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未来.1
ストリートを望むスタジオの一室。一人の雑誌記者が熱心に相手の話を聞きとっていた。手櫛でまとめただけの金色の髪が、小さな頭の動きに合わせてふるりと揺れる彼女はまだ若い。その目は世界中のどんなことも知りたいのだとでもいうように、好奇心にきらきらと輝いていた。
その向かい、彼女と同じ背の高いスツールに腰掛けインタビューに答えているのは三十前後の男。彼の手にあるトランペットは、スタジオの照明を跳ね返してインタビュアーである彼女の瞳と同じようにきらきらと光っている。よく見れば小さな傷は付いているけれど、それは長年使われてきたからこそであって、とても大切に扱われているのであろうことは青年の触れかたを見ればわかることだった。
「日本人であるあなたがこの国で成功するのはとても大変だったと思いますが」
「成功と言えるかはわかりませんが、そうですね。未だに言葉も通じないことがたまにあるし」
「まさか」
そこで青年はトランペットをつるりと撫でながら苦笑した。その仕草は先ほどから何度か見られたもので、きっと癖なんだろうと記者である彼女は思った。
「ここに来たときにはそれなりにもう大人だったけど、どうにも子供のように見られてしまうから、スタジオに入るだけでも一苦労でした」
彼が渡米したのは二十歳のとき。それでもこの異国の地ではアジア人である彼は子供に見えてしまうらしく、何度か面倒事になったこともある。一度は警察に突きだされてどれほど慌てたか。
「それでもあなたはここで有名になったのですね」
「まだまだです」
はにかんだような笑顔を見せる青年は、確かに記者である彼女よりいくつか年上のはずだったけれど、同じくらいか、もしくは彼女の弟と同じくらいの歳に見えた。
「日本人は謙虚だと言いますが本当なんですね」
「そんなことはありませんよ。謙虚だけじゃこの国はやっていけないから。虚勢ばかりです」
「苦労されたんでしょうね」
「まあそれは想定済みのことでしたし。それに俺にはこれがあったから」
青年が優しい顔をして彼の手の中にあるトランペットを見る。
「こいつだけが俺の支えというか。武器であり、お守りでした」
「辛いときもそれがあるから乗り越えられた?」
彼女の若者らしい率直な言葉に青年は少し照れたように笑う。
「そうですね。辛い時はこいつを吹くと前を向くことができた。まあアパートで吹いて隣からものすごく怒鳴られた時は怖かったですけど」
自分よりはるかに大きなおばさんが、と青年のおどけたような言葉に彼女はくすくすと笑う。
「故郷のことを思い出して帰りたくなることはある?」
インタビューとは別に、彼女が砕けた口調で尋ねる。青年ほどではないけれど、彼女もまた記者になるという夢を追ってはるか田舎からこの大都会に出てきた。ずっと使い続けているこの手帳は、故郷を離れる時に父がくれたものだ。若く、女である彼女もまたこの世界で悔しさを感じながらそれでも毎日戦って来た。悔しくて泣いたこともあったけれど、この手帳の柔らかな皮の表紙に触れると勇気が湧いてくる。
だから遠く異国からやってきたこの青年にふと、戦友のような気持ちが湧いたのかもしれない。
「そうですね……辛い時はいつでも日本のことを思い出します。家族や、友人たち。それから過去のたくさんの思い出と」
遠い目をした青年は、窓の外に見える雑然とした街並みではなく、彼女の知らない遠い故郷の風景を思い描いているようだった。
「確かに帰りたくなることもあるけれど、それと一緒に思い出されるいろいろなことがあって。やっぱり頑張ろうと思うんです」
日本にいる大切な人たちを想いながら彼は言った。遠い故郷に思いを馳せる青年の言葉を、記者である彼女は大切な宝もののように、その使い込んだ手帳に書き込んだ
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