1人が本棚に入れています
本棚に追加
——何が見えますか?
遠くの声に僕は答える。
「小屋です、物置みたいな」
——それはどこにありますか?
「森です。僕は森の中にいます。迷ってしまって歩いていたら、小屋を見つけたんです」
——それで?
「雨が降っていて、僕は傘がなくてずぶ濡れで。だから雨宿りできると思いました」
一度会ってみるといいと、その催眠術師を勧めてくれたのは亮太だった。亮太がルームシェア、つまりは僕のマンションに間借りするようになって3週間。僕が不眠症で悩んでいると言うと、手を尽くしてその催眠術師を探し出してくれた。テレビみたいな表舞台には出ないものの相当な腕利きで、悩みのカウンセリングを生業としているという。
おまけに僕が外出嫌いと知り、催眠術師が部屋に来る形で取り計らってくれた。
あまりに有難い話で、亮太に騙されているんじゃと思ってしまうほどだ。確かに亮太には20代とは思えない強かな一面があって、それは10代の頃にヤンチャして、その後もヤバイ場所に出入りしていたからだと分かった。
でも亮太は悪人じゃない。困った人がいたら見捨てずに助ける人だ。僕は部屋を亮太とシェアしていて良く分かった。だから僕は、その催眠術師に来てもらうことにした。
催眠術師は、地味な感じの中年男だった。
彼は僕を座らせると催眠術の効果を上げる薬を飲ませ、小さな振り子を取り出した。いかにもという感じ。これで不眠症は治るのか。
振り子が揺れ始める。
「じっと見てください」
振り子、その向こうに催眠術師の顔が見える。
地味な顔、地味な……。
僕の意識が遠のく。
——貴方は、森の小屋に入りましたか?
「はい」
——そこに何がありましたか?
何か嫌な感じがしてきた。
蘇ってきた。
記憶が。
僕は無言でいた。
そうしたら「声」は尋ね方を変えた。
——そこに誰かいましたか?
小屋には男がいた。
三人だ。
一人は倒れていて、目は大きく見開かれたまま頭から血を流し、胸からも大量に出血して。
「ああ——、男が死んでる」
残りの男たち二人が僕を見た。
ヤバイと思った。
逃げようとした。
でも体が動かない。
予想もしていなかった事で声も出なかった。
早かったのは男たちだ。
一人が回り込み、ドアの前に立ちはだかった。
逃げられない。
もう一人が死体からナイフを抜き取った。
血飛沫が舞ったけれど、男は気にも留めずに僕を見た。
「運の悪い奴だ」
男が近づいてくる。
「ああ」
僕は腰が抜けて座り込んだ。
男は静かにナイフを振り上げる。
帰りたいと僕は強く願った。
自分の部屋に帰って、もう部屋から出ずに。
給料が安いとか彼女が出来ないとか不満ばかりだったけど、それでもいい。自分の部屋に戻りたい!
ぱん、と手を叩く音とともに、僕は目覚めた。
催眠術師の顔が正面に見えた。
「今のは一体……」
僕は呻くように尋ねた。
「どうやら殺人現場を目撃したようですね」
「本当にあった事——、なんでしょうか?」
分かっていた。
思い出した。
僕は一人で山歩きしていて道に迷い、雨に降られてあの小屋に入った。そこでは人が死んでいて、殺した男たちがいて、そして——!
「僕は殺された」
「そうです。貴方はもう死んでいる」
「でもじゃあ、なんで僕は今こうして」
「幽霊なんだよ」
催眠術師の後ろから顔を出して、亮太が言った。
「あんたは幽霊なんだ。俺は不動産屋の手伝いをしている。幽霊が出るような事故物件に入居して問題を解決し、転売できるようにする。それで金を貰う」
そうか、僕はもう死んでいたのか。
「——成仏できるだろうか?」
「大丈夫。手伝ってやるよ」
亮太が優しく微笑む。
「やり方はいろいろある。ちゃんと、この世から消えられる方法が」
その時、インターフォンが鳴った。
僕は幽霊だからそれには出たくなくて、でもインターフォンはしつこかった。
亮太は舌打ちすると、玄関のドアを薄く開けようとした。
そのドアがぐっと大きく押し開かれる。
ガラが悪くガタイのいい男が二人、立っていた。
「松尾亮太だな。警察だ」
瞬間、亮太が踵を返した。
男たちが部屋に踏み込んでくる。
亮太と催眠術師は窓を開けて外に飛び出し、それを一人が追う。
もう一人が僕の前に立った。
「大丈夫ですか?」
「亮太は?」
「奴は詐欺師グループのメンバーです。弱っている人を騙して財産を毟り取る。貴方は心を病んでここに閉じこもっていた。奴らに目を付けられたんです」
僕は男を見上げる。
男は、僕が小屋で出くわした殺人者たちの一人にとても良く似ていた。
いや、殺人者本人ではないのか?
男は、僕の腕を強く掴んで立たせた。
「さあ、行きましょう」
え? どこへ?
亮太は詐欺師なのか?
この男は刑事か、殺人者か?
そして何より、僕は生きているのか、死んでいるのか?
誰か教えてくれ——。
最初のコメントを投稿しよう!