第三部

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 色が判別できるようになってから気づいたことは、この街の空は元から薄暗いということだ。  表で例えるならば、曇天。しかし雨が降る気配は今のところ感じず、また太陽が顔を覗かせることもない。  沈黙が続いた。ガラクは私の為に語りたくないだろう過去を教えてくれたのに、私は上手く返答することができなかった。  だが、ひとつ疑問が生じた。 「でも、それなのに、ガラクは表に帰ろうとしているの……?」  ようやく開いた口。先ほどのメイとのやりとりを思い出した。 「表に帰ることは、以前から考えていたことだ」  ガラクは顔を上げて言った。その目は真剣で、冗談を言っている様子もない。  メイの言葉を借りるわけではないが、裏街道は人との関わりがほとんど生まれず、生活に必要な品も大抵揃っていて何不自由ないはずだ。  ガラクの話した現実は、到底受け入れ難いものだ。だからこそ逃避願望が生まれ、裏街道へ来た。その感情も痛々しいほど感じられた。  それなのに、どうして再び表に帰ろうと思うのか。 「メイに文字を教えている時に、うっかりそれを匂わす発言をしてしまった。一番気をつけていたんだが、今考えるとメイが発言を誘発していたのかもしれない。文字を教えているのもその為かと気づき、部屋を飛び出したと思ったら遅かった」 「でも、どうして帰りたいって思うの?裏街道には表で嫌だなと思うことが何ひとつないんだよ?むしろ表に帰ったら、最悪また同じような目に遭うかもしれない。そんな現実から逃避したいと願っていたんでしょ。それなのにどうして……?」  私は考えていたことを全て吐き出した。ガラクは私の言葉を黙って受け止め、暫く思案して口を開いた。 「何もないからだよ」  後ろポケットに手をやり、一冊の本を取り出す。それは以前私が図書館で見かけた、著者の書かれていない「現実との向き合い方」とだけ書かれた本だった。 「これは……?」 「あの図書館に訪れた際に見つけたものだ。作者も書かれておらず、明らかに図書館の蔵書ではないから外部から持ち込まれた本だろうな。誰が書いたのかはわからんが、この本を読んだことによってもう一度表に帰る決心がついた」  その本を受け取り、パラパラとめくる。まんがの教本のような感じだ。理不尽な対応をされた時の受け流し方。面倒くさい上司との付き合い方。仕事の選び方。タイトル通りに現実社会との向き合い方が書かれていた。 「おまえも前に言っていたな。この世界に来てまで生きたいとは思えないと。裏街道は何不自由なく、逃避するには最適の世界だ。しかしそれと同時に、生きているのかがわからなくなった。そんなの死んだと同然だろ。確かにオレは現実からの逃避を望んだ。でもそれだけじゃない。オレは生きたいんだ。逃避はもう十分した。だからそれからは現実から目を逸らすことはしなかった。だが唯一、表に帰る方法を知らなかった」  そこで私を見る。 「だからこそ心底驚いた。おまえが表へ帰ったと言った時は。まさか表と簡単に行き来できる場所があるとは考えもしなかったからだ。だが一番の問題は目だ。オレは裏街道に来て長い。目はすでに死んでいる。だから、表で普通に生活するのはまず無理だ。しかし……」  そう言ってガラクは口角を上げた。その様子から見ても何か策があるのかもしれない。材料は全て揃ったといった感じだ。  ガラクは、以前から表に帰ることを検討していた。そう言われたら、彼の今までの行動や態度の変化にも納得できた。彼が裏街道では生きてる感じがしないと言ったのも、この世界に来てまで生きたいと思えなかった私も同意することだ。  だが、やはり先ほどガラクから語られた過去が重すぎて不安になってしまう。どうしてそのような過去を経験しながらも、再び表に帰ろうと思えるのか。  私は再度確認するように問う。 「以前と変わらない暴力や差別などがあるかもしれないし、それに視覚といった最大のハンディキャップを背負ってまで、表の世界に帰りたいの?」 「あぁ」  私の目を見て、ハッキリと答えた。 「オレは『生きたがり』だからな」  ガラクの目には、将来を見据えている輝きが秘められていた。暗闇の中でもなお未来を見る為に火をともそうとしている。その姿が私にはあまりにも眩しかった。  ガラクの顔が変わった。目を見開き、心底動揺している様子だ。驚くようなことを言ったのはそちらではないか。それなのに、何故ガラクが驚いているのか。 「どうして、泣いてるんだ……?」  そう言われて気がつく。  頬に伝う感触。一滴ぽたりと落ちて、服に波紋を広がせた。  私の目からは、無意識に涙が溢れていた。
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