ヤコブ爺さん

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ヤコブ爺さん

 教会のパイプオルガン奏者だったヤコブ爺さんは、私が13歳だった当時、96歳という高齢で腰が曲がり指の関節もこわばりオルガンの演奏が困難になっていた。  私がオルガンを習いたいと申し出ると、とても喜んで、毎日、日没に合わせて教会へ来てくれた。日が高い間、ヤコブ爺さんは畑仕事をしていた。  ヤコブ爺さんは夏の間、採り立てのトマトやチャードを持って来てくれた。私は新鮮なトマトにかぶりつき元気を補充してからオルガンの奏法を学んだ。難しいからこそ面白く何時間でも学びたい気持ちだった。  ヤコブ爺さんはパイプオルガンの仕組みや手入れの仕方についても教えてくれた。それは人体の不思議にも似て非常にデリケートで複雑で同時に神秘的な強さを秘めたものだった。  わずかな湿度や温度の変化に反応する音の響きについて 『生きた魂が宿っているから』 とヤコブ爺さんは教えた。  オルガンを習い始めて3ヵ月目の日曜礼拝で、私は初めてオルガン奏者として讃美歌を奏でた。  演奏した曲は典礼聖歌322番「あめのきさき」一曲だったが、実際に人々の歌声と共に演奏すると手も心も震え、感動で涙があふれた。  その後、ヤコブ爺さんはバッハの「トッカータとフーガ 二短調 」を私に教えた。今までとは違い練習は厳しかった。  私が学校を終え教会に着くのをヤコブ爺さんは待ち構えていた。私は神父様が用意してくれた一杯のホットミルクで心身を潤おし、そこから夜の9時過ぎまで休みなく練習した。  出だしのを、一ヶ月以上練習した。  初めの一音に対する祈りと緊迫感が足りない。  聖堂の空間に回る残響音と次の音との関係が百分の一秒短い。  7つ目の音の切り方が雑念で乱れている。神の息吹きを目指せ。  初めのトリルと8音目のトリルの違いを納得できる言葉で説明せよ。  ヤコブ爺さんの非情なまでの厳しさは、私には心地よかった。  それができなければリンドヴルムには出会えないのだと13歳の私は確信した。  ヤコブ爺さんの異常なまでの過熱ぶりに神父様は心を(いた)めた。爺さんの体を気遣い、初めの数か月は何度か止めに入った。 「ワシには時間がない」 ヤコブ爺さんは、そう言った。  時間がないのは自分も同じだ。  学校へ通うのをやめ、朝からオルガンを教わりたいと私は爺さんに懇願した。  神父様は神の御心(みこころ)でヤコブ爺さんの最後の仕事と私の命賭けの挑戦をあたたかく見守って下さった。  こうして私は13歳の11月から学校へ通うこともせず、毎朝5時に起きショパンに乗って教会へ直行。  アーロンは私とヤコブ爺さんと神父様の三人前の朝食と昼食と夜食を、教会まで届けてくれた。    
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