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僕
もう何日も見ている。
ホテルのプールサイドにあるバーの、一番端の席から見ているその光景は、不思議なほど毎日同じように繰り返される。
11月、本格的な雨季にはまだ少し早い、バリ島、ヌサドゥア。昼から夜にかけて雨が降る予報だったけれど、はずれたお陰で、久々に蒸し暑さから解放された。心地よい夜風と幻想的な月の光、そこに波の音が重なり、人間が癒される要素がつまったこの場所を、選んだのは本当に正解だった。
僕が、こんなにも人間らしさを取り戻しているのに、僕が見ているあの人は、全く真逆の光景を僕に見せつける。
あの人の泣く理由は。
1人でバリ島にきた理由は。
こんなにも、僕の心を騒がせてくるのはなぜだろうか。
僕は、芸能人だった。
『久我拓海』
この名前を知らない人は、たぶんいない。
僕は、3歳から芸能界で生きてきて、はじめて出たドラマがたまたま大ヒットしたお陰で、20年間トップスターとしてこの道を走り続けてきた。
夢がどんどん叶っていって、欲しいものはすぐ手にはいって、ハイレベルな生活が出来た
。
でも、そんな一流芸能人の代償が、気づかないうちに僕から色んなモノを奪っていた。
小学校の運動会も、中学の文化祭も、高校の修学旅行も、経験がない。友達とカラオケに行ったり、買い物をしたり、好きな子の話をしたり、自転車で帰ったり・・・
みんなが、普通にしている全ての事に経験がない。最後は友達までもを制限されて、僕の心の中から、どんどん感情がなくなっていった。
自分が好きな食べ物は?
自分が好きな音楽は?
自分が好きな色は?
すべてが作られていた事だから、今ではほんとの事がわからない。自分の事なのに、こんなことさえわからないんだ。
それでも、小さい頃は違った。
大人に誉められる事が嬉しかった。街を歩くとみんなが僕を見てくれて、可愛いと言ってくれて嬉しかった。だから、テレビに出ることが楽しくてしょうがなかった。
だから、一生懸命頑張った。笑えと言われれば笑って、泣けと言われれば泣く。僕は、あっという間に天才子役と言われるまでになり、僕を取り巻く環境が変わっていった。
楽しかった時期は案外すぐに終わっていたのかもしれない。
なにかにつけて、芸能人なんだからと前おきされ、発言や行動は常に監視された僕は、怒りも悲しみも、誰にもぶつけられないまま、芸能人久我拓海を演じることしか出来なくなっていた。
そんなある日、突然のめまいに襲われ倒れた。
病院のベッドで目が覚めた僕は、その日、芸能人を辞めることを決意した。
この選択が、僕の命を救ったとも言える。
なぜなら、倒れなかったらきっと、自ら命を終わらせていたはずだから。
それくらいに、僕の精神状態は、極限に限界だった。
今、僕は23歳にしてやっと自由になった。
これから先の予定なんて何もない。
どこで何をしたっていい。
日焼けしたって、太ったって、何も言われないし、誰にもつけ回されない。
誰にも干渉されず、日常生活を送れることが、本当に嬉しい。
もう、どこで何をしたっていいのだ。
それなのに、どうしたものか。
僕はバリ島にきて、いまだにホテルの中にいる。
やってることといったら、毎日あの人を見ているだけなんだから。
僕は僕を、まだ理解できないでいる。
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