異国の客人(リッツ)

1/2
330人が本棚に入れています
本棚に追加
/34ページ

異国の客人(リッツ)

 帝国にも徐々に春の気配が近づいた三月。ベルギウス本邸では穏やかなお茶会が開かれている。  出席者は四名なのだが、うち一人は決してこれに参加しない。いつも主人の斜め後ろに立っていて、座りもしない。  頑健そのものの肉体を今は帝国の衣服に包み、癖の強い長い黒髪は邪魔にならないようにと細くサイドを編み込んで後ろで束ねている。彫りの深い野性味のある目元、厚い唇はセクシーで、褐色の肌ともマッチしている。が、瞳の色は綺麗な青だ。 「ジャミル、お前も参加していいんだよ。ここは安全だから」  彼の主人が少々困ったように苦笑して、背後の従者にそう促している。が、この従者は頑固で、この説得が成功した試しがない。 「俺は従者なので、ここに混ざることはできません」 「うーん、困ったな」  苦笑する青年は、この従者とはまったく逆の印象を受ける青年だった。  白磁のような白い肌に、整った愛らしさも残る顔立ち。小さく丸い顔に、大きな目、柔らかそうな頬に薄紅の唇。縁取る黒髪も顎の辺りで整えられた真っ直ぐなもので癖がなく、サラサラと揺れている。身長もそれほど高くはなく、体つきも細く柔らかそうである。そして瞳は、右が綺麗な金色で、左が翡翠の色をしている。  この両名が同じ国、同じ民族である事がまず信じられない程に、両者は違うのだ。  サバルド王国が内戦状態に入って、既に一年以上になる。その間、リッツも彼の国との交易が上手く出来ずにいる。今は新規開拓したジェームダルとの交易があるからここの損失はカバーできているのだが、それ以上に従業員などがどうしているかが心配だ。  一応定時連絡を部下からいれさせていて、それによると大丈夫らしいのだが。  それと同時に、とんでもない人物が手元に舞い込んできた。  ジャミルの主ラティーフはサバルド国の第三王子。そして、現在唯一生き残った王子でもある。  内戦が激化する最中国外へと従者一人を伴って逃げてきた彼が頼ったのは、帝国にいるリッツだった。  元々サバルドでの商売に手を貸してくれていた縁もあり、父と兄を説得してこの屋敷に匿っている。これももう、一年近い話だ。  現在この本邸はベルギウス家が抱える私兵と、ヒッテルスバッハ家の暗殺者がこの要人を守り、かつ騎士団が見回りをしてくれる。ちなみにヒッテルスバッハの暗殺者が誰なのか、リッツですら分からないのが恐ろしい。使用人に紛れているらしいのだが……。  そして懸念は、もう一つ。どうやら彼らは何十年も前に姿を消した前王の忘れ形見を探しているらしいのだ。  現在の内戦も、前王を支持する派閥と現王を支持する派閥の戦い。前王は大らかな人柄で締め付けも緩かったが、現王は過激で争いを好む傾向がある。これに不満を持った者が戦っている状態だ。それも、鎮圧されようとしているが。  何がって、この『前王の忘れ形見』こそがリッツの恋人、グリフィスなのが問題だ。彼らが遺児を見つけて何をしたいのかは分からないが、現状いいことはないように思う。  何よりグリフィスは今の生活を気に入っている。今更、捨てた故郷の事に煩わされるなんて嫌だろうし、それで二人の関係が変化するのも嫌だ。  グリフィスが好きだ。だから、今の幸せを大事にしたい。 「ラティーフ様、これが彼の仕事なのですから」  車椅子の兄フランクリンが苦笑してラティーフを宥める。その雰囲気は以前とはまったく違っていた。  兄フランクリンは誘拐事件の後、車椅子での生活となった。折られた左足は幸い切らずに済んだが、感覚が鈍く力が入らず歩けない。杖をついてもバランスが上手く取れないレベルで障害が残ってしまった。  兄の性格を考えると余計に落ち込んで塞ぎ込み、最悪引きこもってしまうのではと心配したのだが、そうはならなかった。  父アラステアが戻ってきたフランクリンを抱きしめ、謝った。そして落ち着いた頃に真剣に話をして、フランクリンを正式な跡取りとして改めて認めたのだ。  これによって、フランクリンは自信と安定を取り戻した。そうしたら、彼のいい部分が表に出るようになった。  元々努力家で分析力があった。商人はその場の機転や人物観察、状況を肌で感じる力と大胆さが必要だが、その反面冷静な分析も大切になってくる。フランクリンはこの冷静な分析、マーケティング力と広報活動の能力があったのだ。  今までは自信がなく、思っても口にしなかった。が、自信がついた彼は徐々にそれらを口にするようになって当たりを引き、それが更に自信となっていく。  現場での事はリッツが得意だし、これは足の悪いフランクリンには辛い仕事。こちらはリッツが請け負う事にして、フランクリンはそれらを効果的に宣伝し、見せ、分析をして次へと活かす事に専念をする。現在これで商売は繁盛中だ。  そうして現在、フランクリンはほぼ無敵状態になっている。アラステア相手にも物怖じする事がなく、顔を真っ直ぐに上げて正論と無理難題を織り交ぜてプレゼンし、父を困らせている。  「あいつ、今になって反抗期なのか? 手に負えない」と、父は酒を飲みながらリッツに嬉しそうに愚痴る。そういう顔を見るのが、最近はとても平和に思えている。  お茶とお茶菓子が運ばれ、それまで控えていたジャミルが前に出てお茶を一口。そして、菓子を一通り食べる。これはもう職業病だから止めないが、ラティーフなどは眉根を寄せている。ようは、毒味だ。 「ジャイル、ここではこんな事しなくていいんだよ。フランクリンさんやリッツに失礼だ」 「念には念をと申します。勿論最低限です。これが国内であれば、もっと慎重にしております」 「ジャミル」 「構いませんよ、ラティーフ様。先程も申しましたように、これが彼の仕事なのです。そして、貴方を思う気持ちと思っております。こちらとしても一から十まで自分たちでやらない以上、不測の事態が全くないとは言い切れません。貴方に何かあっては国際問題どころの話ではございませんので、慎重であることは良いことかと」  にっこりと微笑むフランクリンが紅茶に口をつける。自らも毒味の真似事をする事で安全であると証明するあたり、この人も大胆になってきた。昔の臆病など今は見えもしない。  案外、アラステアにこの人は似てるのかもしれない。 「さっ、お茶にしよう。ラティーフ様も」  リッツの方は明るく、少し崩して。以前から知り合いな分だけ気安く、またラティーフ本人から「もっと砕けた感じがいい」と言われてしまった。ジャミルも主人がそう願うのならばと容認してくれている。表では無理だが、屋敷にいる間はまるで友人のような感じだ。 「帝国のお菓子はとても甘くて美味しいですね」 「砂糖が取れますからね」 「羨ましい。私の国でも農業改革を行って、もっと沢山の農作物が取れれば豊かになるのに」  手元にあるのはフィナンシェ。砂糖もバターもたっぷり使っている。これを手にして、ラティーフはどこか思案顔になっている。  サバルドは国土こそ広いが、まだ未開拓の場所が多い土地でもある。そして、とても貧しい。  富は一部の貴族や王族、大商人のものであり、その他大勢は今日の食事すらも選べない。治水も地方に行けば劣悪で、大雨が降れば川が氾濫、乾期になれば不足する。また、清潔な井戸が掘られていないせいで水に当って命を落とす子供もいる。未だ原生林も多く、それ故に病気も多い。  この事態に国はほぼ何もしない。それぞれの土地を治める王子が有能であるか無能であるかが、ある種そこに住む住民を天国か地獄かに分けている。  ラティーフは有能な王子で、彼の治める土地はサバルドで一番安全で豊かでもある。労働に対して正当な報酬がしっかりと支払われ、だからこそ住民はやる気を出して土地を耕し開墾していく。技術や知識の出し惜しみをしない彼は既に未来の賢王と期待されている。  が、彼の父や兄達はこれが面白くなかったのだろう。不仲だった。 「帝国に来られたのは、幸いでした。この国の優れた治水や農業を学ぶ事ができました」  菓子一つを摘まみながら語るラティーフの目は憂いを帯びてはいるものの、悲観や絶望はしていない。むしろこれからの情熱をひっそりと温めているようでもある。 「学者や研究者は、貴方様の勤勉さに心打たれておりましたよ。このように真剣に話を聞き、学んでくれる学生は少ないと」 「真剣ですとも。彼らの貴重な知識の一つ一つが、我が国の民を救う手立てになるのですから。せっかく時間を割いて教授してくれるのです、無駄にはできません」  やや恥ずかしそうにしながら言うラティーフの勤勉さは、側にいたリッツも納得のものだった。  この国に来て、ラティーフが陛下に願ったのは帝国の優れた知識を国の為に役立てたいとのことだった。治水、農業、そして他国よりも進んだ医学の意識。これらを一つでも多く国に持って帰りたいと願った。  勿論タダではない。将来ラティーフが王となった時にはより強い国交を結び、交易を強化していく。手つかずの原生林は未発見の薬草の宝庫。更にこの国の絹織物の美しさはリッツが自信を持って売り込める。そしてこの国は多くの宝石の鉱脈が眠っているのだ。  ラティーフが王になった暁にはこれらの物品の交易を強化すること。この国からの研究者を快く受け入れてくれることが約束された。 「……早く、国に戻らないと。私の領地も心配です」 「ラティーフ様」 「国情は、一体どのようになっているのでしょうか」  不安そうに大きな瞳を揺らす彼に、リッツはなんとも言えない顔をするしかなかった。
/34ページ

最初のコメントを投稿しよう!