白い花が香る家

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白い花が香る家

 じめっとした空間にうっすら汗が滲む。とりあえず換気をしようと家中全ての窓を開けたのだ。これが失敗だった。  まだ梅雨が明ける気配などない6月下旬。湿度70%以上を表示している湿度計にため息をつく。 「あっつい!」 「窓開けるからだろ。もう閉めて除湿かけようぜ」  久しぶりに晴れたと思ったのに、天気とは関係なく湿気はついて回る。だから梅雨って嫌いなの。 「じゃあ、昴1階全部閉めて。私、2階閉めてくるから」  それだけ言って私は2階へと上がっていく。廊下の突き当たりの窓、2人の寝室、昴が子供だった頃の部屋、それからお母さんの部屋を順番に回り、窓を閉める。 「昴のお母さん、ごめんなさい。暑いからやっぱり窓閉めますね」  部屋に入ってそう声をかけた。年期の入ったカーテンが揺れた。  あれ……今日は全然風がないと思ったけど。  そっと窓を閉めようと近付くと、ふわっと甘い香りが鼻を掠めた。 「……いい匂い」  すんっと鼻を上に向ける。網戸を開けて、下を覗いた。広い庭の隅に並んで植えてあるクチナシの木。  昴のお母さんが大好きなクチナシを部屋からでも眺められるように配置されている。目的通りに目を凝らせば、白い花びらが少し見えた。 「え!? ……咲いてる!」  私は大慌てで階段を降る。 「詩!?」  バタバタと騒がしい私に、怪訝な顔をしながら声を張る昴。その横をダッシュで通りすぎ、靴も履かずに庭に出た。 「おい、どうし……」 「咲いてるの」 「は?」 「クチナシの花、咲いてる……」  私が指をさせば、見るみる内に目が大きくなる昴。瞳を揺らして、数歩前に出た。 「行こう!」  昴の手を取って駆け出した。近くに行くと、2輪だけ咲いている。まだ小さいけれど、花びらが八分咲きくらいまで開いていた。 「本当だ……」  昴は指を伸ばし、そっと花びらに触れた。まるで繊細なものを扱うかのように優しく、震える指先で。  お母さんの死に対するトラウマを完全に払拭することはできないだろう。払拭する必要もないのかもしれない。  ただ、それを受け入れ、上手に自分の中に落とし込めるかが重要なのだ。  お父さんに会うことも、この家に住むことも自分で選択し、しっかり受け止めてきた昴。あと残るは、このクチナシの花だけだった。  この香りに似た亜里沙さんの香水が引き金となってPTSDを発症した昴。暖かい思い出と同時にこの香りが苦手なはずだ。  顔を近付けると、甘い香りがする。ほわっと心が落ち着き、リラックスできる。昴からクチナシの話を聞いて少し調べたが、現在は品種改良されて八重咲きの薔薇のような形をしたクチナシがあるそうだ。  でもこれは一重咲き。ピンッと真っ直ぐ伸びた6枚の花びらが輪を作っていた。
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