは、熱いせいか、照れか。それとも誘っているのか。
「なんだって、嬉しいかなって」
「へぇー、なんだって……ねえ」
伸びたえりあしの毛束を指で掬い上げる。
白くて、艶かしい首筋は蠱惑的な美しさだった。
右手の鋏で、毛先を撫でるように切り落とす。
サク、サク、サク。
毛束がケープを伝って足元に落ちる。
「あ、あの、変な髪型は嫌です」
「分かってる」
無言で切り始めた僕に驚いたのだろうか。
鏡越しに瑞樹の眉が不安そうに顰められていた。
だって、なんだってよくないだろ?
僕がすることなら、何だって許してくれる?
本当に? どんなことも? なにをしても?
「あのっ、今度のお休みって、やっぱり平日ですか?」
店内にかかるジャジーな音楽を遮るように、少しだけ瑞樹が声を張った。
「どうしたの、いきなり……」
髪の毛を切る音と、心臓の音が重なる。
瑞樹からこんなことを訊いてくるのは初めてだった。
「もし……土日のどちらか、休めそうならどこかに行きませんか?」
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