狼男の姉

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 日が暮れようとしている。職場の工場から軽自動車を走らせ、家路につく。遠くで鹿の鳴き声がした。特に山深い里ではないが、最近は人の代わりによく獣の姿を見る。生まれ育った町は、急速に衰退が進んでいた。  家の駐車場に車を止めると弟が慌てたようにやってきた。 「姉さん、早く」  弟の取り乱した様に今日が何の日だったかを思い出す。 「分かった。すぐ行く」 「先に行ってるから」  弟は家に隣接する畑にある農機具を置いている倉庫へと駆けて行った。  通勤着で「儀式」を行う気はなかったので、まずは家に入り部屋着へと着替えた。それから弟の待つ倉庫へと向かう。  倉庫は鉄筋コンクリート造の頑丈なつくりである。鉄製の重い扉を開ける。なかに入ると空気はひんやりとしていた。  弟は倉庫の奥の太い柱に背をつけ、しゃがみ込んでいた。手には太い鎖。 「ごめん、待った?」  弟は小さく震えながら首を振った。  まったく、無様なものだ。  町一番の好青年と言われていた頃の面影など、どこにもない。  不自然に痩せ、筋肉だけがやたらと目立つ体。頬がこけ、白目が黄色く濁った目玉と尖った耳が目立つ顔。背は低くはないはずなのに、足を抱え背を丸めている姿はとても小さく見える。どうやら獣化が始まっているらしく、手足には煤けた色の縮れた毛が目立っていた。 「じゃあ、やるよ」  弟は小さく肯いた。鎖を受け取る。重い鎖を引きずるようにして、柱の周りを三周した。弟を腹の辺りで柱に拘束する。最後は全体重をかけて鎖を締め上げた。腹を押さえられた弟が、生理的な呻き声をあげるが気にしない。持ってきたタオルを弟に噛ませ、猿轡の代わりとした。  これで弟は遠吠えひとつ出来やしない。これから弟は、一時間ほどかけて狼となる。  倉庫を出る前に柱に縛られた弟をちらりと見る。目があってしまった。今や血走っているその瞳のなかに感謝の意を見て、私は思い切り顔をしかめて見せた。  扉を閉める。ガタン、という大きな音がする。空を見上げる。夕焼けの赤はわずかに残るだけとなり、夜闇が重さを増していた。  今日は新月。月の居ぬ間に星々が遊ぶ夜。田舎町の片隅で我が弟が狼へと変わる夜。
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