第四部

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 それから私たちは、持参した薬で再度手当する為にアパートに戻った。  階段を使用しない一階の空き部屋、一〇二の部屋に入った。そこも変わらずにふとんやタオルなどの設備が整っていたので、心の中でメイに感謝した。  ふとんをしき、そこにガラクが座って足を伸ばした。たくさん持参した薬の類にガラクも珍しくかしこまった態度だった。 「ガラクはさ、いつ表にくるの?」  手当しながら尋ねる。止血と応急措置が上手くいったみたいで、すでに血は止まっていた。 「とりあえずは、この傷が治ってからだな」そう言って、太ももを指差す。 「ただでさえ目が死んでるんだ。なるべく万全の準備をしてから向かうつもりだ」  ガラクの言葉には、未来への希望が秘められた輝きを放っている。とても力強くてまっすぐだ。  薬を持参したことで、彼の旅立ちを後押しできたようで嬉しくなる。  今までは自分に無関係なことは見ないふりしていた。  だが、案外人に尽くして満たされるのは気分がいいものだ、と実感した。 「そういえば、ガラクの出てる映画、何本か観たよ。どれも最高だった」  その言葉を聞いたガラクは、怪訝な顔をした。 「何で、わざわざ」 「だって、やっぱり気になるもん。それに、小説を貸してくれたのは、ガラクの方でしょ。まさか全部、ガラクが関わっていた作品だとは思わなかった」  本心を素直に伝えると、ガラクは目を細めて微笑んだ。 「いい作品だろ。だからおまえに薦めたんだ」  自分が見られることには不快感を示したが、作品のことになると素直になる。ガラクは本当に作品を大切にして仕事に取り組んでいたんだな、と再確認した。 「でも、あれって本当に投げてたの?凄く球速かったけど」 『青い夏』を見た時に抱いた疑問だ。 「そうだな。まぁ少し加工は施されてるだろうが、紛れもなくオレが投げてた」 「合成じゃなかったんだ……」 「今の技術は知らんが、オレはあまり好きじゃないんだ。撮影の前に二ヶ月ほど型を身につけるために練習したな。当時は一四〇キロ近くまで出せるようになった」  ガラクは上半身だけでボールを投げるように腕を動かす。その動きがまさに映画で見たフォームそのままだった。  やはり撮影の為に練習していたんだ。それほど仕事に対して、また作品に対してガラクの熱意が感じられて心を打たれた。細身でありながらも不健康に見えていなかったのは、努力の賜物だったんだ。 「でも、仕事以外でも時間を使っていたなんて、さすがだね」  感心して口にすると、ガラクは天井を見上げて答える。 「知識でも技術でも、何だって身につければ、何かと役に立つことがある」 「投手の経験も?」  冗談で口にしたが、ガラクは一瞬考え込んで両手を広げた。 「例えば、うるさい奴に向かって、本を投げたりとか」  手当てが済むと、ガラクはしばらくこの部屋で安静にすると言った。  スマホを確認すると「二○一九年八月二十九日十三時二十五分」と表示された。裏街道にいるのも、あと半日ほどだ。  特に用事もなかったが、私もこの部屋に残った。ガラクもそれに関しては何も言わなかった。  他愛ない話をして、たまにメイの影がちらついて重い空気になり、気を逸らす為に本の話題を振り、その度にガラクはネタバレに怯え、そんな様子を見て笑いあい―――  そして気づけば、二人とも眠っていた。 「本当に死ぬのか?」  部屋を出ようとする私に、ガラクは尋ねた。  今日は八月三十日、タイムリミットだ。  私は数秒黙った後、顔を上げてガラクを見る。彼はまっすぐ私に顔を向けていた。 「私さ、ガラクの映画、観たって言ったよね。特に『青い夏』は今年、甲子園初出場した私の高校と重なって、とても心に響いたんだ」  目標は大きさではなく、持つことに意味があるのだろう。例え小さな目標でも、所持しているだけで生きる意味になるには違いないのだから。  人間はいずれ死ぬ。その運命は誰だって変わらない。だからこそ私は、最後は自分で決めようと思ったんだ。 「何の話だ」 「そのDVD、返却期限が九月四日なんだよね。せっかくなら、期限いっぱい堪能してからにしようかなって、思ってさ」  第四部 完
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