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なんとか終業時刻に終われそうだと安堵しかけたその時、デスク上のパソコンにメールが届いた。
今日中の仕事のメールなら残業は確定だ、と半ば諦めの気持ちでメールを開いた私は、その差出人の名前を見て固まる。
(……うそでしょ?)
書かれた文章に脅し文句は一切ないものの、これは明らかに脅しと取って間違いないだろう。
私は月島さんのデスクを、恐る恐る振り返った。
(笑った……怖いんですけど!)
一瞬だけ口元に笑みを湛えた彼の顔が怖くて、私はすぐにパソコン画面に視線を戻す。
『本日の件について確認事項がありますので、少しだけお時間いただけますか?』
『いや、無理です。差し上げるような時間もございません。悪しからず』
入力してはみるものの、こんな文章を送りつける勇気はない。
「はああぁ……」
あまりに盛大なため息を吐いてしまい、隣の席の後藤君から気遣う声がかかった。
「大丈夫ですか?」
「あ、うん、大丈夫、大丈夫だよ、多分……」
余計な心配をかけまいと作り笑いをして、私は入力した文章を削除した。
勝手に帰るな、と言われているのだと伝わってくる文章に慄きながらも、やはり断ることができない私は、渋々承諾のメールを送信する。
程なくして終業のチャイムが鳴り、事務所内は騒然とし始めた。今日は金曜で、皆帰宅を急いでいるのだろう。
脅迫メールを受け取っていた私はすぐに帰ることも許されず、のんびりと引き出しの整理など、しなくてもいいことをして間を持たせていた。
そこへ背後から誰かが近づいて来る。けれど気づかぬ振りで引き出しを整理し続けていると、やはり月島さんの声が呼びかけてきた。
「小野寺さん、これだけ確認お願いします」
小さなメモがデスク上に差し出される。
呼ばれているのに私は顔も上げず、メモに視線を向ける。
「はい。大丈夫です」
あくまで事務的に返答し、すぐに引き出しの整理に戻った。
「じゃあ、お願いしますね。お先に」
「お疲れ様です」
どこか爽やかに去って行く月島さんの足音が遠ざかり、ホッと息を吐く。
けれども安心している場合ではない。私は脅されているのだ。少なくとも私は、そう感じている。
一頻りデスクの引き出しを整理し終わると、私は荷物を持ち、仕方なく書庫へ向かった。月島さんの差し出してきたメモに、そう書いてあったからだ。
羞恥心からいたたまれない思いをした今日の昼休み。揶揄われたのはあの時だけだったのだ、と油断していた自分を恨みたくなる。
よくよく考えれば私はひとつも悪いことなどしていないのに。過激表現の恋愛小説を読んでいたことは、知られたくはなかったが。
だからきっぱりと言わねば。
脅すのは、やめてください——と。
決意を固めながら歩くうちに、月島さんに指定された書庫にたどり着いた。
月半ばの週末であった今日は定時で帰る人が多かったのか、廊下に出てもほとんど人とすれ違わなかった。
それがいいのか悪いのか、もう考える余裕はない。
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