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1・徒桜
「咲哉さん」
夢を見ていた。
夏よりはやわらかい晴天に舞う、白い花びらの下で。
「咲哉さん」
薄桃色の着物を着た彼女が笑う。
強く吹き抜けた風に乱れる濡羽色の髪を押さえ、白い頬をかすかに染めて儚げに笑う。
両腕を空に伸ばし、水を掬うように受け止めた花びらを一枚、細い指先に摘まんで匂いを嗅いでいる。
咲き誇る時期を過ぎ、美しいままで散りゆく一枚の花びらに匂いなどあるはずもなく――けれどもその姿は胸を打つほどに愛おしい。
一枚の花びらよりも、指先を彩る同じ色をした小さな爪が愛らしい。
散り際の壮絶な美しさを誇る桜の木よりも、その下で花びらの舞う空を見上げる姿を見ていたい。
「……」
名を呼んで、彼女の細い体を抱きしめる。
はらはらと止めどなく舞い散る白い花びらに埋もれて、霞んで、静かに夢が終わる。
繰り返される、薄桃色の淡い夢。
風に揺れる桜のさざめき。
鈴の音に似た彼女の声。
抱きしめる度にかすかに震える小さな体。
その熱。
撫で下ろした艶やかな髪の感触まで、目を閉じればすべてが鮮明に思い出される。
「咲哉さん」
――時折、あれが現実だったのではないかと錯覚する。
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