もう僕には分からない

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——何が見えますか? 遠くの声に僕は答える。 「小屋です、物置みたいな」 ——それはどこにありますか? 「森です。僕は森の中にいます。迷ってしまって歩いていたら、小屋を見つけたんです」 ——それで? 「雨が降っていて、僕は傘がなくてずぶ濡れで。だから雨宿りできると思いました」 一度会ってみるといいと、その催眠術師を勧めてくれたのは亮太だった。亮太がルームシェア、つまりは僕のマンションに間借りするようになって3週間。僕が不眠症で悩んでいると言うと、手を尽くしてその催眠術師を探し出してくれた。テレビみたいな表舞台には出ないものの相当な腕利きで、悩みのカウンセリングを生業としているという。 おまけに僕が外出嫌いと知り、催眠術師が部屋に来る形で取り計らってくれた。 あまりに有難い話で、亮太に騙されているんじゃと思ってしまうほどだ。確かに亮太には20代とは思えない強かな一面があって、それは10代の頃にヤンチャして、その後もヤバイ場所に出入りしていたからだと分かった。 でも亮太は悪人じゃない。困った人がいたら見捨てずに助ける人だ。僕は部屋を亮太とシェアしていて良く分かった。だから僕は、その催眠術師に来てもらうことにした。 催眠術師は、地味な感じの中年男だった。 彼は僕を座らせると催眠術の効果を上げる薬を飲ませ、小さな振り子を取り出した。いかにもという感じ。これで不眠症は治るのか。 振り子が揺れ始める。 「じっと見てください」 振り子、その向こうに催眠術師の顔が見える。 地味な顔、地味な……。 僕の意識が遠のく。 ——貴方は、森の小屋に入りましたか? 「はい」 ——そこに何がありましたか? 何か嫌な感じがしてきた。 蘇ってきた。 記憶が。 僕は無言でいた。 そうしたら「声」は尋ね方を変えた。 ——そこに誰かいましたか? 小屋には男がいた。 三人だ。 一人は倒れていて、目は大きく見開かれたまま頭から血を流し、胸からも大量に出血して。 「ああ——、男が死んでる」 残りの男たち二人が僕を見た。 ヤバイと思った。 逃げようとした。 でも体が動かない。 予想もしていなかった事で声も出なかった。 早かったのは男たちだ。 一人が回り込み、ドアの前に立ちはだかった。 逃げられない。 もう一人が死体からナイフを抜き取った。 血飛沫が舞ったけれど、男は気にも留めずに僕を見た。 「運の悪い奴だ」 男が近づいてくる。 「ああ」 僕は腰が抜けて座り込んだ。 男は静かにナイフを振り上げる。 帰りたいと僕は強く願った。 自分の部屋に帰って、もう部屋から出ずに。 給料が安いとか彼女が出来ないとか不満ばかりだったけど、それでもいい。自分の部屋に戻りたい! ぱん、と手を叩く音とともに、僕は目覚めた。 催眠術師の顔が正面に見えた。 「今のは一体……」 僕は呻くように尋ねた。 「どうやら殺人現場を目撃したようですね」 「本当にあった事——、なんでしょうか?」 分かっていた。 思い出した。 僕は一人で山歩きしていて道に迷い、雨に降られてあの小屋に入った。そこでは人が死んでいて、殺した男たちがいて、そして——! 「僕は殺された」 「そうです。貴方はもう死んでいる」 「でもじゃあ、なんで僕は今こうして」 「幽霊なんだよ」 催眠術師の後ろから顔を出して、亮太が言った。 「あんたは幽霊なんだ。俺は不動産屋の手伝いをしている。幽霊が出るような事故物件に入居して問題を解決し、転売できるようにする。それで金を貰う」 そうか、僕はもう死んでいたのか。 「——成仏できるだろうか?」 「大丈夫。手伝ってやるよ」 亮太が優しく微笑む。 「やり方はいろいろある。ちゃんと、この世から消えられる方法が」 その時、インターフォンが鳴った。 僕は幽霊だからそれには出たくなくて、でもインターフォンはしつこかった。 亮太は舌打ちすると、玄関のドアを薄く開けようとした。 そのドアがぐっと大きく押し開かれる。 ガラが悪くガタイのいい男が二人、立っていた。 「松尾亮太だな。警察だ」 瞬間、亮太が踵を返した。 男たちが部屋に踏み込んでくる。 亮太と催眠術師は窓を開けて外に飛び出し、それを一人が追う。 もう一人が僕の前に立った。 「大丈夫ですか?」 「亮太は?」 「奴は詐欺師グループのメンバーです。弱っている人を騙して財産を毟り取る。貴方は心を病んでここに閉じこもっていた。奴らに目を付けられたんです」 僕は男を見上げる。 男は、僕が小屋で出くわした殺人者たちの一人にとても良く似ていた。 いや、殺人者本人ではないのか? 男は、僕の腕を強く掴んで立たせた。 「さあ、行きましょう」 え? どこへ? 亮太は詐欺師なのか? この男は刑事か、殺人者か? そして何より、僕は生きているのか、死んでいるのか? 誰か教えてくれ——。
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