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現在.1
俺たちが出会ったのは中学一年の春、部活とは名ばかりの吹奏楽部の部室だった。新しいクラスには小学校から仲の良かった友人が少なくて、俺は一人で音楽室へ向かった。どきどきしながら入った音楽室には誰もいなくて、拍子抜けしていた俺の後ろから「なんだよ」とぼやきながら入ってきたのが最初の出会いだった。
「ブラスってここだよな?」
「うん、多分」
部活をやっているはずの音楽室には誰もいなくて、まるで初対面の俺たちは二人並んで途方に暮れた。
「活動してないっぽいな」
「みたいだな」
そういうことは入る時に教えて欲しかったなと思う。卒業した小学校には本格的な音楽クラブなどなかったから、中学に入学して吹奏楽部に入ることを楽しみにしていた俺はがっかりしていた。ここにいても仕方がない、と帰ろうとした俺は呼びとめられて振り返った。
「準備室開いてるべ」
迷いもなく入っていく後ろ姿を、勝手に入ってはまずいのではないかと慌てて呼びとめようとしたけれど名前も知らなくて、結局その背中を追った。大丈夫だと根拠はないはずなのに自信たっぷりに笑うのにつられて俺も音楽準備室に入った。
準備室の中はどことなく埃っぽくて、独特のにおいがした。雑然と置かれているパーカッションや譜面台。壁には色の変わった表彰状がかけられている。俺は棚に並ぶ埃をかぶった楽器のケースを順に見て行く。その中の見慣れたサイズのケースを一つ開いた。
「それなんだっけ」
「トランペット」
よく手になじむ冷たい感触のそれは、表面は少し曇っているけれど前に使っていた人が大切に手入れしていたんだろう、磨けばきっときれいになるはずだ。ピストンを押してみると少しだけ戻りが悪かった。
「お前それできんの?」
「まあそれなりに」
「へーマジかすげえ」
「お前は?」
「全然。俺はさ、あれ見てやりたくなったんだよ」
そう言って少し前に公開された、吹奏楽部を舞台にした映画の題名を口にする。ミーハーだろと臆面もなく笑うからつられて笑ってしまった。
「俺はじいさんがトランペットやってて、家に行くたびに教えてもらってたんだ」
お前は、と聞かれて俺は答えた。祖父の家にはいつも音楽が溢れていて、そのほとんどがジャズだった。小さい頃の俺は音楽が好きだったと言うよりはレコードをかけるという行為が好きだったのだけれど、今でもよく馴染むのはジャズの軽快なメロディだった。
「いいなあ、ちょっと吹いてみて」
「手入れしてなさそうだけど大丈夫かなこれ」
祖父が亡くなって以来触ることもなくなっていたから音が鳴るかは分からない。それでも懐かしくて、ひんやりとしたマウスピースに口をつけると息を吹き込んだ。
「おー!」
少しこもった柔らかいソの音。
「すごいななんか感動する」
ただ音を鳴らしただけなのに、よほど感動したのかやたらとすごいを連発されて俺は少し照れた。
「久しぶりだから息が切れる」
「俺も吹きたい」
「多分ならねーよ」
案の定力いっぱい息の吹きこまれたトランペットは音が鳴らなかった。俺は初めて祖父のトランペットを聞いて、自分でもやりたいと思い切り息を吹き込んだ時のことを思い出した。あの時は全然音が鳴らなくて、大泣きして祖父を散々困らせた。
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