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1、
マスダという男性がいた。30代半ばの会社員で仕事はそこそこ出来たが、よく落とし物をするという欠点があった。
「あれ。また財布を落としてしまったようだ……」そう云いながら彼は自分の服のポケットからカバンから、隅から隅まで探ったけれど財布は見つからなかった。どこかに忘れて来たのなら思い当たるところを探せば出てくる可能性もあるだろうが、彼の場合はいつもそういうことがない。使った覚えが無いけれど、使おうと思うと何かを無くしている。つまりそれは、「落とした」と考える以外に無いのだ。彼が落とすものは他にもスマートフォンやら電車やバスに乗るためのカードやら腕時計やら、とにかく色々あった。そうして何かを失くすたびに口惜しい思いが胸にこみ上げた。
彼はある日、意を決してイイオカ博士という発明家の元を訪れた。
マスダはまず研究所の応接間に通された。その部屋には過去にイイオカ博士が開発した発明品が所狭しと置かれていて、それは何かおもちゃの展示場の様な様相だった。
イイオカ博士は三つ揃いのグレイのスーツの上から科学者らしい白衣を着ていた。
「わたしがイイオカです。で、ご相談というのはどのようなことでしょうか」博士のことばつきには科学者らしい落ち着いた知性的な響きがあった。それだけでマスダは、何か自分とは違う人だという信頼感のようなものを感じた。そして自分の相談する内容が恥ずかしいことに思えて小さな声になってしまった。
「わたしには悪いクセというか、特性というか、そういうものがありまして」
「フム。それで?それはどのような?」
「しょっちゅう何か、ものを落として無くしてしまうのです」マスダをこの時に自分の顔が紅潮するのを感じた。酷く恥ずかしかった。
「ほぉ。それはお困りでしょうな」
「はい。大変困っているんです。そこで先生に、それを解決する何かを開発していただけないかと思いまして、今日は相談に来ました。お金が多少掛かっても構いません。これからの将来を考えると、落とし物をしないことの方がずっと得なはずですから」
「ウム。なるほど……それは、そうでしょうね。懸命なお考えです。わかりました。その開発をお引き受けしましょう」博士はマスダ自身の恥ずかしいという思いとは逆に、彼を賞賛する口ぶりだった。
「ありがとうございます、先生」マスダはイイオカ博士の態度に感動すら覚えて博士の手を握ってお辞儀をした。
3ヶ月ほどが経った。イイオカ博士から連絡があり、マスダはまた博士の研究所を訪れた。
最初に博士に会った応接室とは違う、今度は研究室の中の一角にマスダは通され、そこにはドラム缶よりもまだ大きい、ちょっと変わった形の黒光りする金属で出来た壺のようなものが置かれていた。それはいかにも何か効果がありそうな装置に見えてマスダはそれに歩み寄りながら云った。
「先生。これが開発した装置ですか」
「ウム。そうです。これが今回あなたの依頼で開発した『落とし物吸引装置』です」博士の口調はこれが自信作であることが感じられた。
「吸引?」
「そうです、吸引装置。
わたしは今回、いろいろな方法を試したのですが、落とし物をしてしまうことを物理的に防ぐのは容易ではないと結論しました。そこで、逆に、落としたものを取り戻す方法を考えたのです。この装置は、落とし物を吸い寄せる機能を持っているのです」博士は装置の横に立ち、右手を装置に添えてそう云った。
「ということは、この、装置の上のこの口は吸い寄せるための?」
「そうです。吸い寄せられた落とし物は飛んで来て、この壺状の口の中へ吸い取られます。吸い取ったものは、このドアを開けて取り出します。中には十分な緩衝材が入っていますから安全です」
博士が装置の横に付いたドアを開けて中を見せると、マスダは中を覗き込んだ。
「それにしても、吸い寄せるとは、どんな技術なのですか」
「それは開発の重要ポイントですから、ふつうはお話しできませんが、まあいいでしょう、お話ししましょう。……あなたは、人がものを無くした時に神仏に祈ったり、何らかの術者に探し出すのを頼んだりすることを見聞きしたことがあるでしょう?」博士は少しもったいぶったが、むしろ開発秘話として話したかったようで、ちょっと声を張ってそう話した。
「ああ、ええ、そういうのは知っています」
「そういう場合、術者は例えば、依頼者が失くした物がどの方角にあるとか、そういうことぐらいしか分からないことが多いのですが、実際、落とし物や無くした物から、何らかのエネルギーが出ていて、それを感じ取ることで術者は方角を示しているのです。術者の実力次第では具体的に場所を特定することも出来ます。そこで私はその力を応用して増幅し、落とし物を特定して吸い寄せる方法を考え実現したのがこの装置というわけです。超能力などと一言で終わらせられてしまう力にも根拠があり、それを科学的に応用した装置ですな」
「なるほど。そんなことが出来るんですね」
「ただその代わり、落とし物が出すエネルギーは時間と共に薄れていきますから一週間もすると分からなくなってしまうようです。ですから、あなたはご自分で何を落としたのかを早く自覚して探す必要があるということで、その点だけ注意してください」
「分かりました、それは問題ないと思います。先生に頼んでよかった。ありがとうございます」
マスダは、今度もまた博士の手をグッと握りしめてお辞儀をして帰った。
2、
落とし物吸引装置は後日マスダの元へ届けられ家の庭に設置された。
彼は装置の操作説明書を読み、すぐに装置を起動してみると大きめの掃除機のような音がし始めた。
「おお、吸い込んでるな……ここで、自分が落とした物を操作パネルで具体的にインプットするんだな……ええとまず自分の名前など個人情報を入力して、それから落とし物の特徴を……『折りたたみの黒い皮の財布』と。これで吸引スイッチをオン、と」
装置の音は大きくなり本体が微妙に振動し始めた。
「吸引された落とし物は、空を飛んでくる……と」
マスダは空を見上げた。するとしばらくして鳥のような何かが飛んでくるのが見えた。それははためきながら落とし物吸引装置の壺の口へと飛び込み、装置が仕事を終えて掃除機のような音も止んだ。彼は装置横のドアをワクワクと開けた。
装置の中には確かに彼が昨日どこかで落とした財布が入っていた。財布の中のお金もちゃんと入っていたので小躍りして喜んだ。
「イヤッホォ。戻って来た。やったー!」
マスダはそれから落とし物をすぐ探し出せるようになり、とても気楽になって満足した。これなら装置の開発に支払った費用も安いものだと思えた。そして、ほかにも何か機能がないかと装置の説明書を熟読した。
「なるほど。落とし物をしていなくても、または具体的に指定しなくても何かしら探せるのか、『その場合は意図と違うものが吸い寄せられることもあるので注意が必要』か……」
マスダは少し考えた。
「違う物が吸い寄せられる……」
違うものとは何か、そこに興味が湧いた。それは、彼のいたずら心や、もしかしたら何かいいものが吸い取れるかも知れないという欲の現れと云ったほうがいいだろう。
彼はそれを思いつくとすぐさま庭に出て装置を起動した。
「落とし物をしていない状態で装置を使うと、どうなる……のか」
彼は装置の操作パネルで、『財布』とだけ入力してあとの項目を曖昧な条件のまま吸引スイッチを押してみた。装置がブォ~ンと唸りを上げる。
しばらく空を見上げていると、四方から鳥の群れのようなものが迫って来て、彼の家の上で一つの群れになり、急降下して壺型の『落とし物吸引装置』へとドサドサと飛び込んだ。彼は装置のドアをすぐさま開けてみた。
「うわぁ、これは!これは!」
彼のいたずら心が図に当たった。装置が吸引したのは誰かが落とした財布だった。マスダは装置の中の財布の山に飛び込むように掴み取った。
「う~ん。すごいぞ!」
彼は喜び勇んで財布を取り上げた。お金が入っていた。キャッシュカードや自動車運転免許、保険証なども入っていた。これを落とした人物はきっと困っているだろうということに少し心が痛んだけれど、彼はそれを警察に届けようとは思わなかった。どこで拾ったかも分からない財布を届けるのは気が引けたし、むしろ今までに自分がなくして来た財布がほとんど誰からも警察に届けられなかった事実を考えると、お互い様と思えた。
彼はウキウキしながら山とある誰かの財布を一つ一つ確かめていったが、半分くらいは中身が空っぽだった。現金だけ空っぽという物も多かった。おそらく、落ちていた財布を拾った誰かが中身を抜いたのだろうと思った。
「まあ、世の中はそんなもんだよな」
彼はそこに人間の本性を見たような気がした。時間を掛けて、装置で吸い込んだすべての財布に目を通すと、かなりの金高になり手が震えた。
「これなら、装置の開発に支払ったお金もすぐに取り戻せそうだぞ」そう思うと、もう自分が財布を落とすことなどたいした問題では無いように思えた。
吸引装置が吸い寄せる物体が空を飛ぶのは、けっこう目立った。近所の人に怪しまれ、警察に通報されたりして苦し紛れに、
「最近、野鳥が庭の木に飛んでくるようになりまして」などと云ってごまかした。
彼はそれから、目立たぬように夜になってから行動して落とし物吸引装置で、思いつくかぎり各種の設定でいろんな物を吸引してみた。実に様々な物が空を飛んで装置に吸い込まれて来る様は見ているだけでも毎晩毎晩、楽しかった。
金になる物で云えば、ダイレクトに財布を吸引するのが一番だった。その吸引の条件も試行錯誤の結果、高確率で中身の入った財布を吸引できるようになった。夜の空をバタバタと財布の群れが飛んで来て彼の庭の装置の口に入って来るのはまるでジャングルの洞窟に住まうコウモリの群れのように不気味でもあったけれど、彼には心地よい財布の群れの羽ばたきだった。
程なくして彼は相当な金を手にして、会社も辞めて悠々自適な生活になった。豪華な買い物をし、遊んで歩き美しい女性を愛人にした。
愛人は彼にお金だけでは無く色々な物をねだった。
「ねえ、あの服が欲しいわ」「バッグが欲しいわ」とにかく色々だった。彼はなんでも彼女にプレゼントした。
ある日、
「ねえ。わたし宝石が欲しいわ。友達がわたしに自慢したのよ。大きなダイヤの指輪を。くやしいわ」
彼の腕の中で甘えてそう云う彼女の髪を撫でながらマスダは、
「ダイヤの指輪か……」
それは相当に高く付くと思い、少し声が難しい響きになった。それを察したのか愛人は、
「ううん。ダイヤじゃ無くてもいいのよ。ほら、服に合わせてジュエリーもいろいろな種類のが欲しいのよ」女はベッド上でマスダの胸に頬を乗せ、人差し指を彼の胸に立ててツンツン、くねくねとした。これにはマスダは弱かった。
「そうか、わかったよ」
マスダは彼女を抱きしめてそう云った。
翌日の夜。マスダは家の庭に出て『落とし物吸引装置』を起動した。
「宝石の落とし物なんて、そうそう無いだろうな」
彼は期待半分で装置の制御パネルに吸引の条件をインプットした。
「大きい……宝石……輝く。こんな感じでどうかな」
最初は何も吸引されなかった。装置のパネルには『該当物なし』と出て点滅した。
「やっぱり宝石の落とし物なんて、めったに無いよなぁ」
それでも、ダメでもともとと条件を変えて試し、何度目かのチャレンジのときに装置がグォ~ンと一段高い吸引音に変わった。これは何か対象物があったときの変化だった。
「お!何か当たったか?!」
彼は両手でポンと手拍子を打った。
「飛んでこい、飛んでこい。大きな宝石なら一個でも十分だぞ!」
両手を合わせて拝むように彼が夜空を見上げていると、空のずっとずっと高いところから青白い楕円の塊が現れ、光の尾を引きながら一直線に彼の頭上に飛来した。
「相当大きいな……あぁっ!」
3、
テレビの画面にはヘリコプターから撮ったらしい映像が映し出されている。地面にポッカリと穴が空き、灰色の大きな石の塊の周りで黒い煙がもくもくと、そしてチラチラと火の手が見え隠れし、それを消防隊員が消火している様子が映っていた。
ニュースのアナウンサーが伝える。
『S町の住宅街に今夜、隕石と思われる物体が落下し、一軒の住宅が全壊し燃え上がりました。警察と消防が事態の収拾に当たっていますが、この家に住んでいた男性と連絡が付かず……』
彼が吸引装置に設定した条件が大きすぎたため、装置は宇宙の落としものを吸い寄せてしまったようだ。
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