その10

1/1
前へ
/11ページ
次へ

その10

 とある森の中、ある寒い日。  それはもう、ひと目で身も凍えそうな氷点下の泉にて。 「とうりゃあっ!!」 「うおっ! 氷を突き破ってくるとは思わんかった」 「なんのこれしき、女神パワーで粉々ですわよ」 「そうわよか。(たくま)しくなったなあ」 「料理と掃除で鍛えられましたからねえ。腕がちょっと太くなっちゃった」 「それくらいが健康的でいいと思うよ」  力こぶを作ろうとする女神を、男は楽しそうに眺める。  よほどの豪雨や吹雪でない限り、泉での昼食が途切れることはなかった。ここで昼を食べ、午後の仕事に励むのが男の日課だ。  夜は木斧を整形する時間に当て、一人暮らしでも寂しさに不平を言う暇は無い。  調子がいい時は斧を作り溜めたので、確実にノルマはこなせていった。  そんなに頑張らなくても、という女神の言葉は、男の体調を心配してのものだろうか。  もっとも、今は男の方が彼女の服装を気に留めた。 「よくそんな薄着で寒くないなあ」 「寒いですよ。ほらここ、鳥肌」 「ダメじゃん! ちゃんと冬らしい格好しとけよ!」 「これ一着しかなくて」  ことさらに渋い表情を作った男は、思案の末、女神へ服を送ると言い出す。 「……毛皮の上着、持ってきてやる。隣の爺さんに作らせるよ。いい素材が手に入ったらしいから」 「毛皮ですか。暖かそうですね」 「おう。あの番犬、革になっても温いんだ。さすが地獄出身」 「あれ狩っちゃったんだ」 「そりゃまあ、放置は出来ねえからな」  冬になると双頭の狼も仔犬並みに弱ってしまい、爺さんでも独力で仕留められた。  激戦だったと語る武闘伝を、皆で輪になって聞かされたのが三日前のこと。老いてなお意気軒昂な爺さんで、長生きしそうだ。  こんなことなら、たまにちょろっと地獄の釜を開けてくれと男は頼んだが、それはさすがに女神も断った。  もう汚れを溜めないように、毎日欠かさず掃除しているらしい。 「それより今日の分の斧、ほれ」 「ありがとう。これでえーっと、残り四千八百九十二本かな」 「先は(なげ)えなあ」 「ですねえ」  と言いつつも、男に困った様子は感じられない。それは女神も同じで、にこにこと木斧を受け取った。  一度泉の中へ沈んだ彼女は、すぐに両腕を後ろに回した姿で再登場する。  何かを背後に隠し持っているようで、男の視線を遮るように身をよじった。 「……えへへ」 「なんだよ、含み笑いなんてして。後ろに持ってるの、料理だろ?」 「じゃじゃーん!」 「おお、今日は豪勢だなあ。この丸いのは何て料理だ?」 「ぴざって言うらしいです。お友達に作ってもらいました。味は保証付きだとか」 「なんだ、お手製じゃないのか」  ちょっとだけ残念そうな声を聞いて、女神は逆に頬を緩ませる。 「料理の女神だから、絶対美味しいはずです!」 「アンタは食べたのか?」 「いえ……ごめんなさい、味見もしてなくて」 「いや、謝んなって。たまにはプロの料理もいいもんだ。そんでさ、アンタも知らない料理なら……」 「どうしました? 冷めますよ」 「どうせだし、一緒に食おうや」 「はいっ!」  とある森の中、冬の泉を前にして、一人と一柱が昼飯をつつき合う。  彼らが出会って、ちょうど百日が経った日のことだった。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加