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「あのー、ニノマエさん。実はその、折り入ってご相談が…」
その日、生徒会副会長ニシキは見たことないレベルで神妙に声をかけてきた。
小綺麗に片付いた生徒会室。ニノマエは丸眼鏡の下の細い眉を露骨にひそめる。
真っ赤な髪で筋骨隆々の長身と大きな声に空気を読めない高いテンション。自他ともに認める当校のお騒がせ男、“怪人”なんてあだ名まである彼が身長差40cmもあろう後輩女子の席まで来て背を丸めて小さな声で話しかけてくるなんて、誰が見ても天変地異の前触れか少なくとも明日は雪でも降るんじゃないかと思うに違いない。
けれどもニノマエには心当たりがあった。この先輩の秘密を知るただひとりの人間なのだから。いや今はふたりか。
「生徒会長の話ですか?」
抑え気味の、しかしキツい語調にニシキはびくりと震えて周りを見回す。幸か不幸か今この部屋にはふたりだけだ。廊下にもひとの気配はない。
「はい、その件で…」
それにしてもこの男、生徒会長に恋をしてその下心だけで生徒会副会長の座をもぎ取った剛の者なのだが。
「あんまり情けない顔でやたら下手に話しかけてくるの止めてもらえませんか。面白いを通り越して哀れを誘うんですけど」
「あ、はい。すみませ…ごめん」
ニノマエの小さなくちびるから大きなため息が漏れた。ほんとうにこう、哀れという他ない。
夏休み前の先日、主にニノマエが煽ったことにより三ヶ月の様子見を経てとうとう生徒会長ニカイドウに告白したニシキであったが、その返事は“はい”でも“いいえ”でもなく、なんと“保留”だったらしい。
同じ部屋で放課後ほぼ毎日顔を合わす相手に対して恋愛感情を“保留”するの凄い神経太いなとそのとき話を聞いたニノマエはいたく感心したものだが、あとから冷静に考えてみるとはいでもいいえでもかなりの神経の太さを要求されるので、というかなまじ決着がついているだけにやっかいとも言えるので、保留は一番賢い返事だったのかも知れない。
しかし当事者にとってはそうでも、ニノマエにとってはそうではない。
先輩である生徒会長と生徒会副会長の恋路を秘密にせねばならず、にも拘わらず同じ組織の一員として活動もしなくてはいけないのだ。ぶっちゃけ友達少なめで雑談を振られることもほぼないニノマエなのでポロリと零してしまう心配もそんなにないが、それでも他人のための秘密というのはストレスしか生まない。
「で、改まってどうしたんですか。生徒会長から蓬莱の玉の枝か燕の産んだ子安貝でも持ってこいって言われました?」
生徒会長のことはよくわからないがそれくらいの無茶は言い出しそうだ。
「うーん、いやそこまでではないけど仏の御石の鉢くらい」
「無理難題の中で難易度の話をするのちょっと不毛ですね」
「そういわずに話だけでも聞いて欲しい、そして難易度はニノマエちゃん次第でぐっと下がる可能性があるんだ」
「私は関係ないべきだと思うんですが」
嫌な予感がして言葉でこころの距離を取るが存外食らいついてくるニシキ。
「関係ないべきとか言わないでよ俺のこころがベキベキになりそうだ」
「そんなヤワじゃないでしょ」
「いやいやこの一ヶ月くらいで俺結構限界だよ」
「そういう泣き言生徒会長に言ってないでしょうね」
そして出来れば後輩女子にも言わないで欲しい。
「さすがにまだない」
「良い心がけです。まあいいでしょう。とりあえず話を聞くだけですからね?」
変に拗れた破綻の仕方をされてまだ七割ほど残っている本年度の生徒会活動が居心地の悪いものになってもそれはそれで自分になんの益もない。善処出来る範囲であれば極力善処したほうがこの部屋で活動する全員のためだ。
「実は保留と言われてもなんもしないのも芸が無いと思ってデートに誘ってみたわけなんだけどさあ。お互いの理解を深め合うのは判断材料を増やす意味で有意義だとかなんとか適当言って」
「まあこの上なく妥当ですね」
この場合内容じゃなくて言い方とか態度が凄い適当というかテレテレだったんだろうなと思うが突っ込まない。
「話してるうちにどうにかデートにこぎつけられそうな感じになってきたのだけど、ここで仏の御石の鉢を持ってこいと言われてしまったわけなのさ」
「具体的には」
「ニノマエちゃんと彼氏くん同伴でダブルデートなら良いって」
「は?」
ニノマエが目を丸くして大口開けてぽかんとしてるの可愛いなと思ったけど下手に褒めるとそれはそれで怒られが発生するので口にはしないニシキ。念のため本題のほうをもう一度繰り返す。
「ニノマエちゃんと彼氏くん同伴でダブルデートなら良いって」
「は、はああああああああああああああああああああっ!?!?!?!!!」
悲鳴というか怒号が吐き出され部屋中のガラスが震えた。
「静かにっ!静かにお願いしますお客様ぁっ!!」
ニシキのトーンを落とし切った悲鳴のような静止に呻いて声を飲み込むニノマエ。
「嫌ですよなにバカなこと言ってるんですかっていうか私に彼氏がいるって生徒会長に言ったんですかこのおしゃべり派手逆毛男」
「え、いやだって特に口止め無かったし」
「ぐうううう」
「お、立派なぐうの音が」
「殴りたい」
「ごめんて」
恨みがましい目でニシキを睨んだところで後の祭りだ。気分を切り替えていこう。
「もういいです。まったく、出来れば隠しておきたかったんですが」
「え、なんで」
「先輩だって私に彼氏なんていないと思ってたでしょう?そういう女が誰かと付き合ってるなんて知れるとうっとうしい連中が湧いてくるんですよ」
神経質そうな細い眉と鋭い目付きに長い黒髪をぴっちりとヘアバンドで上げた髪型。身長140cm台とかなりの小柄ではあったが性格は見たままキツくて生真面目。
親しい友達はおらず部活にも入らず生徒会活動だけ熱心な委員長系女子に彼氏がいると知れば一目見ようと野次馬根性を出してくる人間は必ず現れる。
「あーまーわかるねー野次馬側としてはっていうか俺もニノマエちゃんの彼氏めっちゃ興味あるし」
ニノマエの目がスっと座った。手元に開いていたノートを静かに閉じる。
「そうでしょうともシネこの話はこれで終わりですデート頑張ってクタバレください」
「ところどころ本音が漏れてるっていうか待って!ごめんなさい待ってぇぇぇぇえっ!」
テキパキと荷物を片付けすっと立ち上がったニノマエは、今まで椅子に座っていた彼女に合わせて屈んでいたニシキをそのまま見下ろす。その表情はまさに柳眉倒豎と言うに相応しい。
「え、えっと…あの…ですね…」
ニシキは怒りを抑え込むように組んでいる彼女の腕の上に載っているモノの圧倒的インパクトに一瞬目を奪われたが、ここで態度と言葉選びを間違うと終わる。本能がそれを感じていた。全身から嫌な汗が噴き出す。
「ごめんひとのプライベートを軽率に喋り過ぎた」
目先の怒らせた原因より元を叩こう。拝むように手を合わせて屈んだ姿勢からさらにひとつ頭を下げる。
少しの間があって、頭上で大きなため息が聞こえた。
「こんなことで怒っても仕方ないですし、とりあえず脇に置いておきましょう」
「へへえありがとうごぜぇやす恩に着ます」
「いいから頭を上げてくださいこんなとこで私にペコペコしてるの見られたら減点待ったなしですよ」
「あっはい」
言われて身体を起こすとさすがに彼女の顔を遠く見下ろすことになる。
必然彼女はニシキを見上げることになるのだが、まったく気負った様子がないのは鍛えてもいないのに少々逞し過ぎるのが密かな悩みの彼にとって少しありがたくもあった。
よく怯えられるので。
「それで?ダブルデートでしたっけ」
「あ、ああうん。港の遊園地に誘ったんだけど」
「遊園地か…」
「どうかな…」
お互い明らかな思考中は黙って待つという不文律が生まれつつある今日この頃、ニシキは彼女の腕の上で強烈に主張しているモノに目を奪われていた。
元々大きいなと思っていたが、最近夏服になったので薄い生地の向こう側に透ける生々しさが半端ない。はち切れそうな圧は実際他の女生徒とは比較にならないくらいシャツのボタンに負担をかけているのが見てわかる。
これクラスメイトは大変だろうな、などと羨望と同情の綯い交ぜになった気持ちを抱かずにはいられなかった。
組んでいた腕の片方をあごに当てて暫し考える仕草をしていたニノマエが上目遣いにニシキを見上げた。慌てて視線を顔に戻す。
「わかりました、入園料面倒見てくれるなら彼に相談してみましょう」
「ぐっ」
「全額とは言いません。食事とかアトラクション代は自分で賄いますので」
こういうときニノマエは容赦がない。しかし前に奢らされたコンサートチケットを思えばまだ…。
「わ、わかった…彼氏くんにはくれぐれもよろしく頼むよ」
「話がついたら連絡しますよ。まあ断られたら諦めてください。アイツが断るとは思えませんけど」
「あ、そーなん?」
「だからこそ嫌っていうのもありますね」
そういうニノマエの表情は嫌そうというよりはもっと深い、なんとも複雑だ。
「なんていうかニノマエちゃん彼氏にも結構辛辣なの」
つい口を突いて思ったことが出てしまった。やっちまったかと思って顔色を伺うが、幸いというか彼女はさほど気に障った様子もなく、むしろ真面目な顔で見上げて来た。
「恋は戦争って言いますけど、愛も戦争ですよ」
「なにそれ殺伐とし過ぎてない?」
「永遠に終わりなき戦いです」
「な、なるほど」
俺は間違った恋愛観の持ち主に相談をしてしまったのではないかと思うニシキだったが、そもそも秘密にしていた片想いがバレたのがきっかけだったからコントロールは出来なかったしなんにしても後の祭りだった。
そこまで考えてふっともうひとつ気になったことを思い出す。
「そういえば彼氏くんと付き合ってんの隠してるなら、デートとかどうしてんの?」
さすがに男とふたり連れで歩いていたら誰か彼か気付くだろうし噂にもなるだろう。
「普通にしていますけど、デート中に知り合いに気付かれたことないので」
「それってどういう」
「ま、それは本当に遊園地に行くことになればわかりますから」
「あっはい」
こうしてその日の生徒会活動はお開きになった。
余談だが生徒会長は私用とやらで欠席だった。
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