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宥めるように瑞樹の肩を叩くと、大袈裟に身体がびくつく。
しまった。これはちょっと、早まったかな。怖がらせてしまったのかもしれない。
「さ、シャンプーしてあげるから、もう帰りな。大丈夫、なんもしないから。なんなら通報できるように携帯持っててもいいよ」
戯けて笑ってみせると、なぜか瑞樹の顔がむっと不機嫌になる。あれ?
「わかりました。シャンプーしてもらったら帰ります」
僕より先にシャンプー台のある奥ばったスペースへとスタスタ歩いていく瑞樹の背中は……──やっぱり怒ってる?
「え、ええ〜? 瑞樹くーん。おーい。なんで怒ってんの?」
さっきの、怒る要素ある?
僕はきみを大切にしたいって、伝えたつもりなんだけど。
慣れた様子で、リクライニングチェアに腰掛ける瑞樹は、やはり怒っているようで、むっと唇を一文字に結んで僕を見てくれない。
「倒しまーす」
苦笑しながらフットペダルを踏み込むと、電動音と共に椅子が傾斜していく。見下ろす瑞樹の顔は、怒っていても本当に愛らしくて、堪らず吹き出してしまう。
「ふっ、なんで怒ってるの? 土曜日休み取るから、どこ行きたいか考えておいてね」
「圭吾さん家がいいです」
間髪入れずに答えた瑞樹の顔を見る。
真剣で、迷いの無い瞳に、グラグラ僕の心が揺らぐ。
「え、いや、でもっ」
「あと、ここなら外から見えませんよね」
「え?」
伸ばされた白い手が、僕のシャツを強引に引き寄せる。身体が傾いて、慌てて瑞樹の顔の横に手をつく。二人分の重さでギイと、チェアが軋んだ音を立てる。
「キス、したい」
囁かれた甘い声に苦笑する。背筋がぞくりと震える。ほんとに、どこでこんな顔を覚えたんだろうか。
「止まんなくなるかも」
吐息が唇にかかる。
触れるか、触れないか。
そのぎりぎりを、楽しむように僕は顔を近づける。
「いい、から」
長い睫毛の下で、熱を持った瞳があざとく誘う。引き寄せられるように、柔い唇を味わうように食む。
「ん……」
鼻から抜ける声は、躊躇いを消し去る呪文みたいだ。だとしたら、やっぱりきみは、悪魔か。
「しらないよ」
「え?」
「後悔しても」
えりあしに指を滑らせる。
赤い唇が、ゆっくりと開く。
「……しません」
包み込むように、触れた頬は熱く。
再び押し付けた唇は甘く。
ただ忙しない吐息だけが、雨音に溶けた。
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