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とあるこたつでの話
「お前ってさ、浅野のこと好きだったの」
「は?」
「好きだったのかって」
矢沢がオーナーをしている店の二階、事務所兼自宅になっている2LDKの一室。客が引けたところで店を閉め、二階のリビングでこたつに入り飲み直していた。二人とも酒は強い。だから酔っているわけではないよなと思いながらも確認した。
「酔ってねえよ」
「じゃあなんだ」
「だーから、お前は浅野のことが好きだったのかって聞いてんだっつーの」
「なんで今さら?」
浅野は中学の時の同級生だった。三年の夏、交通事故に遭い亡くなっている。あの時は突然の出来事に、感情の一部が機能不全を起こすぐらいの喪失感があったけれど、今はただ胸の奥の方が微かに切なくなるぐらいだった。もう三十年近く経とうとしている。
「ちょっと思い出しただけだ」
「ずいぶん古い話を持ち出すな」
「で、どうだったんだよ」
「なんでそんなこと気にするかな」
銀行を辞めてから、俺は矢沢が経営するジャズバーを手伝い始めた。特に相談したわけではなく、矢沢から手伝って欲しいと言われたわけでもない。それでも俺は仕事を辞めた次の日には店のカウンターの中にいて、黙々と酒を作り、トランペットを手にした。そして今は、ずっと住んでいるマンションこそ引き払ってはいないが、ほとんどこの部屋で半同棲状態だった。
本当に、いまさらだ。
「俺はさ、お前の遍歴をなんとなく知っているわけだ」
「なんの」
「恋人の」
「ああ」
微妙な距離感を保っていた俺たちは、互いに相手がいるらしいことを感じ取ると少しだけ距離をとった。だから詳しくは知らないが、いつ頃に恋人がいたのかはなんとなく知っていた。
「でもさあ、出会う前のことは知らないじゃねえか」
「県外に行ってる間のことも知らないだろ」
「まあ、そうだけど。でもあいつから聞いたりもするし」
そう言って上がった名前は、今でも時々会って飲んだりしている大学時代の友人だった。この店にもたまに来るから矢沢とは顔見知りになっている。
「でも中学の時のことは聞いたことがない」
「そうだな」
「それになんつーか、ちょっと聞きにくいだろ。浅野のことは」
「聞いてるじゃないか」
「だから三十年も経ったいまさら聞いてんだって」
「なるほど」
それでどうだったんだよ、と俺の向かいで矢沢が促す。俺は考えながら日本酒の瓶を手に取る。グラスに氷を入れて注ぐと、ミネラルウォーターで割って指でくるりと混ぜる。慣れたものだ。
「正直に言えば、分からない……かな」
「あん?」
「達也……浅野と一緒にいた時間は中学時代の誰よりも長くて、一番仲が良かったのは確かだけど」
あの濃密だった、友人の範囲をはみ出した距離感。だからこそ。
「よくわからないんだ」
「何がだよ」
「あまりに近すぎて。好きだったといえば好きだったよ。ずっと一緒にいたし、間違いなく一番仲が良かったと思う。ただそれがどういう好きだったかっていうと、今となってはよく分からない」
俺にとって達也は中学時代そのものだ。思い出というよりは、あの頃の記憶の全てに達也がいる。
「達也はもう、恋だとか友達だとかそういうのじゃなくて。何に例えようもない、他の何とも違う存在なんだ」
達也が俺をどう思っていたのかは知らないし、俺自身あれが恋だったのか分からない。けれど何かのきっかけさえあればそれは、はっきりとした形をしていたのかもしれない。
俺がぼんやりそんなことを考えていると、目の前の矢沢がわざとらしいくらい大きなため息をついた。
「なんだよ」
「生きてる方が圧倒的に有利なんだけど」
「うん?」
ずるずるとこたつに突っ伏した矢沢が自分の飲んでいたグラスを押す。まだ少し残っているそれを、俺は矢沢の手元から離した。
「わかってはいるんだけど、なんかこう」
「なんだよ」
「死んだやつに負けることはないけど、絶対勝てもしないんだよな」
珍しく愚痴っぽい矢沢に驚いていたが、やがて俺は笑い出した。
「……笑うなよ」
「いや、お前でもそんなこと思うんだなと思って」
「はいはい、どうせ死んだやつに嫉妬する小さい男だよ俺は」
「別にそんなことは言ってないけどな」
俺は顔を上げた矢沢の首に手を添えると顔を寄せる。やがて没頭して、口の中に残ったお互いのアルコールを飲み干すようなキスだった。離れると憮然とした顔で俺を見ている。
「安心しろ、少なくともあいつとはこんなことしてないから」
「ああもうマジで酔った。寝るぞ」
バーなんてのはお昼に起き出したって特に支障はない。営業時間なんてあってないようなものだから、ずいぶん気楽なものだ。明日はゆっくり起きて矢沢に昼ご飯を作らせよう。大人の夜は長い。あの頃の俺が知ったなら、白い目で見られそうだ。
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