雨のち、誘惑

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一瞬目を瞠り、止めていた息を慌てて吐き出す。いつも通りケープを外して髪の毛を払い、ワゴンに鋏を置く。動揺を隠すので正直精一杯。 「そ、それって、デートの誘いだと思っていいわけ?」 手も繋げないほど、恥ずかしがり屋の瑞樹の言葉とは思えない。嬉しくて緩む口許を、拳を押し当てて隠す。 「はい。デート、です。付き合って1ヶ月なので何かしたいなって思って」 言ったそばから、既に赤い顔を更に上気させて俯く。そのえりあしに、たまらず唇をつける。 「ちょっ、圭吾さんっ!」 「ちょっとだけ」 首筋を啄みながら、鏡越しに大きな瞳を見つめる。 いつもなら照れて逸らすくせに、今日はどう言う訳か、しっとりと揺れる瞳に見つめられて手の平が汗ばむ。 「あの、そっちじゃなくて……」 「ん?」 「前みたいに、」 「前?」 「雨の日の……」 そこでようやく瑞樹の真意がわかり、目眩がしそうで首筋から唇を離す。 やっぱり、このあざとさは、悪魔だ。 そして、この無知は、罪だ。 「だーめ」 鏡越しに向けられた熱い視線を断ち切るように、手を引いて瑞樹を椅子から下ろす。 「あのっ」 戸惑う声を無視してシャンプー台に誘導しようと歩き出した僕の体を、背後から瑞樹の手が引き止めた。 「い、嫌なんですか?」 僕がどれほどきみを大切にしたいと思っているか。考えたことはある? 「嫌なわけないでしょ。でも今は我慢しとこう、仮にもお店だし、誰が見てるか分からないしさ」 独占欲も嗜虐心も、あらゆる欲望を抑えるために、きみが大人になる時まで待とうと決めている僕に。 どうしてそんな危険な言葉を、平気で口にしてしまうのか。 「でもこの前の雨の日はっ!」 そう。した。 深くて、痺れるような、中毒性のあるキス。 だけど。 「だめだめ、あれは僕が悪かったよ。我慢できなくて」 ぷくりと膨れた瑞樹の頬は、マシュマロみたいに甘そうで、少し尖った唇は熟れた果実のように僕を誘惑する。喉がごくりと鳴る。 「付き合ってるんだから……我慢しなくていいです」 「だぁ〜か〜らぁ〜! もう、ほんとに瑞樹は馬鹿なの?」 「ば、馬鹿って……」 「僕をなんだと思ってんの」 「か、彼氏」 「はぁ〜、そうじゃなくて。僕はその辺の変態な男と同じってこと。こんなに可愛い恋人がいて、手を出したくて仕方ないよ。その欲望を必死に抑えて我慢してるだけ。そういうこと言われると、本当にキスだけじゃ我慢できなくなる」 「え……」 さっと顔色が変わり、何やら頭の中で考えてる様子。仕方ないか。きみの好きと僕の好きは、きっと種類も深さも、覚悟も違う。 だから逃げたくなれば、いつでも逃してあげる。 そのために、外でしか会わないようにしているのだから。
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