異形

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異形

 「ねえ春虎は?姿が見えないのだけど」  「どこへ行ってしまったんでしょうね」  「屋敷中さがしたのよ。果樹園も見て回ったわ。けれどいないの。おかしいわ……まさかお父様が」  「ありえません、旦那様がお嬢様を哀しませるもんですか。春虎の働きぶりを認めて婚儀に前向きになってきた矢先なのに」  「最近春虎の様子がおかしいの」  「おかしいとは」  「上の空っていうのかしら、ぼうっとしてることが多くて。この前なんか庭の片隅の槐の大木を見上げて立ち尽くしてたの。どうしたのって聞いたら枝のひとつを指さして、あそこに巣を作ってたカラスはどうしたのか、なんて」  「カラス、ですか」  「おかしいでしょ。春虎は少し変わったところがあるの……きゃあっ」  「大丈夫ですかお嬢様!」  「いやな風ねまったく」  「おぐしが乱れておいでです、なおしましょうか」  「お願い。……本当に春虎たらどこへ行っちゃったのかしら」  不可視の風の翼を広げ空を周回、鳥の視点で地上を俯瞰。  蓮池のほとりで休む奉公人を二人見付ける。  片方の顔に見覚えがある。春虎に頼まれてこのあいだ助けた劉だ。  「楊たちは?また廟か」  「ごさかんだなあ」  「むかしっから春虎にご執心だったからな」  「俺たちも様子見にいくか、舌噛んで死なれてても困るし」  「アイツに自害で果てる度胸ねえって」  「廟に繋いどきゃ安心だ、だれも見にこねえだろうしばれる心配もねえ」  「鬼神の祟りさまさまだなあ」  蓮池の水面が、荒れる。      「お嬢様は知らねえのか」  「口裏合わせてすっとぼけてる。単純だよ、高貴な身の上の自分が下々に嘘吐かれてるなんて思いもしねえ」  「男を食うのは初めてだが……存外悪くねえもんだな、癖になりそうだ」  猛然と吹き付ける旋風に水面が突如として隆起、下働きふたりが錐揉み舞って池に没する。   「助けてくれ、風が……!」  最後の気泡が弾けて消えて、蓮池は元の平穏を取り戻す。     ………クイフェイだって?だっせえ名前だなあ。  悪くないとおもうけど。  俺に名前なんかいらねえ。  あったほうが便利だし、僕がつけたいんだ。  カラスはどうしたんだろう。  カラス?  鬼風が助けたカラスさ。  とっくに巣立っちまったよ。  そうか。  残念そうだな、愛着あったのか。  クイフェイはずっと見守ってあげてたの?  風ンなって飛び回ってりゃいやでも目につくさ。ついでだよ、ついで。  素直じゃないなあ。    物音。  反射的に身が竦む。  本能的な恐怖と生理的な嫌悪で体が震えだす。  「元気にしてたか春虎、会いに来てやったぜ」  扉を開け放ち、大挙してなだれこんできたかつての朋輩たちが、全裸で放置された春虎に暴行を働く。  「ぁう、あふ」  誰かが前髪を掴み、むりやり顔を上げさせる。  「喉渇いたろう」   「みず……」  「今すぐくれてやる」  「!ふぐっ、」  からからに干上がった口腔に生臭い陰茎がねじこまれる。  「拝み伏して啜れ。甘露だ」  幽閉されて何日経ったのか。  一週間は経った気がするが、現実はまだ二日か三日というところか。  いつまで続くこの責め苦は?  楊たちが果てるまで飽きるまで、永遠に続くのか。  発狂さえ許されない無限地獄。    「べちょべちょ舌使い上手くなったじゃねえか、奥のほうまでずっぽりくわえこんで……」  羞恥と酸欠でふやけきった頭を嘲笑が上滑りする。  頭に置かれた楊の手が脂じみた髪をかきまぜる。  春虎は犬だ。  朋輩たちの共有財産、廟に囚われ嬲られる淫乱な雌犬。  楊が、朋輩たちがげらげら笑いながらそう言った。    「楊、俺も……」  「ああいいぜ、後ろを使えよ」  「うあっ、や、痛っう」  ずく、と杭を穿たれる。  「---------っぐぅ、んンぅ!!」  極限まで眼球を剥く。  「苦しそうだなあ、顔が真っ赤だ」  「息吸えねえんじゃなあ」  「だけど前は元気だ、てらてら汁たらしておっ勃ってんじゃねえか」  「女みてえななよっとした面してるくせに勃つもん勃つんだな」  「楊、次代われよ」  「後ろの具合はどうだ、さんざん使い込んで切れちまったか」  「最初はキツくて噛み千切られそうだったけどいい感じにほぐれてきたぜ、ぐいぐい締め付けてくる。肉のついたいい尻だ」  「どうし、て……やぁ、いっ」  尖りきった乳首を爪でほじり、乳でも搾るかのようにねちっこくつまんで引っ張る。  「……どうして、こんな……」  こんなに嫌われてたなんて。  憎まれてたなんて。  「目障りなんだよ」  たったそれだけの理由?  「ほら叫べ、廟の外まで声が聞こえたら誰かがすっとんでくるかもしれねえぜ」  「あっ、はあっ、やっあっひあ!」  因果応報、罰が当たったのか。  今の今まで鬼風を縛りつけ家来として扱ってきた、罰。  「お前を旦那様と呼ぶのなんざごめんだ、反吐が出る。おなじ下働きの分際で見下しやがって」  「みくだしてなんか、ひあっ」  「どんだけえげつねえ事してもだんまりで、どんな無理難題ふっかけても要領よくこなしやがって、むかつくんだよ」  目隠しのむこうに楊がいる。  おそらくは憎憎しげに春虎を睨んでいる。  「抜け駆けは許さねえ」  「!あぅ、ぐ、何」  唐突に体が浮く。  廟に集まる男たちが一斉に口笛を吹く。  「二本挿しって知ってるか」  「孕ませてやるよ、春虎」  叫ぶ、さけぶ、裂ける  「ーーーーーーーーーあッ、ひィっ、あ」  回想の中、連れ添い歩くお嬢様の麗姿は消え、黒い羽を背負う男が現れる。  「すっげ、入るもんだなあ」  「だいぶ緩んでたからなあ。見ろ、こいつ泡噴いてよがってやがる」  黒い羽に遮られ、男の顔は見えない。  腹が破けそうな圧迫感に責め立てられ、自制の飛んだ腰が不規則に跳ね回る。  「生臭せえねあ、匂いがこもってやがる。空気いれかえようぜ」  「おい、勝手なことすんな、声が漏れたらどうする」  「誰もこねえよ。ちょっと扉を開けるだけ……」  鬼風、  鬼風、  たすけて    「招来、鬼風……」  突如吹き込んだ風が、廟に充満する生臭い体液の匂いを薙ぎ払い、無軌道に暴れ回る。    「ぎゃあっ!!」  「なんだ!?」  「わかんねえ、扉を開けた途端にすっげえ風が……」  体内に挿入された杭がずるりと抜けて虚ろが生じる。  「何者だ!?」  鬼風だ。  助けにきてくれた。  「化け物だ!」  「鬼神だ!」  「畜生何がでまかせだやっぱいたじゃねえか、廟に鬼神が封印されてるってホントだったんだ、だから俺あ反対したんだ罰当たりだって……」  「自分ひとりだけいい子ぶんなお前だって攫ってくんの賛成したじゃねえか、ここなら絶対見つかんねえ、お楽しみに邪魔が入らねえって!」  「春虎はどうする!?」  「どうでもいい、おいてけ!どのみち白痴もどうぜん……」  楊の声が唐突に途絶え、続く異様な静寂。  「ひい………」  「……楊?」  鉄と潮の独特の臭気が鼻腔を突く。  あたり一面に充満する濃密な血臭にむせぶ。  静かすぎて不安だ。どうなったんだ楊は、朋輩たちは……  ひどく寒い。瞼を閉ざす。闇が二重に深まる。  力強い腕が闇に堕ち行く春虎を抱き上げる。  あの日、木から転落した春虎を抱きとめたのと同じ腕。  しゅるりと紐がほどけ両手が自由になる。  床に落ちてとぐろを巻く紐に、足首から落ちたもう一本が番いの蛇の如く絡む。  束縛された手足は腱が強張り、圧迫され続けた患部は鬱血のせいでむくむ。  逞しい胸板に頬をもたせ、安らぐ。  「春虎しっかりしろ、今すぐ屋敷に連れてってやるから」  顔が見たい。  今なら顔が見れる。  混濁する意識の中、目を塞ぐ布がわずかにずれる。  酸鼻と猖獗を極めた、死屍累々の地獄があった。  「………………………っ!」  柱の何本かは表面が削げてささくれ、床板は引っぺがされ惨状を呈す。  あたり一面に転がるのは、悶死した朋輩たちの亡骸。  断末魔の苦痛に極限まで眼を剥き、口から泡を噴いた骸の中には、変わり果てた楊もいた。  「どうして、楊、みんな、ああ、」  おそろしい想像に結び付く。  「お前がやったのか!?」  「報いを受けたんだ」  確かに殺したいほど憎んだ、鬼風は手も足も出ない春虎の代わりに復讐を成し遂げた……  「あ、あ、ああ」  こんなこと望んでない  鬼風が勝手にやったんだ  「殺せなんて命令してない、人殺しなんて恐ろしい事お前にさせたくなかった!!」  「ここ何日かずっとお前を捜してた。廟に閉じ込められてたなんて気付かなかった。いやな思い出があるこの場所を俺はずっと避けていた、もう少し早く気付いていりゃあ……」  春虎を抱く腕に力がこもる。  肉声と実体を伴い、鬼風が呟く。  「すまねえ、許してくれ、春虎。守りきれなかった」  春虎の下肢を伝い、鮮血が点々と床を叩く。  鬼風が見たい。  目隠しがひとりでに舞い落ち、春虎はとうとう愛しい鬼風と対面する―    見た事を後悔する。  「ーーーーーーーーーーーーーーっ!?」  舞い落ちる目隠しのむこうに垣間見た鬼風の素顔、目鼻口が本来あるべきはずの場所にない、狂気の絵師の産物のようにそれらは歪む。  正視に耐えかねる戦慄。  これが鬼風。  僕の友達?  目にしたのは一瞬、だから命は取り留めた。  凝視し続ければ耐え切れず心臓が発作を起こしていた。  ぴちゃぴちゃ血の海を這って逃げる、朋輩たちの無残な死に顔が瞼に焼き付く。  「春虎?」  「化け物………っ」  貧血から来る眩暈に襲われ、胃の内容物を嘔吐する。  おぞましい、おそろしい、気持ち悪い……  失神寸前に春虎の目が捉えたのは、世にも醜い異形の姿を描いた掛け軸だった。 
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