#7 現れては消える真実

1/1

0人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ

#7 現れては消える真実

 原子炉建屋に向かうランは、ある時点で後ろに倒れた。  というより、何か電流のような強い衝撃を受けて跳ね飛ばされたようだった。  科学者の本能として、ノートパソコンを抱えるように守った。  アイルは思わず自己転送(ワープ)して、倒れそうになるランの体を拾い上げた。  ランの体がかなりの熱を帯びているのを感じた。 「大丈夫か?」 「ああ、ありがとう」  アイルの腕の中で、ランの声は少し震えていた。  続いてシュウが駆け寄ってくる。  ランは「降ろしてくれ」と、アイルにささやいて、彼女の腕から降りた。 「先生、大丈夫ですか?」 「ああ……シュウ、手元の放射線測定器を少し、ほんの少しだけ……前に出してみるんだ」 「はい、わかりました……」  おそるおそる、放射線測定器を持った手を前の方に出す。  数値が上昇していく。  3.12マイクロシーベルト、3.17マイクロシーベルト。  そしてある時点で、なにか見えない壁に軽くぶつかったような感触がした。そのとき、数値が急激に上がった。  21マイクロシーベルト、35マイクロシーベルト。  思わず手を引っ込めた。数値が元に戻っていく。  白い息を吐きながら、ランは推測した。 「どうやら事態はもっと深刻だったらしい……なんらかの『壁』が存在するとしか考えられない」  アイルはそこにある「壁」が何であるか、理解できた。 「魔力結界が張られている」 「そう解釈するのが妥当だろう……」 「しかし、この魔力はなかなか強いが、気づかなかった……その存在すらも隠していたのだろうか?」 「アイルが気づかなかったのなら、そうかもしれない……」 「ああ、だが……魔術師の気配は感じない。どうやらある時点からここに永続的に存在している、そんな予感がする。まさか、ここが魔力源だったのか?」 「なるほど、魔力源か……」  ランは思考を巡らせた。  実は彼女は昔、もし魔力源とか、それに類似する存在があったとき、それが世界にどういう作用を及ぼすか、科学的な観点で考えたことがあった。一種の思考実験であった。  しかしそのようなものに対して研究をすることは、あまりにバカバカしいと思っていたから、すぐに飽きてしまったのだった。  だが、それがいま、目の前の現実として存在するかもしれない——。  少しの沈黙のあと、彼女は結論を口にした。 「魔力源自体はおそらく、目の前のこれではないが……80%くらいの確率でこの近辺か、少なくともこの都市——東京のどこかに存在する」  アイルは同意した。 「私もそうだと思う。ひとつ付け加えるならば、少なくともこの周囲20ディスティ(1200メートル)以内には存在しない——なんらかの方法でここに送られてきているらしい」 「先生、アイルさん、1ついいですか?」  ランとアイルはシュウの方を振り向いた。 「結界に日本語が書いてあります——いや、厳密には、日本語の文字としては直接認識できないのですが……なんらかの伝達手段(プロトコル)が存在するみたいで、これは日本語によるものだと、僕はそう感じます」  シュウはさっきアイルから魔力を受け取って「発現」した「言語に関する」能力の一端で、何かそこに存在した意図とか、痕跡を感じ取ることができるようだった。少なくとも、彼はそう感じた。  アイルは真っ直ぐな目をしていた。 「シュウ、君の言うことを信じよう」  一方のランは眉をひそめていた。 「シュウ、君の言うことは正しいだろう……いや、正しくなくとも君は嘘を気軽につけるような人間ではない……しかし、なにか気に入らない」  ランは目の前に存在する大きな謎が、結局のところ科学的な手続きによらず、シュウの「魔法」という、一種の神託機構(オラクル)により解決されることが気に食わなかったのだった。  ランはシュウに質問をぶつけた。 「2つ質問しよう。まず1つ目。君は科学と魔法、どっちが優れていると思うかい?」 「そう言われると……いや、僕が感じているのは、2つは『剣と盾』のような相補的な関係——そして科学は『剣』、魔法は『盾』だと、そんな気がします」  ランは少し沈黙した。やがて、納得した素振りを見せた。 「そうか、答えとしては85点というところかな。十分だ」 「ありがとうございます」 「そして、2つ目の質問だが——君は私とアイル、恋人にするとしたらどちらだろうね?」  シュウは戸惑い、思わず赤面した。  アイルも、自分の名前を呼ばれて振り向いた。  ランは、どういうわけか、ときどきこのようなからかい方をするのだが、シュウはそれが苦手だった。 「ええっと、いま言う話ではないですよ!」 「なるほどねえ、こっちは今日も0点だ」 「ふふっ、仲がいいのだな」  アイルはランの方を見て笑みを浮かべていた。ちょっとしたわだかまりが溶けたような気分になっていた。  しかし、どこかランの声は冗談をいった割には、決して笑っていないようにも聞こえた。 「まあ、シュウ、君がこれから言うことは信じるよ」 「わかりましたよ」  ——ところで、天空国家アルテミアがこの世界に現れたとき、なぜ空が一気に晴れたのだろうか?  ランとシュウは、それは城の登場に伴うなんらかのエフェクト(作用)であると思っていた。  アイルは、そもそもアルテミアを転送するとき、この世界のそこが雨であることを知らなかった。  何かがおかしかった。  いずれにせよ、確かなのは原子炉に向かっているこのとき、急激に空が曇り始めていたことだが、三人はそれに気がついていなかった。  シュウは深呼吸をした。  さっき使うことができた「言語に関する魔法」の感触をイメージしながら、結界に向かって呪文を口にした。 「真実に立ち向かう扉(ドア・トゥー・ザ・トゥルース)!」  結界から何かが剥がれてくる。よく見るとそれは文字だった。  バラバラになった文字は空中に集合し、そして秩序を持ちはじめて自分がおさまるべき位置にパズルのピースのようにはめられていくようだった。  そして、1つの文章が現れた。そこにはこう書かれていた。  ——君がこの文章を読んでいるとき、そこには2つの可能性がある。  ——ひとつは君が「この結界」にふれる以前から魔術師だった可能性、もうひとつは「この結界」に触ったことで魔術師になった可能性だ。  ——元々魔術師だった者(前者)なら君は幸運だった。この結界に能力を与えられたものは、同時に「守るべきものを守る運命」を背負わねばならないのだから。  ——いま魔術師になった者(後者)なら君は本質的に孤独になる。しかし君がいま手にした魔術はすべてを凌駕(りょうが)するだろう。「守るべきものを守る運命」を果たすために。  ランの体は熱を帯び、ガタガタと震えていた。  実はさっき、魔力結界に触れたとき、自分が何か恐ろしい能力を持ったことが直感的にわかった。というよりも、その能力の強大さゆえに、思い知らされたという方が正しいかもしれない。  しかし、結界からにじみ出るその文章(現実)を読むまで、そのことを認めたくはなかった。  ——沈黙が流れた。  やがて、ランの震えは止まった。  彼女は決意した。  彼女には「守るべきもの」があった。  ——厳密には、その「守るべきもの」は実はまだこの世界には存在しない——それはこの先の物語で彼女が「創造」することになる。  放射線を遮断している目の前の結界に向かって、ランは歩き始めた。  雨が降り始めた。  彼女の頬は濡れていた。  そして結界に触れたとき、ランはこう言った。 「あまりにも過剰なる真実の消失(ドロップアウト・オーバーラーニング)……」  そのとき、そこにいた彼女は、消えた。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加