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隣に住む人
羽矢は信夫が来ると並んで歩き出した。
「観光ですか」
「うん、そんな感じ」
「おひとりで?どちらからですか」
「横浜です。新横浜駅から新幹線でね」
「言葉が違いますもんね」
「あなたも生粋の関西人じゃあないね。どこだろう、北陸かな」
「なかなか鋭いですね。石川です」
「金沢か。あそこもいい街だよね」
信夫は羽矢に愛想を言った。
「コロナで大変みたいですよ。この辺も一緒ですけど」
「確かに。世界遺産に登録されたにしては静かだね。平日だからかな」
「それがあんまり盛り上がってないんです」
「なるほど、だから映画作ろうってのか」
ん?羽矢には初めて聞く話だ。「映画作るんですか?このあたりで」
「みたいだよ。堺市がシナリオ募集してる」
「へえー」
五分も歩かないうちに郵便局に着いた。
羽矢は入ってすぐの郵便受付のカウンターに荷物をドンと置いて、「こんにちは。横浜まで荷物ひとつ」
と言ってから、信夫の顔を見て、ネッ、と確かめるように聞いた。
信夫は苦笑いしてうなずいた。
カウンター内の受付担当局員が横浜の何区かと聞き、信夫は鶴見区だと答えた。
「明日の夕方六時以降で都合のいい日や時間はありますか」続けて局員が聞いた。
「ええっとね、不在にしてるから一週間後でもいい?」
「結構ですよ。では送り状に記入お願いします」
信夫は送り状にペンを走らせ始めた。
横で羽矢がじっとペン先を見つめているので、
「僕ひとりなので、帰ってから受け取るんです」と説明する。
「へえ。一週間もこっちに。どこ観光に行かれるんですか?」と聞いて、
「佐々木さん」と続けた。
「あ!見たな」と信夫は大げさに送り状を手で覆い隠した。
「えへへ、ごめんなさい」
羽矢は舌をチョロッと出して笑い、
信夫は笑顔を返した。「冗談ですよ」
信夫は記入を再開した。
「で、どこに行かれるんですか」
「うん、実はまだ決めてなくてねえ」
と返答に詰まった信夫は再び羽矢に顔を向けた。
すると羽矢は別方向に顔を向けている。
「あれ?」
羽矢はひとりの男に目をやっていた。
羽矢の目線の先に、椅子に座ってスマホを見ている男の姿があった。
「こんにちは」羽矢はこちらに気づいていない男に声をかけた。
男は顔を上げるとにこりと笑いかけた。
「おや、田島さんだ」
彼、酒井達也は隣のアパートの住人で三十歳くらいの独身、コンピュータ関係の仕事をしていて、現在は自宅で在宅ワークの身だとか。
信夫はそんな羽矢に、「じゃあ後は自分でやるから。ありがとう」
そういうと、向こうへ行けとばかりに羽矢の背中を押した。
「すいません、ありがとうございました」
羽矢は信夫に頭を下げて、達也のところに歩いていった。
「お客さん?」達也は小声で聞いてきた。
「はい。私の仕入れたおうちで埴輪作りセット、二つも買ってくれたんです」
「おっ、やったね。さすが義男さんの孫、商売の才能あるよ」
義男とは羽矢の祖父の名前だ。
羽矢はなんとなく信夫を探したが、ちょうど外に出たところだった。振り向きもしないで出て行く信夫を見て、ほんの少し寂しい気持ちになった。
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