60.新たな神話の始まり(最終話)

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60.新たな神話の始まり(最終話)

 世界はゆっくりと変革を受け入れていく。  鳥の声、緑の木々、木漏れ日の下で女神は微笑んだ。求めていたものはすべてこの手のうちにあり、何もかもが心地よく調和している。吹き抜ける風が悪戯に乱した栗色の髪を、彼女は白い手で押さえた。 「リリト、お茶にしましょう」 「はい、レティシア様」  淡い金髪を揺らして微笑むリリトは、巫女として神の代理たるレティシアに仕えている。以前と同じようで、少しずつ世界は変わっていた。唯一神は人々の歴史や記憶から消されているため、古代神が創造主であると認識されている。  紅茶のポットを片手に優雅な仕草で注ぐ彼女が振り返ると、小さな包みを抱えるクルスが歩み寄るところだった。 「ちょうどよかった。お茶菓子を持って来たんです」  色鮮やかな焼き菓子が並ぶ小箱をのぞきこみ、レティシアがひとつ指先に摘む。その後ろからひょいっと手が伸びて、菓子をふたつ摘んだところで、その手はクルスに叩かれた。 「行儀悪いですよ、セイル」 「育ちが悪いもんで」  悪びれずに、しっかり菓子を確保したセイルが肩をすくめる。しっかりしがみつく吸血鬼の口に菓子をひとつ、残りを自分の口へ放り込んだ。  悪魔も人も共存する世界――誰も争わず傷つけず、傷つかない世界。  創造主である神が望んだ世は心地よくて、静かに時間だけが流れていく。唯一神の記憶と存在が消えてしまえば、人と悪魔の間に争う理由も必然もなくなっていた。  過去の記憶をもたない人間と、過去の遺恨を捨てた悪魔の間で、衝突は起きていない。 「結局、レティシアさんに全部押し付けちゃったね」  クルスの呟きに、栗毛がゆっくり否定の意志を込めて振られた。 「いいえ。私がもっと早く解決すればよかったのです、兄が消えたときに……」  決断は委ねられていた。  だが決断したくなかった彼女の気持ちも理解できる。兄であり片割れである存在を消してしまうなんて……誰にも気付かれず、覚えていてもらえない存在に貶めることになる。迷うのは当然だった。 「まあ、そのうち帰って来るだろ」  そんなセイルの楽観的な慰めに、レティシアの表情がほころんだ。  見上げた空は青く、世界は豊かに広がっている。  ―――この世で伝えられているのは、この世は光溢れる輝きの中から生まれた。という、新しい神話だけ。               The END....or?
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