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一階をすべて見てまわると、食堂の階段から二階に上がった。
二階には蔵書室やテラス、洋室が五つと子供部屋が二つ、ピアノ部屋などがあった。二階は部屋数が多いこと以外はわりとふつうな雰囲気だ。
だいたいの部屋を見てまわり、七人は廊下を歩いていた。
「すごいな。こんな広い洋館が廃墟だなんてもったいないぜ」
「オイオイ、圭吾。オマエこんな変わった屋敷に住みたいのかよ」
「椿木は広い家って憧れないか?俺ん家はかなり狭かったから、羨ましいんだよ。お、このドアまだ開けてないんじゃないか?」
廊下の突き当たりにある長方形の木の扉を圭吾が指差す。
はやくすべての部屋を確認して、この屋敷をでたい。そう思っていた晋は圭吾が指さすドアに歩み寄っていき、勢いよくドアを開けた。
「バカ、危ねぇっ!」
ドアを開けながら一歩踏み出そうとした晋を、時夜が後ろに引き戻した。
とっさのことに反応できずに、晋は無様に尻餅をつく。
驚いて時夜を振り返ると、珍しく彼は焦った顔をしていた。
「いったいなんだよ?時夜」
「何だよじゃねぇよ、バカ晋っ!前見てみろ、一歩でも出てたら死んでたぞ、オマエ」
「え?」
時夜に促されて晋がドアの向こうを見ると、そこには部屋という空間が存在していなかった。
ただ、真っ青な空が目前に広がっている。
「やだぁ、こわ~い!どうして何もないの?」
「まるで、罠みたいね。どうなっているのかしら、この屋敷」
美沙と朱里が手を取り合って口々に言う。八重子はその一歩後ろから驚いた顔でドアの向こうを眺めていた。
「だいじょうぶ?晋くん。ケガとかしてない?」
「本当に怖いわ。よかったわ、晋くんが落ちなくて」
甘ったれた声を出しながら美沙が顔を覗き込んでくる。朱里も心配そうに眉を下げてこちらを見ていた。
晋はまだ放心して床に座り込んだまま辛うじて「ああ」と短く答えた。
「私も怖かった。月島君、下手したら落ちて死んでいたかもしれないもの」
普段は無口な八重子までも声を掛けてきた。彼女の顔は美沙や朱里以上に真っ青になっている。
「肝が冷えたぜ、月島。ナイスセービングだな、時夜。さすがの反射神経だ」
圭吾に褒められて、時夜は得意げな表情を浮かべた。しかし、なんとなくその顔色は冴えない。
「マジでオレすげーナイスだったろ。でも、オレもひやっとしたぜ。晋、無事か?」
「ああ、平気だ」
みんなが心配そうに声を掛けてくれるなか、和樹だけがいいザマだとでも言いたげな顔をしていた。
「助かった。本当にありがとう、時夜。お前がいなけりゃ落ちていたかもしれねぇな」
「いいってことよ。オマエが無事でよかったぜ」
晋は立ち上がると、尻についた埃を払った。この屋敷は本当に妙な造りのようだ。これからはもう少し慎重に行動しよう。
二階から降りると、七人はソファのある応接室に集まった。
「怪物はいなかったね。ちょっと残念かも」
「そんな。美沙ちゃん、怪物なんていない方がいいよ。私、怖い。鏡の部屋で見たものがきになるし……」
「やだぁ、八重子ってば怖い怖いってオウムみたいだよ。怖がらなくて大丈夫だよ。いざとなったら、男子が戦ってくれるから。ね?」
美沙に蕩けるような笑みを向けられて、時夜がデレデレした顔になる。
「そうそう。美沙ちゃんはオレが守るから。安心しろって」
時夜に便乗して、和樹もきざったらしくウインクして見せる。
「その通り。何かあった際にはこの僕が女性の盾になるよ」
調子よく言う時夜と和樹に、晋は密かに溜息を吐いた。
もしも本当に何かあったら自分を守るのに精一杯で、他人を守っている余裕なんてあるはずがない。格好をつけていても、あとで失望されるのがオチだ。
応接室の小さな窓から晋はぼんやりと外を眺める。曇ったガラスの向こうには赤い夕陽が融けていた。じきに、夜が来る。
「おい、キャンプをするんだろう?そろそろ海岸に戻ってテントを張ったほうがいいんじゃないか?暗くなってからじゃ大変だぜ。夕食を作る準備もしなくちゃいけないだろう。外に出よう」
「おう、そうだな。じゃあ屋敷から出るか」
時夜が腰を上げたのと同時に、ギィと扉が開く音がした。
「だ、誰か入ってきたみたいよ」
朱里がいつもの澄ました顔を少し引き攣らせて、立ち上がって音のするほうに首を巡らした。
美沙もソファから飛び上がるように立ち上がり、隣り立つ朱里にとびつく。
「ヤダッ。誰が来たって言うの?アタシ怖いよ、朱里」
「ちょっと男陣、誰が来たのか確かめて来なさいよ」
朱里が青褪めた顔を男達に向ける。助けを求める朱里の瞳から真っ先に眼を逸らしたのは和樹だった。
「ボクは嫌だ!行くなら、この中で一番体格のいい圭吾くんと二番目に大きい時夜くんが行くべきだ。僕は頭脳派なんだ。こういうのは肉体派の仕事だ!」
あまりの変わり身に晋は呆れかえった。怯える姿は怒りを通り越してもはや憐れですらある。
生贄に差し出された圭吾は焦った顔をしていた。いっぽう時夜は怒ったような表情を浮かべ、冷たい灰色の瞳で和樹を睨みつける。
「なんだよ一条。テメーさっきは女性の盾になるって言ったクセにいざとなりゃ他人任せか?オレも美沙ちゃんを守るって言った手前ここで男を見せるから、テメーも圭吾やオレに任せてねーで一緒にきやがれ!」
時夜は怯える和樹の手を無理やり引っ張って連れて行こうとした。
「嫌だ!離せ、この野蛮人!ボクはいかないっ、いかないぞっ!」
嫌だ嫌だと鸚鵡のように繰り返して、和樹は頑なに動こうとしない。根性だけではなく往生際も悪いようだ。晋は心底呆れた。
和樹は身体がひょろひょろとはいえ、時夜と同じくらい背が高い。さすがの時夜でも、同じくらいの体格の和樹に必死に抵抗されてなかなか前に進めずにいいた。そうしている間にもまたドアが開く音がして足音が近付いてくる。
和樹からご指名を受けた圭吾は、オロオロするばかりだ。女達に見に行かせるわけにもいかないだろう。
「もういい、俺が行く」
そう言って晋が立ち上がった瞬間、応接室のドアが開いた。
「キャアアァッ!」
女子三人の悲鳴が部屋に響き渡る。和樹は腰を抜かしながらも反対側のドアに逃げようと地面を這いつくばっていた。
「あらあら、驚かせてごめんなさいね」
温厚そうな女性の声。驚愕に見開いた晋の瞳に映ったのは、穏やかで上品そうな初老の女だった。
「おい。落ち着け、お前ら」
「大丈夫だ、バケモンなんかじゃねーよ、よく見ろっつーの!」
まだパニックに陥っている女達と和樹に晋と時夜が声を掛ける。
四人はようやく叫ぶのをやめた。叫びはしなかったものの恐怖に顔を引きつらせて固まっていた圭吾と、叫んでいた美沙、朱里、八重子、和樹がそろって鳩が豆鉄砲をくらったような間抜け極まりないポカンとした顔でドアの前に佇む彼女を見た。
「可愛らしいお客さんだこと。うふふ、汚い家でごめんなさいね」
初老の女は、皺の目立つ顔ににこりと笑顔を浮かべた。
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