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「燃えつきてるな」
突然、頭上から声が降ってきた。
聞き覚えのある声にはっとして目を覚ますと、目前には私を見下ろす青年の顔があった。
「え?」
不意打ちのことに反応がワンテンポ遅れる。身体を起こして青年に向き直った。
襟足が長めの漆黒の髪が、日に照らされて青く光る。ぶ厚いダウンを着込んでおり、口元までマフラーで覆っていた。かけられたメガネのレンズは、角度を変える毎に虹色に輝き、ウィンタースポーツ選手を彷彿とさせる風貌だ。受験会場には制服の高校生が大半を占めていたので、彼の私服姿がとても目立った。
顔面は半分以上隠れ、着込んでいることで身体の線は隠されているものの、それでも彼の整った顔やスタイルの良さが滲み出ていた。
「今から死ぬのか?」
冗談か判別のつかないトーンだが、青年の口元には笑みが浮かんでいた。
「……相当な死にたがりだと思っているのね」
「じゃなければ、何なんだ」
すっとぼけている様子もなく、ただ単純に疑問に思ったことを口にした軽快さだ。実際的を得ていたので、私は聞こえないふりをした。
青年は私の隣に腰を下ろす。無意識に太もも付近に目がいくが、難なく動かしていることからも、ケガは完治したようで少し安心した。
「髪……染めたんだね」
「あぁ。さすがに白髪は目立つ」
髪は黒い方がいいからな、と前髪を弄りながら青年は答える。
「試験、大丈夫だったの?確か十七歳までしか高校に通ってなかったんだよね」
「まぁ、少なくとも、おまえより点は取れてるはずだ」
「それは、否定しない」
青年が所持している本に目がいく。挟まれているしおりから伸びる青いリボンが風に揺れた。
八月三十日に表の世界に帰ってきてから、鏡は裏街道に通じなくなった。
何故道は断たれたのか。何がキッカケだったのか。結局最後まで仕組みはわからなかった。
この一ヶ月の出来事は、現実だったのか夢だったのか、しばらく判断ができなかった。
購入した記憶のないブローチが鏡の前にあることも、本棚と救急箱の中が空になっていることも現実だが、それらが何でどこに消えたかの確証がなかった。あの後、母にさんざん追及された時はどう弁解すべきかとても頭を悩ませた。
だから結局、夏の世にも奇妙な体験として、心の内に秘めていた。
しかし今、裏街道の住民だったガラクが表の世界に帰ってきていることは、紛れもなく現実のようだ。
どこからか視線を感じた。気配のする方へ顔を向けると、数メートル離れた先に、私たちを見ながらひそひそ話している二人組の女の子がいた。制服を着ていることからも私たちと同じ受験生だろう。
彼女たちの視線は、私の隣に座るガラクへと向けられている。
私が気づいたことで意を決したのか、二人組の女の子が近寄ってきた。
「あの……すみません……。私、あなたの後ろの席でして……偶然見えたんですが……」
女の子はおずおずとガラクを見ながら、そう前置きした。
ガラクは、彼女たちに無言で顔を向ける。メガネとマフラーで顔が隠されていることで表情は読めないが、ずいぶん慣れた対応だ。
「『城陽我楽』ってもしかして、昔テレビに出ていた方ですか…?」
吹き出しそうになりマフラーに顔をうずめた。隣のガラクを一瞥するが、微動だにしていない。
「……別人だ」
一瞬反応が遅れたが、ガラクはハッキリとした口調で否定した。その言葉を聞いた女の子は顔面が真っ赤になった。
「あっ、そ、そうですか……!すみません、いきなり……」
女の子は慌ててそう言うと、そそくさとこの場を離れた。離れてすぐ「ほら言ったじゃん。だって引退したの十年以上も前だよ」「でも同姓同名って中々なくない?それに外見も何となく……」といった会話が聞こえてきた。照れ隠しからなのか、声が大きくてこの場所まで丸聞こえだ。
私たちの間には、微妙な空気が流れた。
「…………嘘吐き……」耐えきれずに、ぽつりと呟く。
「別に、嘘を吐いたわけじゃない」
ガラクは白い息を吐きながら深々と座り直す。いや、本人じゃないか。
しかし彼が、あの頃の自分と今の自分が別人だと表現した意味は何となく理解できたので、それ以上突っ込むことはしなかった。
「でも、それだったらそのオーラ、もう少し隠せないの?」
「これ以上、どこを隠せと言うんだ」
ガラクは両手を広げる。確かに視覚的に見えているのは頭と鼻だけだが、ぶ厚い布で遮光されてもなお、輝きは秘めることがない。
ずっと光の当たらない暗い舞台袖にいたから気づかなかったが、元々表舞台の、さらに明るい位置に立っていた人なんだな、と改めて実感した。
女の子たちの会話が聞こえていたのだろうか、気がつくとこちらに、ちらちら視線を向ける人たちが増えた。あまりこの場に留まって騒ぎになるのも困る。
別の交通の便を考えるべきかと思案していると、ガラクが尋ねてきた。
「この辺りに、図書館はないのか」
「え?」
「どうせ時間はあるだろう。ならば少し付き合ってくれ」
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