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第三部
二○一の部屋の中。私はふとんの上で大の字になっていた。天井の片隅にシミみたいなものがあるな、とぼんやり眺めていた。
先日、衝撃的な事実を多々知ったことで、脳内がキャパオーバーを起こし、情報処理速度が低下してショート寸前だった。
そばに置いていたスマホを手に取る。電源を入れると「二○一九年八月十七日八時四十分」と表示されていた。
「もう、こんなに経ってるの……」
体感なんて所詮あてにならない。結局は物差しがなければ、何も測ることができないんだ。
スマホをふとんの外に放り投げて、再び茫然とする。深呼吸して気を落ち着かせてから、脳内で先日得た情報を整理した。
ひとつ目は、探索で得た事実。
ショッピングモール内の家電製品売り場で見たものは、どれも現在ではあまり使用されてない品だった。それらから、二○○○年辺りに普及していた品だとわかった。
裏街道は変化が起こらない。その為、店内の品が時代に沿って進化することもないので、裏街道が誕生した時期もおのずとその辺りだと見当がついた。
ふたつ目は、裏街道が誕生した時期から導き出された事実。
メイは家電製品売り場に売っていたゲーム機が、表にいる時にも普及していたと取れる発言をした。そのことから、裏街道が誕生した時期にメイは表に誕生していたとわかる。私が生まれたのは二○○一年。裏街道が誕生したよりも後に生まれている。
つまり、メイはあの幼い容姿でありながらも、実際は私よりも年上だった、ということになる。
みっつ目は、裏街道の住民の事実。
変化のない裏街道では、老いて死ぬことはない。だが、体力回復に必要な睡眠量は次第に増し、いずれ目覚めることはなくなる。その為、裏街道の住民にも「寿命」というものが存在する。
メイの身体は、もう半日ほどしか稼働できない寿命のようだ。裏街道が誕生した時期を考えても、表の平均寿命より遥かに早く感じられる。もしかしたら、表と裏では寿命の長さが違うのかもしれない。
ふとんの上で寝返りをうつ。
やはり考えてしまうことがある。事実がわからないからこそ悩んでいるのもある。ガラクも私に尋ねるまではこんな気持ちだったのか、と何だか仕返しかとすら思えてきた。
ガラクは死ぬことを考えていたと言っていた。彼の様子からもその言葉が嘘だとは到底思えない。本気で考えていたからこそ、私に対してもあそこまで真正面から向かい合ってくれたんだ。
元々裏街道の住民だから過去に何かがあったことはわかっていたはずだ。それでも直接耳にすると動揺が隠せなかった。普段のガラクを見ているだけになおさらだ。
「でも、名前で呼んでくれたのは嬉しかったなぁ……」
初めて呼ばれたのに、あまりにも自然だったのでそれだけ彼が真剣だったと伝わった。
それにガラクの笑顔も初めて見た。普段の態度からは想像もできない温かみを含んだものだった。いまだに私が脳内で都合よく作り出した幻覚じゃないのかと疑ってしまう。
「だからこそ気になるんだよね」
さっきから気を抜けば、この無限ループにはまっていた。
目を閉じてため息を吐く。改めて実感する。
こんなに現実を知ってしまったのも、きっかけは裏街道がいつできたのか好奇心で探索を始めたことだった。
やはり何でも深く関わり過ぎるのはよくない。こうして感情に振り回されることになる。今まで私がしてきた選択は正しかったんだ、と再確認した。
そこで、ふと思う。
メイは以前、ガラクをテレビで見ていたと言っていた。裏街道にはテレビ放送はないので、少なくともメイが表世界にいる時にガラクがテレビに出ていたことになる。そしてメイが表にいた頃と裏街道ができた時期はほぼ同じ。
裏街道ではネットが使えないので検索はできないが、もしかしたらそういった類の本が本屋に置いてあるかもしれない。それにプレーヤーを使えば映画も観られると言っていた。
ショッピングモールにCDショップのある大型書店があったことを思い出した。コンビニには週刊誌はなかったが、芸能雑誌くらいは置いてあるかもしれない。
前にも一度感じた罪悪感が襲ってきた。それに自ら行動したことで、また今みたいに困惑することになるのではないか。
でも、元々裏街道にきた時点でその覚悟はしていたはずだ。帰ったらどうせいなくなるんだから、面倒があったところで関係ない。それに知人が元芸能人だったら、少しくらいはどんな人だったのか知りたくはなるでしょう、と誰に言うでもなく心の中で言い訳した。
私は制服に着替えて外に出た。
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