参話

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参話

 「『あれ』と随分仲良しだな、秀圭」  橋からの帰り道、塞翁に声をかけられ立ち止まる。  「……なんのことですか、塞翁さま」  「とぼけるな、あれといったら男でも女でもないあれに決まってる。今から迎えにいくところだ」  おそらくこれが地だろう。  貴公子然とした品行方正な態度はよそ行きの仮面。  下卑た笑みを浮かべ秀圭に歩み寄るや耳元で囁く。  「穴の具合はどうだ。もう試したか。足もいいぞ」  「……どうして胡蝶に纏足を?」  こぶしを握り低く問う。  こみ上げる怒りを辛うじて抑える秀圭を不躾に見つつ、塞翁は言い返す。  「あれは俺のものだからだ。勝手に逃げられたら腹が立つ」   「胡蝶さまはあなたの弟だ。人として恥ずかしくないんですか」  「あいつに惚れたか。男をたぶらかすのが上手いのは母親譲りか」  胡蝶とその母親に対する侮辱に激発、すまし顔に殴りかかる。  塞翁の背に隠れていた護衛がすかさず前に出、いきりたつ秀圭に拳を放つ。  鼻腔の奥に鉄錆びた臭気が絡みつく。  地面に尻餅つき鼻血を拭い、ぎらつく目で塞翁を睨みつける。  「お前がやってることはやつあたりだ、お前の母親に毒を盛ったのは胡蝶じゃない、復讐する相手がちがうだろう!」  「ああ、やつあたりだ。それがどうかしたか。俺だってわかってるよとっくに、だけどやめられないんだ、病気だって諦めてくれ」  「何……」  木の幹に凭れ呼吸を整える秀圭に接近、前髪を掴んで顔を起こし唾を吐く。  「胡蝶の母親は平民の妾の分際で、下男と共謀して母上に毒を盛った」  「……自業自得だ」  「吹き込んだのは葉明か?あいつは妾に肩入れしてたから平気で嘘をつく。麗蓮は婆さんの遠縁の娘……親父の妾にはからったのも婆さんだ」  衝撃の事実に驚愕、前髪をむしられる痛みも忘れ呆然と塞翁を見上げる。  塞翁はあらん限りの憎しみをこめ、秀圭の鼻先にまで顔を近づけ呪詛を吐く。  「黒幕は妾だ」  「嘘だ」  「信じる信じないは勝手だが、俺はあの女が下男に毒を渡すところをしかと見たぞ」  秀圭の前髪を一二度強く揺さぶり、飽きたように突き放す。  「首謀者は麗蓮、下男は実行犯。下男が罪を告白し、それに打たれた妾が駆け落ちに乗ったと婆さんは言ったか?はっ、でまかせだ。真相はな、侍女が箪笥の抽斗から毒を発見したんだ。それで全てバレたってわけさ。毒を隠し持っていたことがバレるや妾は逃亡、逃げ切れないと観念して裏山で首をくくった。おまけを産み落としてな」  胡蝶の母親は無実ではなかった。どころか、事件の黒幕だった。  「妾と下男ができてたのは有名な話だ。庭でちょくちょく会っていたからいやでも気付く。俺だって何度も乳繰り合いの現場にでくわした。旦那さまには内緒だと口止めの飴をくれたぞ、あの女は。毒が練りこんであったんじゃないかと後で肝を冷やしたが」  「今の話が本当でも母親のしたことと胡蝶は一切関係ない」  「正論だ」  秀圭の頑固さを見直し、塞翁はいっそ憐れみに似た視線を向ける。  「俺はともかく、どうして親父まで胡蝶を疎んじる?仮にも血を分けた息子なのに、家督争いの種になるなんて馬鹿げた理由で離れにとじこめて一度も会いに来ないなんて変じゃないか」  塞翁は皮肉っぽく笑い、手庇を作って橋のほうを仰ぎ見る。  「あいつは父上の種じゃない、俺の弟でもなんでもない赤の他人だ」  「……姦通のはての子だと疑ってらっしゃるのか?」  妾と下男が通じて出来た子だから愛情がないのか、離れにとじこめたまま放っておくのか。  自分の血が一滴も混じってない子がどうなろうが興味はないと、  「産み月の腹で下男と逃げたのがいい証拠だろう」  高らかに笑いつつ歩み去ろうとした塞翁が、行く手に舞う蝶を優雅に手で払い、ついでのごとく呟く。  「俺の縁談が決まった」  顔を上げる。  「半年後に婚儀を上げる。相手は都の官吏の娘だ」  「胡蝶は……」  「今までどおりに決まってるだろう」  「奥方と暮らしながら愛人を囲う二重生活か」  「妬んでいいぞ。悪いお前には一生縁のない話だからな」  「腹違いの弟に女のなりをさせ纏足し愛人として囲っていると知ったら奥方はどう思う」  「お前の首が飛ぶだけだ。まあ試してみればいい、卑しい下男の戯言と誠実な夫の釈明とどっちを信じるかな。屋敷の使用人は俺に絶対服従だ、父上が死んだら俺があとを継ぐ、職の安定と引き換えに秘密を守り続ける」  屋敷にいる限り胡蝶が救われる可能性など万に一つもない。永遠に塞翁の手の中だ。  塞翁の気紛れひとつで握り潰される運命。  身の内で怒りを圧し衝動が巻き起こる。  「………胡蝶をつれていく」  哄笑がやむ。塞翁が振り返る。視線がぶつかりあう。  「俺は胡蝶と逃げる」  「すっかりあいつの毒にやられたみたいだな」  「もう二度と手をふれさせない」  静かな緊張をはらんで対峙。  妥協を許さぬまなざしで塞翁を射すくめ、一言一句に譲らぬ力を込めて放つ。  「籠で愛でられる蝶でも翅を愛でられる蝶でもない、胡蝶は人だ」  「男でも女でもない気持ち悪い生き物だ。子供の頃は難なく騙せた、しかしこの先は考えものだ。声を封じたところでどんどん背は伸びて体格も男らしくなる、成長を止める劇薬を盛るか、いやいい事を考えたぞいっそ去勢してしまえ。あいつがどうかそれだけはと泣きじゃくるから赦してやったが後ろの孔だけあれば事たりるからな、ははっ!」  脳裏で閃光が爆ぜる。  「塞翁さま!」  護衛が止める隙も与えぬ迅速さで跳躍、渾身の力でもって殴りつける。塞翁に馬乗り胸ぐら掴みさらに拳をふるう。  「胡蝶は、お前を、それでも『兄上』とよんだんだぞ!」  どんなに酷いことをされても慕っているからこそ、  「胡蝶を抱いて何も感じなかったか、体の軽さに橋までつれていくとき胸を痛めなかったか、あいつの願いを聞いてやったのはなぜだ、本当に憎いならさっさと殺してしまえばいい、離れからださず一生死ぬまで閉じ込めて聞けばいい、だけどお前は胡蝶の願いを聞いてやった、わざわざ抱いて運んでやった!」     独占欲と嫉妬が結びつく。  塞翁の顔色が豹変、狼狽。  欺瞞で鎧った本心を暴き立てられ極限まで目を剥く塞翁の顔面に、狂ったように拳を叩きこむ。  「依存してるのはお前のほうだ、胡蝶なしでは生きられない腑抜けがでかい口を叩くな!!」  「痴れたか下男!」  「塞翁さまから離れろ!」  「早く石牢へ!!」  もつれ転がり乱闘を演じる、芝生の切れ端に塗れて殴り合う、騒ぎを聞きつけた使用人たちが秀圭を袋叩きにし取り押さえる。  力づくで引き剥がされ殴る蹴るの暴行を受け、自分よりさらに屈強な従僕によって後ろ手に捻じり上げられる。  塞翁が勢いよく折れた歯を吐く。その歯が額にあたって傷がつく。  「どうしたの、なんで秀圭が……塞翁さまに手をあげたって本当なの!?」  厨房からとんできた遥淋が口を手で覆い、その傍らに立つ葉明が一心に手を合わせ何かを念じる。  野次馬で賑わい始めたあたりを見回し、鼻血を懐紙で拭って腰を上げた塞翁が短く命じろ。  「謀反の大罪だ。役人に引き渡すまで牢にぶちこんでおけ」  体中の激痛と熱に苛まれ、野次馬のざわつきと塞翁の声を聞きながら、橋の上に置き忘れられた胡蝶のことだけを考えていた。  塞翁のむごい言葉のつぶてが橋で待つ胡蝶に届かないように、と。    石牢は冷たい。    低い天井からしずくが滴り落ちる。  正面には錆びついた鉄格子。密に詰まれた石の間からは一条の光も射さない。  打撲で腫れて熱を帯びた体には横臥した床の冷たさがいっそ心地いい。  不浄な闇に閉ざされ溶暗する視界。  一週間か、一ヶ月か……混濁した意識では時の経過も判然としない。  肋骨が数本折れているのだろう、寝返りを打つだけで臼で挽かれるような激痛が響く。  発熱の靄に包まれ浮沈する意識のまにまに愛しい面影を追憶する。  腫れ塞がった瞼の奥の瞳は濁り、視力は衰えつつある。  胡蝶と約束した。  外へつれていってやると。  お前を解き放ってやると。  『兄上がいくら拒んだっていつか大人になってしまう』  『そのうち首枷の寸法も合わなくなる。息の通り道を塞がれ死んでしまう』  ならはずせばいい。  枷をはずさないのはお前の意志か?  『お前になにがわかる。僕は、』  その「僕」だ。  お前の心は男だ。見かけはごまかしきれても心の形まで偽りきれない。  『僕は』  胡蝶が泣く。  『仕方ないじゃないか。「僕」が「僕」のままじゃ誰も好きでいてくれない、誰も好きになってくれない。蝶とおなじだ。醜い毛虫の姿じゃだれも好いてくれない、蝶を誉めそやす奴らも毛虫を忌み嫌う、翅をむしっちゃえば同じなのに』  『お前だって、秀圭』  違うと口で繰り返しても説得力がない。行動で示さなければ。  囚われの蝶を救うと誓った。  自らの魂に契った。  こんなところで時間を潰している暇はない。  日に二度、飯を運んでくる葉明から聞いた。  婚儀を終え次第胡蝶に去勢を行う。  完全に「女」に生まれ変わらせ、妾として待遇する気だ。  『旦那さまは耄碌してらっしゃる。いずれ李家は塞翁さまの天下になる』  『おいたわしやお嬢様……胡蝶坊ちゃま。ワシとは薄いとはいえ血の繋がりがある。あの子の母もよく知ってる。塞翁さまの言うとおり、ワシは少しだけ嘘を吐いた。だが後悔はしてない、現実が惨いならせめて悲恋の美談に仕立て語り継ごうとしたのじゃ。麗蓮と下男はもともと幼馴染、夫婦の契りを交わした仲。それを旦那さまが無理矢理……それを知ってるのは屋敷でワシだけ……他は誰も知らん。ワシと麗蓮と下男だけの秘密じゃった』  『麗蓮の抽斗から見つかったのは悪阻止めじゃ、下男が手ずから処方した……旦那さまはろくに調べもせず捨てなすった』  『どちらの子かはわからん。坊っちゃまは麗蓮に生き写しじゃ。だからこそおそろしゅうて、おいたわしゅうて……』  鉄格子に縋りさめざめ懺悔する葉明もまた、塞翁に加担した負い目に苦しんでいたのだろう。  地下に足音が響く。目を上げる。狭く急な石段を降りてきたのは葉明ではない……  遥淋。  「………婆さんは?」  「体調を崩して寝込んでるわ。今日は私が代わりに」  「………心配だな」  「あのねえ、自分を心配したほうがいいわよ」  蝋燭の灯火が照らす顔は安心感を与える。つられて笑いかけ、頬の痛みで顔が引き攣る。  「ひどいわね。まだ腫れがひかないの」  「ああ」  「塞翁さまに手をあげたわけは教えてくれないの」  「………」  「だんまり?ホントー頑固ね、やんなっちゃう」  蝋燭を横におき、鉄格子の前に跪くや、懐から鍵を出して配膳用の小さい扉を開く。  「私ね、あんたのこと結構好きだったのよ。お婿にもらってもやってもいいかなってちょっと本気で思うくらい。こんなお転婆じゃ嫁の貰い手もないだろうって?顔に書いてあるわよ」  「……いや。お前はいい女だ」  遥淋が頬を赤らめる。  「……だ~いなし。そういうのは耳元で甘く囁くものよ。こんな臭くて汚い場所で言われたってちっともときめかないわ」  「そうか」  「女心がわかってないわね」  「そうだな」  「唐変木」  「いじめないでくれ」  「どうして塞翁さまに殴りかかったの」  急に真面目な顔つきになる。  「朴念仁、唐変木、奥手でおせっかい。曲がった事が大嫌いなくそ真面目な働き者、女の細腕じゃこたえるだろうって水汲みを手伝ってくれたあんたが理由もなく若様に殴りかかったりする?ないわ、絶対。何を隠してるの、秀圭」  「………」  「申し開きもせずだんまり?お役人に引き渡されていいの?私はいや、あんたがいなくなっちゃったらだれが水桶もってくれるの、すっごく重たいんだから、あれ」  気丈に説得しつつ鉄格子に縋りつく。鉄格子を掴む手が白く強張る。執拗な詮索は下世話な好奇心の発露じゃない、主人に反逆した秀圭の身を案じての事。  秀圭の処遇を憂い、無理に笑おうとして失敗し、泣き笑いに似て悲痛な顔で問う。  「秀圭……なにを考えてるの?」  目を瞑る。  瞼の裏の闇に結ぶ面影、水面の波紋。  「………水葬の、蝶」  「水葬の蝶?」  鸚鵡返しに繰り返す遥淋に、無残に腫れた顔で弱弱しく微笑みかける。  鉄格子の隙間から手を伸ばし、遥淋の手を掴む。  「人の身に憧れる蝶々を知ってる……」  「秀圭」  細い手首に指が食いこむ。  遥淋が痛みに顔を顰める。  「姿形に心惹かれた。次に魂に惚れた。あいつは笑うんだ、俺の口に蝶々を突っ込んでおかしそうにけたけたと。自分の名に並べて俺の名を書いた、俺といる間はずっとずっとしあわせそうだった、満ち足りた表情をしていた。うぬぼれでもいい、俺もしあわせだった。自由を恋い慕うなら俺がそれを叶えてやる、どこへでも好きに出歩けるよう何度だって靴をとどけてやる、俺があいつの足になる」  愛してる。  愛してる。  もう泣かなくていい、怖がらなくていい、自分を責めなくていい。  お前には俺が居る。  ずっとそばにいてやる。  お前をつれてどこへだって  「蝶々に、纏足などいらない」  どこまでも逃げてやる。  「頼みがある」  ずるずる這いずって鉄格子ににじり寄り、脂でぎとつく前髪のすだれごしに、強い信念やどす双眸で遥淋を見詰める。  胡蝶を守りぬく。  それが俺の生き甲斐だ。  
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