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次に向かうは母さんの部屋。俺の物がこれだけ残ってるってことは、この部屋だって……。
意を決してドアを開いた。
「……そのままだ」
ベッドのシーツも、洋服も。それから俺の部屋と同じように飾られた写真立ても。
「誰かが住んでるみたい……」
詩がそんなことを言うから、少しだけ不安になる。母さん……ちゃんと成仏できたのかな。
こんなふうに生前のままずっと残して……俺も父さんも誰も住まないまま、家だけそのままにして。
「母さんさ、病院で死んだんだ。今なら在宅で看取りも普通だけど、あの頃は訪問看護も充実してなかったし、俺1人だったし家じゃみれなかった」
「うん……」
「多分、最後に母さんが入院した日のままだ」
「え……?」
「掃除はしてるだろうけど……全部そのまま。誰もいないのに、ここも俺の部屋もそのまま」
「……お母さんが帰ってくる場所があっていいじゃないですか」
「帰ってくる場所?」
「お盆になったら帰ってくるでしょ? お家もお部屋もそのままだったら、迷子にならないよ」
「……帰ってきても誰もいないのに?」
「昴、ここに住まないの?」
詩は俺の手をぎゅっと握って見上げた。視線を移せば、優しい顔をしていた。
「ここは……広すぎるだろ」
「広いね。でも……子供いっぱい欲しいなら、広いお家必要だね」
胸の中できゅうっと小さく音を立てた。詩はなんで俺が欲しい言葉がわかるんだろう。
父さんが手放したくなかった理由がわかる。こんな状態で残されたら、母さんの思い出全部壊してこの存在を消し去るなんてできない。
8年間、母さんと暮らした記憶が残るのに。痕跡があるのに……誰かのものになるなんて嫌だ。
「詩は嫌じゃないの?」
「なにが?」
「なにもかもそのままなんだよ。死んだ人間の遺品も……」
「残しておけばいいじゃん。部屋はまだあるんだから。いつか整理がついたら片付けるでもいいし。捨てなくてもさ、整頓してしまっておけばいいでしょ」
「……こんなに広い家で待ってたら、寂しくないか」
「……寂しいよ」
指同士がすっと絡まる。それからまたぎゅっと握られて「だから、ちゃんと帰ってきて。毎日じゃなくても、1日おきくらいは」と言った。
「詩が夜勤辞めたらさ、犬飼おうか」
「え!?」
だって、飼いたそうにしてたし。こんな広い家で子供ができるまで1人なんて心細いだろう。
「俺も時間作って散歩行くし」
「ほ、本当に言ってる!?」
「うん。ポメラニアン」
ふっと頬を緩めてそう言えば、詩はぐっと下唇を噛んで、目を潤ませる。絡めた手を引かれて、ぎゅっと俺に抱きついた。
「嬉しい!」
「ただし、メスな。オスはだめだ」
詩に甘えていいのは俺だけだからな。
「ねぇ、わんちゃんにまで嫉妬するの?」
「してねぇよ」
「してるじゃん」
くすぐったいような感覚に、2人で額を寄せ合ってクスクス笑う。
ここにきてよかった。詩と一緒にこの家も守っていく決心がついたから。
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