第四部

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 馴染みの場所。大きい薄型テレビと食事用のテーブルとソファ、パソコン、そしてキッチンが備わっている一般的なリビングだ。家族は今、田舎に帰っているので、もちろん誰もいない。  冷蔵庫を物色する。ラップのかけられた、母手作りのサンドウィッチが目に入る。家族が田舎へと旅立った日、七月三十一日に母が作って置いてくれたものだった。今は八月二十八日。もうずいぶん時間が経っている。だが全く構うことはなかった。  私はサンドウィッチとお茶を手に取り、テーブルまで運ぶ。  久しぶりに食事という行為をした。咀嚼して喉を通り、胃が満たされてく感覚も、どこか懐かしく感じるほどだ。  母手作りのサンドウィッチは、レタスハムチーズの挟まったとても素朴でシンプルなもので素材の味が際立った。食事しながら室内を軽く見回す。  それに気づいたのは偶然だった。固定電話のランプがちかちか光っている。留守電があるようだ。  私は口にサンドウィッチを含みながら電話の元へと近寄った。受話器を耳に当てて、再生ボタンを押す。 「アリス元気?メッセージ返信ないから、生きてるか不安になったよ」  開口一番、痛いところを突かれてむせてしまった。さすが母、というべきだろうか。 「アリス、いろいろと無頓着なんだから、ちゃんと生活できているか不安だわ。面倒くさくても、ちゃんとごはん食べなさいよ」  私は子どもか。そんなこと言われなくてもわかっている。  少し頬を膨らませて、耳から受話器を離すが、まだメッセージは続いていた。 「こっちはね、今たくさん親戚が来てて楽しいよ。おみやげもたくさんあるから、帰るのを楽しみに待っててね。毎日勉強で大変だと思うけど、無理せずに頑張ってね」  そこでメッセージは切れた。  私は、その場で茫然と立ち尽くしていた。 「お母さん、帰ってきた時、私が死んでたらびっくりするかな……」  私は手に持つサンドウィッチを口にほおばり、ほらちゃんとごはん食べてるよ、とふんぞり返る。ソファに座り、テレビの電源をつけた。  笑顔の球児たちが、天に指を立てて喜んでいる姿が目に入った。甲子園の特集番組のようだ。すでに大会は終了しているようで、大会の優勝時の映像が流れていた。表示された高校名からも、惜しくも私の高校は敗退したようだ。  快晴の空に突き抜ける力強いブラスバンドの演奏、興奮止まない大歓声に、感情高ぶる熱い実況。テレビに映る球児も観客も応援団もリポーターも、みんな心から笑っているように見える。  目を細める。ガラクから渡された小説も、このように眩しい世界が広がっていた。今、私が見ているテレビの中の球児たちも、そんな物語の主人公のように眩しかった。  私には到底上がることのない舞台。しかし、ものの見方を変えたら、ここに映る球児たちのような暑い夏を過ごせていたのかもしれない。  むしろ、私が読んだあの物語は実話だったのではないのか、そんな気にさえなってきた。  今は、検索すれば情報はすぐ手に入る。リビングにあるパソコンで、ガラクから借りた小説『青い夏』を検索した。  すると、驚くべきことに、その作品は過去に映画化されていたようで、さらに主演の名前を見て驚愕した。 「ガラク、自分が出た作品だからおすすめしたのかな……」  そこには[主演:城陽 我楽]と書かれていた。
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