シークレットなファミリー

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 倉田(くらた)すずみはごく普通の専業主婦である。  夫の和也(かずや)、娘で小学一年生のありすの三人暮らしで平穏な日々を送っていた。  この日まで、は。  ――ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ……  スマホの着信音が響く。 「あら、和也さんかしら」  夫はとうに出勤して、そろそろ会社に着いている時間。ということは忘れ物をしたことに気付いて電話、持ってきてほしいといったところだろうか。  しかしその予想はハズレ。  電話を掛けてきたのは、だった。 「(うそ)でしょ?何で今頃……」  以前の勤め先はとっくにしており、自然と退職という形になった。まさかまだ(いばしょ)が残っていたというのか。  半信半疑のまま、すずみは通話ボタンをタップした。 「もしもし……?」 『久しぶりだな、シャーベット』  電話の向こうからの声は間違いなく元上司、ミスターレックスだ。こうやって話すのは十五年ぶりだろうか。 「やめて下さい。私はもうその名前は捨てたんです」 『まぁそう言わんでくれ。折角(せっかく)組織を立て直したんだから』 「行方不明になってから、ずっと再建のために奔走(ほんそう)していてくれたってことですか?」 『正確には再スタートだな。それで今日は新たな指令として――』 「私はやりませんよ」  すずみははっきりとノーを叩きつけた。 『まだ何も頼んでないだろ』 「どうせまた一緒に働けって言うんでしょ?嫌ですよ、私には今の生活があるし、何より来年四十歳ですよ?シャーベットなんて恥ずかしい名前名乗れるわけないですから」 『我なんか去年百歳万歳(ばんざい)に出たぞ』 「知・り・ま・せ・ん」  上司も自分も、互いに歳を取った。もう次の世代に任せるべきで、自分達の潮時はとっくに過ぎたのだとすずみは思っていた。  しかしミスターレックスはなおも食い下がってくる。 『前線に出ろとは言わない。だがせめて新人の教育だけは頼む。人手が足りないんだ』 「どれだけかつかつで運営しているんですか……」 『は当時並に良い人材を得たようで勢いがあって、我らだけでは歯が立たぬのだ』 「はぁ……。仕方ないですね」  かつて大いなる威厳を持っていた上司だが、今では(おとろ)えたおじいちゃんだ。すずみは敵対する相手に押し潰されそうになっている老人を放っておけず、嫌々ながら結局新人の教育係を引き受けることにした。 「それで、私はどうすれば?」 『とにかくシャーベットとしての経験とその技術をうちの若手に叩き込んでくれ』 「本当にそれだけですよ?」 『ああ。そうだ、あと敵のデータを送るからそれもチェックしておいてくれ』 「はいはい、了解(ラジャー)です」  通信が切れると同時に、すずみはソファーの上にどかっと倒れ込む。  まさかおばさんになってからまたあの過酷(ハード)な職場に復帰するなんて思いもしなかった。しかし教育係なら疲れやすくなったこの体でも大丈夫だろう、と安易に考えながら、メールで送られてきた資料を確認していく。 「ちょっ……!?何で!?」  だが、資料の中にあった写真が目に入った途端、そんなスカスカの考えは天高く吹っ飛んでいった。  
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