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忘却勇者
突然だが俺には記憶がない。
ついさっき目覚めたばかりだが、なにも思い出せない。
「う!」
頭部の痛みに声をもらさずにはいられなかった。
どうやら頭をぶつけた拍子に記憶を失ったらしい。そしておそらくその原因は。
「フハハどうした、貴様らは所詮その程度か!」
あれだ。
頑丈そうな柱が建った広くて禍々しい空間に、見たこともないどでかい化け物がいる。鱗で覆われた皮膚、鋭い爪に牙。
絶対にアイツに吹っ飛ばされたのだと自信を持って言える。
「くっ、なんて強さだ」
「諦めないわよ、こんな所まで来て負けられない!」
とか言って頑張っている人達がいる。
たぶん一緒にあれに立ち向かう仲間なのだとは思うが、やはりなにも思い出せない。そもそもなにあのでかい奴。なんで俺こんな場所にいるの?
「おい、大丈夫か?」
と、声をかけてきたのは青い法衣を着た若い小柄な男だ。
「ったく無茶するからこうなるんだよ。ほら立って、二人が魔王をひきつけている隙に早く!」
「いや待て待て、おめー誰だ?」
「あ? なに言ってんだ」
なぜか化け物の方へ連れて行かれそうになるが、状況もわからないのにあんな所に行きたくない。
「お、俺はなにも知らない。もう帰る!」
「ふざけんなテメー!」
「ぐふッ」
咄嗟に逃げようとしたら足を掴まれ、勢い余ってその場に一緒に倒れ込んだ。
「信じてくれ、俺はなにも覚えてないんだ」
「最終決戦まで来て現実逃避するな!」
「本当だ! 記憶がないんだよ! 俺が誰で、ここがどこなのか。そしてあれがなんなのかもさっぱりわからない!」
魔王とか呼ばれている化け物を指さしながら言うと、男は愕然とした面差しになった。
「マジかよ。普段から空気の読めない奴だと思っていたが、こんな時に記憶喪失なんて」
「とりあえず状況の説明をしてくれ」
「まずお前は勇者。世界を救う為に選ばれた」
「誰に?」
「今はそれを気にしている場合じゃないでしょ!」
「はい」
「俺らは一緒に旅をして来て、やっと魔王との最終決戦に挑むことになった」
言われ、魔王と戦っている二人に視線をやった。
「ウフフ楽しいわ楽しいわ」
とか言いながら武闘家の女がハイになっている。
「ハァハァ僕が彼女を守る」
とか言いながら顔面がぼこぼこに腫れあがった戦士が悶えている。
「なにあれモンスター?」
「仲間って言ってるでしょ! さっき敵の攻撃で顔面崩壊して不細工になってるだけ」
「お前も仲間なの? 魔法使い?」
「賢者だってば。ちなみについさっき魔王の第二形態を倒したばかりだ」
「あーあれ第三形態なんだ」
こちらの態度に、賢者はいかにも歯がゆそうな表情をしてくる。
「アンタ達いつまでさぼってんの!」
別の声が降ってきたかと思いきや、いつの間にかこっちにやって来ていた武闘家に殴られた。
「痛いじゃん!」
「痛いじゃんじゃないわよ! さっさとあれ倒さないとアイツが持たないの!」
武闘家の言っている通り、戦士の方は「ハァハァおじいちゃんが川の向こうで手を振ってる」とか言って瀕死状態だ。
「そう言われても俺記憶が」
「待て!」
賢者が急に待ったをかけ、小声でひそひそと言って来る。
「この件は黙っていよう。こんなことで味方を動揺させられない」
「いやこんなことって言うけど俺には大問題」
「それに魔王にバレたら隙を突かれてしまう。記憶がないことを気付かれないように演技して戦うんだ」
「なにその無茶ぶり」
「ぐはは! 勇者よ早くかかって来い!」
魔王は高笑いしながら暴れている。
このままやられるわけにもいかないし、とにかくやるしかない。
「仕方ねえ、俺のアドリブスキルが火を噴くぜ!」
半分以上自棄になりつつ、なるべくカッコよく見えるように剣を構えた。
「魔王よ覚悟しろ、なき祖国の為に貴様を倒す!」
「いやお前の国滅んでないから」
「そういうこと早く言ってよ」
このやり取りに、魔王も仲間もなんとなくきょとんとしている。
「えっとー、とにかく行くぜ!」
俺は魔王に切りかかった。
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