第三部

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 アパートまで辿り着き、メイの部屋へと訪れる。風呂から上がってきたメイは、どう見ても先ほどのメイとは別人の顔つきだった。  子犬のように栗色の髪をプルプルと震わせ、「スッキリしたー」と叫び、しきっぱなしにしていたふとんの上にダイブする。私はその光景を茫然と眺めながら、先ほどミカに言われた言葉を思い出していた。 「一度死んでしまうと、生き返ることはできない」  言葉の意味はわかる。ロボットでもない限り、再び息を吹き返すなんてことはあり得ない。それがこの世のあり方、命あるものの仕組みだからだ。  でも、どうしてそれを私に言ったのか。  自分の手を見て指を動かす。ちゃんと自分の意志で動かせている。次に右手で左手をつねるようにする。ちゃんと感覚もある。私は今ここに、確実に存在しているんだ。  もう一度頭を捻る。ミカはその言葉の前に何と言っていた? 「この世界は色づいて見える?」  山の中はとても青々としていたし、ミカの血は鮮やかな赤色だった。今目の前でふとんに転がるメイの髪はきれいな栗色をしていて、対面に座るガラクはとてもきれいな白髪だ。  隠すことなく顔を向けてしまったので、ガラクが私の視線に気づいて目が合った。 「ねぇ、そろそろ教えてよ」  明るくて通った声によって、現実に引き戻される。メイはふとんでゴロゴロしながらガラクに言った。  ガラクもその声に引き寄せられるように反応して、持ってきたドリルの内の一冊を机に開いた。メイはガラクのそばによる。  その様子を茫然と眺めている私に気づいたメイが、私に顔を向けた。 「ボクね、たくさん本が読めるようになりたいんだ。自分でも読めるようになると、いまよりもっといろいろな世界を知ることができるでしょ。ガラクが教えてくれるっていうから頑張るね!」  眩しい笑顔でそう言った。ガラクが提案したのだろうか。先ほどの様子からも、彼は本当にメイの扱い方を熟知しているように見える。そんな二人が微笑ましく感じた。  本…  そういえばしおりを渡していなかった。 「実は、二人に渡したいものがあるんだ」  さっそくドリルを開いている二人に声をかける。 「渡したいもの?」 「うん。ちょっと待っててね」  そう言うと、私はそそくさと部屋を出て、自室にしおりを取りに戻る。  「二人には少し可愛すぎるかなって思うんだけど」  おずおずと押し花のしおりを差し出す。リボンは青と黄色。赤色のしおりは私が使用していた。 「きれい~!これアリスが作ったの?」 「うん。きれいな花をもらったから」 「ありがとう!」  そう言うと、メイは黄色のリボンのしおりを受け取る。透き通った目をキラキラ輝かせていた。  青のリボンのしおりをガラクへと差し出すと、彼は無言で受け取る。何も言わないが、しおりに関心を抱いているようで空に翳すようにして見ていた。 「このしおりたくさん使いたいから、ボク頑張って文字が読めるようになるね」  メイは俄然、やる気が出たようだ。二人は読み書きの勉強を始めた。  いつも見ている、二人の仲睦まじい光景。  それはもう、さっき見た現実が夢だったのかと疑うほどの――。  あれ?私はさっきまで、何をしていたんだっけ。  今見ているこの光景は、現実――?  だったら、さっきのは都合の悪い、悪夢だったのか――? 「――――――アリス?」  その声にはっとして、我に返る。  顔を上げると、二人はこちらを見ていた。 「大丈夫?顔色悪いよ?」メイは心底心配するような澄んだ目で言った。 「……大丈夫。最近眠ってないから、少し休んできてもいいかな?」 「睡眠は大事だよ!ゆっくり休んでね」  その言葉を背中で受け止めながら、自室に戻った。  状況が掴めない。頭が混乱している。私は先ほど起こったことと、今起きてることが現実なのか夢なのかの区別がつかなくなった。  自室のふとんに寝転がりながら目を閉じた。  ミカは死んでいなかった?  そうだ。さっきの二人こそ私の知る二人のあるべき姿なんだから。  そもそもミカは登校拒否だったのに、裏街道にいるはずないじゃないか。それにメイは、まだ身体の小さい子どもなんだ。だから人を殺せるはずないんだ――――。 「そうやって、都合のいいことばかり受け入れるつもりなのか」  どこからか聞こえたその声に、はっと目を覚ます。  身体を起こして玄関の方へ顔を向けると、そこにはガラクが立っていた。 
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