142人が本棚に入れています
本棚に追加
3
「本当は、見てない、ですよね?」
せめてにこりとでもしておこうかと思ったが、口元の筋肉がそれを拒むように震えるだけで、きっとすごく怖い顔になっているのは、月島さんではなく私の方だろう。
「そんなに知られたくないの? 酷いね……」
「……酷い?」
(揶揄うような物言いをしてきたのは月島さんの方なのに、酷いのは私なの?!)
不満を隠さず見上げると、月島さんの薄い唇が不意に弧を描く。
(睨まれた!)
「拓人に腰を引き寄せられ、由奈は戸惑った。いくら人がいないと言ってもここは会社の中で、誰かが来るかもしれないのに」
「え! なんでその話……あっ!」
私は慌てて口元を押さえた。けれど時すでに遅し。
さっきまで読んでいた小説の内容をそのまま声に出されたことに驚いて、それを読んでいたことまで肯定してしまったのだから。
「ふっ……正直だね、小野寺さんて」
ブワッっと顔に熱が集まり、ゆでダコのようになったのが鏡を見なくてもわかる。
(恥ずかしい! どうしよう……)
だが今は昼休み。
就業時間中にそんなことをしていたのなら責められても仕方ないが、休憩中に何をしようと自由なはずだ。無論、会社に迷惑もかけていないし、使っていたのは自分のスマホだから通信料も何も自分持ち。
「あのっ、悪いことはしてませんから!」
半ばヤケになり、真っ赤な顔のまま月島さんを睨む。
「じゃあ、そんな風に睨まなくてもいいんじゃない?」
確かに、彼の言う通りだ。
恥ずかしいところを見られてしまった記憶は抹消してもらいたいが、ムキになる必要もないか、と思うと少しだけ肩から力が抜けた。
「……すみませんでした。さっき見たことは、気にしないでください。じゃあ」
頭を下げて反対側から通路へ出ようと踵を返すと、月島さんの声に呼び止められた。
「事務課の子にも、教えてあげようかな。小野寺さんのお勧めだよ、って」
勢いよく振り返った私は、この後、振り返ったことを激しく後悔する。
だって、月島さんの腕が私の腰を抱き寄せているせいでお腹の辺りが密着して、仰け反るような体勢も不安定で、手に持ったスマホが落ちないようにするのと、こんなことをされている理由を考えるだけで頭がパンクしそうだったから。
(なんでこんなことを?!)
「やめて、ください」
混乱しながらも私が発した声は、あまりにも弱々しいもので情けない。
「なにを? 小野寺さんのお勧めを紹介するのを?」
「それも、これも」
月島さんの腕から逃れようと力を入れてみるけれど、私ではとても太刀打ちできないらしく、ピクリとも身動きが取れない。
「逃げたいの?」
「当たり前、ですっ」
「でも今、拓人と由奈みたいだよね。会社の書庫で、誰もいなくて、でも、誰か来るかもしれない……興奮する?」
確かにこの状況は、拓人と由奈のようで——。
ゾクゾクッと、抱き寄せられた腰の辺りが粟立ったことは、彼には絶対に知られたくない。
それに、あの小説の中の拓人と由奈は恋人同士なのだ。ただ同じ職場に勤めているだけの月島さんと私のような関係ではない。
しかもあれは作り話。こちらは生身の人間で、現実を生きているのだ。小説のようになるはずがない。
「あれはフィクションですから! 離してっ」
「小説と現実、どっちが興奮するかな?」
耳に吹き込まれる月島さんの囁きは、私の理性を試しているのだろうか。
最初のコメントを投稿しよう!