#5 大統領アイル・イクリプス

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#5 大統領アイル・イクリプス

 天空からやってきた赤い甲冑の女は、シュウに向かって問いを投げた。 「私を呼んだのは、君か?」  シュウの返事はなかった。  なぜならば、さっき空に叫んだのは、文章と発音パターンからなんとか言葉を紡いだだけで、口語のアルテミア語は理解できなかった。 「確かに、ここの魔力は少ないな」  甲冑の女はそういうと、座り込むシュウの手をとって握りしめた。  サテンのような何かの薄い生地のグローブに包まれたその手は、意外なほど温かかった。 「少し痛むかもしれない。アクセデンタム・テディアム(神々が認めた能力の開放)!」  彼女がそう言葉を発すると、彼女の手に魔力が集中し、それはより強く熱を帯び始めた。  十分な魔力が両手に集まると、女はそれをシュウに流し込んだ。  このときシュウの全身を魔力が駆け巡り、同時に激痛が走った。  シュウの目の前には、何か文字が浮かび始めた。  それは空間に浮かんだ文字というよりは、シュウの脳裏にインプットされていくアルテミア語の情報の投影であった。  これはこの先起こる何かに比べれば、きっと大したことない——そう言い聞かせて、彼は痛みを前に歯を食いしばった。  ほどなくして、シュウの激痛が治まった。 「能力の開放」に成功したのだ。女は改めて問いを投げた。 「私を呼んだのは君か?」 「あ、はい、僕です」  シュウは会話が成り立ったことに驚いた。  しかし、さっき自分の中に起こったものが「言語にまつわる何か」であることが、直感的にわかっていた。 「やはり君がそうだったのか、ありがとう。自己紹介が遅れた。私の名はアイル・イクリプス。あそこに浮かぶ国家『アルテミア』の大統領だ。以後、よろしく頼む」  アイルは軽く一礼した。  シュウも挨拶しようと立ち上がった。  緊張で震えていた体は、なぜか冷静さを取り戻していた。 「僕は知夜詩(しるよし)シュウと言います。言語学と、人工知能の研究をしている学生です」 「なるほど、言語学か。さっき魔力がなかったところを見ると、君は自力であの手紙を読んだのか。そして今こうやって会話ができるようになっているから、君に魔法を与えたのは正解だったようだ」 「やはり、魔法ですか」 「ああ。君がいま発動している翻訳魔法はおそらく能力のごく一部にすぎない。そもそも君はいま魔法を発動していると思っていないんじゃないか?」  シュウが自分の内側に意識を向けると、どこかくすぐったいような感覚があった。  おそらく、これが魔力なのだろうと思った。  そして、シュウはその感覚が、自分の前方のアイルに向かって延長していることに気づいた。 「確かに、魔法が使えている感じがします」 「そうだろう。やはり無意識に使っているのか。魔導師としての素質は十分なようだな。そういえば、さっき聞き忘れたことがある。聞いてもいいかな?」 「はい、なんですか?」 「人工知能というのは、一体なんだ?」  シュウは、一体どうやって説明したものかと考える。  そもそも魔法国家に「科学」はあるのだろうか?  しかしシュウはむしろ彼女に聞きたいことが多すぎたので、その思いを一言で口にした。 「これは僕の考えですが、人工知能は、人類の夢を叶えるものです」 「アハハハ、なんだそれは。魔法みたいだな」  少し大きな、堂々とした声を上げてアイルは笑った。 「さて、もう少し聞きたいことがある」  アイルは、シュウの目をしっかりと見つめたまま、そう言った。  聞きたいことが山程あるのはシュウも同じだった。しかしアイルの凛とした風貌と気高さの前に少し尻込みした。 「空から地上を見たとき、地上はひどい有様だった。一体何が起こったんだ?周囲の空間からは魔力場がだいぶ消失しているように感じる。まさか『ラグナロク』の前兆か……」 「いえ、巨大地震が起きたんです」 「地震だと?」  アイルは地震のことを知らなかった。  天空国家たるアルテミアは、地震とは無縁であった。 「地震というのは、地球のプレートの歪みによって起こる自然現象で……」  やはり説明に苦慮する。  しかしそのとき、さきほどアイルが口にした『ラグナロク』の意味がシュウはわかった。  さっき魔法が流れ込んだとき、アルテミアの人々が使うこの言葉も同時に自分の辞書に刻まれたのだと、シュウはそう理解した。  ならば、逆にアルテミアの言葉でこの世界について語ったほうが話は早い。 「『地震』というのは、『雷を司る神(ユーピテル)』の怒り——つまり雷——の真逆の事象です。しかしそこに神の意志はない。神々の意志がない大いなる怒り——これを僕たちは『災害』と読んでいます」 「なんと、驚いた」  アイルの驚きは2つあった。  1つ目は、シュウがアルテミアの概念を用いて、アイルでさえ知らないこの事象を説明したことだった。  2つ目は、この無慈悲な大災害に対して、『神々の意志はない』とシュウが断言したことであり、彼女からすれば想像さえもできないことであった。  アイルは表情を変えることはなかったが、シュウの言葉は彼女の胸に突き刺さっていた。 「この世界の混沌は神の意志とは関係なく発生するということか。なんて無慈悲な……」  彼女は言葉をつまらせた。  アイルはやや思い込みの強い性格であった。  この無慈悲な大災害に対しての助けをシュウが求めたのだと、アイルはそう解釈した。 「神の意志がそこに介在しないならば、私の魔法で対応できる。そのために私がここに来た。きっとそういう運命なのだろう」  シュウは少し戸惑った。  彼が空に向かって叫んだのは、悲鳴というよりはむしろ、天空国家の大統領から手紙が届いたという事実に対する高揚感によるものであったからだ。  しかしいずれにせよ、これは状況を悪くすることは決してないと、まっすぐな目をした彼女を見てそう思った。 「はい、どうかお願いします」 「承知した。『天と地の契約』を結ぼう。シュウ、君は何ができる?」 「えっと、大したことはできないのですが——アルテミア人と日本人は僕の魔法で会話ができるようになる。そんな気がします」 「十分だ。契約を結ぼう」  二人は手を取り合ってアルテミア語で詠唱を始めた。  少し涼しい風が2人を取り巻いた。  壁と床、そしてベッドや机などの構造物から、何本もの曲線が黄金比を保つように揺れ動きはじめていた。  契約の最後の言葉を紡いだ。 「『天と地が緩やかに融合するとき、世界が調和に満たされんことを!』」  契約が終わったとき、ドアの開く音がした。 「シュウ!大丈夫か、えっ……」  ドアを開けたのは、原子炉の修復を始めようとしていた百合ヶ丘ランであった。
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