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その10
とある森の中、ある寒い日。
それはもう、ひと目で身も凍えそうな氷点下の泉にて。
「とうりゃあっ!!」
「うおっ! 氷を突き破ってくるとは思わんかった」
「なんのこれしき、女神パワーで粉々ですわよ」
「そうわよか。逞しくなったなあ」
「料理と掃除で鍛えられましたからねえ。腕がちょっと太くなっちゃった」
「それくらいが健康的でいいと思うよ」
力こぶを作ろうとする女神を、男は楽しそうに眺める。
よほどの豪雨や吹雪でない限り、泉での昼食が途切れることはなかった。ここで昼を食べ、午後の仕事に励むのが男の日課だ。
夜は木斧を整形する時間に当て、一人暮らしでも寂しさに不平を言う暇は無い。
調子がいい時は斧を作り溜めたので、確実にノルマはこなせていった。
そんなに頑張らなくても、という女神の言葉は、男の体調を心配してのものだろうか。
もっとも、今は男の方が彼女の服装を気に留めた。
「よくそんな薄着で寒くないなあ」
「寒いですよ。ほらここ、鳥肌」
「ダメじゃん! ちゃんと冬らしい格好しとけよ!」
「これ一着しかなくて」
ことさらに渋い表情を作った男は、思案の末、女神へ服を送ると言い出す。
「……毛皮の上着、持ってきてやる。隣の爺さんに作らせるよ。いい素材が手に入ったらしいから」
「毛皮ですか。暖かそうですね」
「おう。あの番犬、革になっても温いんだ。さすが地獄出身」
「あれ狩っちゃったんだ」
「そりゃまあ、放置は出来ねえからな」
冬になると双頭の狼も仔犬並みに弱ってしまい、爺さんでも独力で仕留められた。
激戦だったと語る武闘伝を、皆で輪になって聞かされたのが三日前のこと。老いてなお意気軒昂な爺さんで、長生きしそうだ。
こんなことなら、たまにちょろっと地獄の釜を開けてくれと男は頼んだが、それはさすがに女神も断った。
もう汚れを溜めないように、毎日欠かさず掃除しているらしい。
「それより今日の分の斧、ほれ」
「ありがとう。これでえーっと、残り四千八百九十二本かな」
「先は長えなあ」
「ですねえ」
と言いつつも、男に困った様子は感じられない。それは女神も同じで、にこにこと木斧を受け取った。
一度泉の中へ沈んだ彼女は、すぐに両腕を後ろに回した姿で再登場する。
何かを背後に隠し持っているようで、男の視線を遮るように身をよじった。
「……えへへ」
「なんだよ、含み笑いなんてして。後ろに持ってるの、料理だろ?」
「じゃじゃーん!」
「おお、今日は豪勢だなあ。この丸いのは何て料理だ?」
「ぴざって言うらしいです。お友達に作ってもらいました。味は保証付きだとか」
「なんだ、お手製じゃないのか」
ちょっとだけ残念そうな声を聞いて、女神は逆に頬を緩ませる。
「料理の女神だから、絶対美味しいはずです!」
「アンタは食べたのか?」
「いえ……ごめんなさい、味見もしてなくて」
「いや、謝んなって。たまにはプロの料理もいいもんだ。そんでさ、アンタも知らない料理なら……」
「どうしました? 冷めますよ」
「どうせだし、一緒に食おうや」
「はいっ!」
とある森の中、冬の泉を前にして、一人と一柱が昼飯をつつき合う。
彼らが出会って、ちょうど百日が経った日のことだった。
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