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underwear thief
「エセ神父に敷居跨ぐ許可した覚えねえぞ」
「俺が出した。文句あるか」
「相方の意見は無視か」
「先生はエセじゃない、世界一立派な聖職者だ。事実無根な誹謗中傷は許さないぞ」
片や咥え煙草でスニーカーを突っかけ、片や腕組みして仁王立ち、バーズは喧嘩の真っ最中。スワローが不機嫌な原因はピジョンが昼にねじこんだ予定にあった。
「駄バトの耳は節穴か?先週言われた時きっぱり反対したぜ、食事に招待するなア反対だって」
「一度きちんと挨拶しとけ。先生とは上手くやってほしいんだよ、このさき俺に何かあったら頼ることになるんだぞ」
「何かって何」
「病気になったり怪我したり」
「腰が抜けたり?」
「お前のせいでか」
ピジョンに睨まれたスワローが鼻を鳴らす。
「てめえが食あたり以外で寝込むなんてありえねー」
「根拠は」
「俺がいる」
「お前がいても……」
「んだよ?」
「俺のことほったらかしてナンパ行くだろ」
新たな煙草を咥えそっぽを向く。ピジョンが鼻白む。
「否定しろせめて」
何故ピジョンが自分と神父の仲を取り持とうとするのか、スワローには理解できない。スワローは兄と親密な神父を毛嫌いし、ピジョンはそれに心を痛め、隙あらば恩師と引き合わせようと世話を焼く。今日のランチにしたところでお節介が勝手に決めたのだ。
「茶番に付き合うなんざごめんだね。ままごとは卒業したんだ」
「食事は俺が作る、椅子に座ってるだけでいい」
「くどい」
がっくり肩を落とす。
「いいよ。行けよ。先生と二人で食べるから」
「あーあーそうさせてもらうぜ」
売り言葉に買い言葉でノブを掴んだ途端、嫌な予感が膨らむ。二人きりにするのはまずい、間違いが起きるかもしれない。底抜けにお人好しなピジョンは神父を信頼しきっているが、スワローは彼に心を許してないし、留守中に団欒されるのも癪だ。
スワローの指定席にエセ神父がどっかり座り、ピジョン手作りのマカロニチーズをお召し遊ばされる光景を思い描き、嫉妬と疎外感がささくれる。
家に居残り天敵を迎えるべきか街に繰り出し憂さを晴らすか、究極の二択に迷えるスワローの肩をピジョンがぽんと叩く。生温かい眼差し。
「わかるよ。一人ぼっちは寂しいもんな」
「は?」
「ちゃんと席あるから安心しろ。マカロニチーズも多めに作った」
「……おい駄バト、てめえ今なんてぬかした。この俺様がいじけてるって言いやがったか」
「違うのか?」
ピジョンが首を傾げる。
「昔から人見知りしたじゃないか。先生に会いたくないってごねるのはその延長で」
「ちげえ」
「大丈夫、先生はいい人だ。お前をのけ者にして盛り上がったりしないよ、話題には気を遣うって約束する」
だんだんイライラしてきた。スワローの不穏な沈黙をよそに、ピジョンは力を込めて念を押す。
「た・だ・し、下ネタと煙草は禁止な。ファック・シット・ビッチも厳禁、親指下げるな中指立てるな舌打ちするな唾吐くな。常日頃から息するようにしてる冒涜的な言動はくれぐれも慎めよ、俺と母さんの育て方が疑われる。ご飯もまずくなる」
「煙たがれンなア存在だけで十分ってか?ベッドの上じゃ躾けられる側のくせに偉そうに」
「副流煙が原因で先生が癌になったら承知しないぞ、兄弟の縁を切る」
ここぞと持ち出された脅し文句にピキり、ピジョンの顔面に煙を吐く。
「げほげほっ」
煙草の煙をまともに吸い、咳き込むピジョンに構わず回れ右。
「どこ行く?もうすぐ先生が」
来客を告げるベルが響く。舌打ちと共にドアを開け、そこにいる人物に目を丸くする。
「よ。お邪魔だったか」
「劉じゃないか、どうしたの」
「たかりにきた。今月金なくてさ、煙草恵んでくれ」
「メンソールじゃねえぞ」
「背に腹は変えらんねえ。頼むこの通り、ニコチン切れで死んじまいそー」
廊下に立ち尽くす猫背の青年は劉だった。スワローを拝み、図々しく煙草をねだる。手の痙攣とげっそりこけた頬は禁断症状によるものか、だとしたら末期だ。心なし目の下のクマも濃い。ピジョンが心配する。
「どうかしたの、眼鏡」
「哥哥にやられた。お前にくれてやる煙草はねえって」
「上司にたかんなヤニ中」
「るっせえ、大麻だったんだよ」
片方の弦がひん曲げられた眼鏡は不均衡に傾ぎ、劉の顔を間抜けに見せている。スワローが笑いだす。
「眼鏡買い替える小遣いも貰えねえとかマフィアの下っ端終わってんな」
「壊されんの五度目」
「災難でしたね」
揃って振り向けば、カソックに身を包んだ男が階段を上ってくる所だった。ぎょっとした劉と目が合うなり、にっこり微笑み返す。
「舎弟いじめは程々にと、あとで叱っておいてあげますよ」
「叱るって」
「お尻ぺんぺんです。もちろんズボンは下げます」
「先生!」
勢い劉を押しのけたピジョンが顔がげんきんに輝く。スワローはしかめっ面。三人の近くで立ち止まり、神父が肩を竦める。
「お待たせしました、エレベーターが故障中でして。てっきり神が我を見放し給うたかと」
「地獄耳かよ……」
劉はやや引いていた。それもそのはず、彼等が立ち話していた地点と階段は離れている。
「狙撃手は目と耳がいいんですよ」
劉の発言に気分を害すでもなく、額の汗をハンカチで拭って微笑む。ピジョンが小走りに駆け寄っていく。
「大変でしたね。疲れてませんか」
「各フロアで布教しながら上って来たんで大丈夫ですよ。皆さん慈善精神あふれる素晴らしい方ですね、募金を恵んでくださいました」
カソックの下から魔法のように取り出した木箱を揺する。スワローが憎たらしげに腐す。
「偽札だろどうせ」
「二百ヘルほど」
「少ねっ」
「募金額で真心を忖度するのは貧しい発想です。他者に施しを成す精神を尊ぶのです」
「カソックのたかり屋追っ払いたくて端金投げたんじゃねーの」
「スワロー!」
図星な邪推を嗜め、神父に謝罪する。
「弟の心が貧しくてすいません」
「気にしません。誰しも過ちは犯すものです」
「ンだとこら」
劉に羽交い絞めにされたスワローが息巻く。ピジョンは神父の目を見て訊く。
「教会空けて差し支えませんか」
「構いませんよ、働き過ぎだから休みをとれとシスターたちに脅されてたので」
「ああ……」
孤児院卒業生の働き口の手配や告解の聞き役、礼拝の段取りから畑仕事大工仕事までこなす忙しさは計り知れない。ピジョンの居候中も雨漏りの修繕を買って出ていた。シスターたちが心配し、休めと促すのは納得だ。
「先生は頑張りすぎなんですよ、たまには息抜きしなきゃ倒れちゃいます」
「男手が足りない故に力仕事が回ってくるのは仕方ありませんね、君がいた頃は少しは楽できたんですが」
「あれ位当然です」
神父に褒められピジョンが照れる。面白くない。スワローは劉の腕を掴んで歩き出す。
「お、おい」
「待てよスワロー!」
呼び止めるピジョンは意に介さず、高々中指を立てる。
「コイツの眼鏡見立てにいく」
「ご友人思いですね。共に食卓を囲めないのは残念ですが、引き止めるのも野暮でしょうか」
「アンタのツラ見るよかサイケな柄シャツ見てる方がマシだね」
スワローは劉を引っ張り階段を下りていく。手摺から身を乗り出し二人が去るのを見届け、ピジョンが特大のため息を零す。
「反抗期なんです」
「嫌われちゃいましたかね」
「気にしないで。さ、入ってください」
スワローはほっとくと決めた。ドアを大きく開けて迎え入れる寸前、子供の泣き声が聞こえた。以前見かけたことがある、同じ階の女の子がべそかきながら徘徊してる。
「えーんえーん」
「どうしたの」
「パパとママが喧嘩してお鍋ひっくり返しちゃったの」
「酷いね……」
「近所の人にお昼ごはん分けてもらってこいって」
「何人家族?」
四本指を立てた女の子の腹が鳴り、ピジョンと神父は目を交わす。決断は早い。一旦引っ込んでから戻ってきたピジョンは、両手に抱えた琺瑯鍋を女の子に渡す。
「これで足りる?」
「ありがとー後でお鍋返しにくるねー」
「走ったら転ぶよ、気を付けて」
笑顔で去ってく女の子に手を振り、優しい目をした神父に向き直る。
「ええと……ごめんなさい」
「君の手作り料理を食べ損ねたのは些か惜しいですが、それならそれでやりようはあります」
五分後、ピジョンと神父は並んでキッチンに立っていた。神父はカソックを腕捲りし、ピジョンはマヨネーズの瓶を開け、薄く切った食パンの断面に塗りたくっている所だ。マスタード・ジャム・ピーナッツバター、ピクルスの瓶やスパム缶も並んでいる。
「誰かとサンドイッチ作るの久しぶりです、スワローの奴は全然手伝ってくんなくて」
「昔よく食べました。ワンハンドフードは効率良いんですよね」
「両手が塞がってちゃ致命的ですもんね」
お互い相槌を打ち、なめらかにナイフを翻す。経験の差だろうか、ピジョンに比べ神父の手付きは鮮やかだ。食パンの上にスパムとピクルスをのせ、別のパンで挟む。
指に付いたマヨネーズをちびちびなめ、神父の横顔を見上げる。
「自分で作ったんですか?」
「大体は」
「現役時代の話聞かせてください。呉さんと組んでたって聞きましたけど」
神父が眉をひそめて言葉を返す。
「食い逃げの天才ですよ彼は。ちょっと目を離すとすぐ持っていく」
「スワローみたいだなあ。アイツも俺のもの欲しがるんです」
「頭に来て一回激辛マスタードを仕込みました」
「どうでした?」
「完食でした」
「辛党なんだ……」
ピジョンは浮かれていた。隣に神父がいると安心感がある。来客に調理を手伝わせるのは少々気が引けたものの、神父自身が望んだことだ。
「子供の頃は交代で料理当番してました。パンケーキが得意なんです、アレで。俺はサンドイッチがせいぜいでした」
「謙遜には及びません、サンドイッチだって立派な料理じゃないですか」
「喧嘩も料理も勝てたことない。だから馬鹿にされる」
卑下するピジョンの表情を読み、神父はさりげなく言った。
「私は誇らしいです」
「え?」
「空腹の子供にマカロニチーズを施す、優しい弟子を持って誇らしい」
その優しさが仇になる日が来るとしても、と心の中で付け足す。ピジョンは頬を赤らめ手近な瓶をとる。ねじ蓋が固くて回らない。
「く、スワローめ……!」
「どうされました」
「ああいや、ジャムの瓶が開かなくて。強く締めすぎたみたいです」
「貸してください」
素直に瓶を渡す。神父が片手に瓶を持ち、片手で蓋を引っ張る。
「ぐ、手強いですね」
「でしょ?」
「待ってください、もうすこしで」
言うが早いか引っこ抜け、勢い余って中身が飛び散る。お互いの顔に跳ねたジャムを見比べ、瞬く。
「お恥ずかしい所を見せました」
恐縮しきって瓶を置く神父の指を掴み、赤い粘りを舐めとる。
「ピジョン君?」
赤面。
「今のは癖で反射的に、うっかりスワローと間違えて。アイツ食べ方汚くてジャムとかソースとかあちこち飛ばすしフキンで拭いたらフキンが汚れるし洗い物増えたら母さんが大変なんで、それにほらもったいないじゃないですか!」
子供の頃から弟の面倒を見てきた反動でまたもやとんでもないことをしてしまった。しどろもどろ恥じるピジョンを見守り、神父が悪戯っぽくとりなす。
「お返しです」
唇の端のジャムをすくいとる。
「は、はは……」
頭をかいて照れ笑いする青年の顔を拭い、キッチンを片付けていく。我に返ったピジョンも加わる。ちょっとしたハプニングを挟みながらもサンドイッチは無事出来上がり、テーブルに移動する。
「おっと」
窓の外に洗濯物を干しっぱなしにしていた。取り込むか迷い、横着してカーテンで隠す。せっかく片付けた部屋を散らかすのは躊躇われた。
木製の椅子を引いて腰掛け、向かい合わせに手を組み、食前の祈りを捧げる。
「父よ、あなたの慈しみに感謝してこの食事をいただきます。ここに用意されたものを祝福し、わたしたちの心と体を支える糧としてください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン」
「アーメン」
澄んだ詠唱が快く響く。祈りを終えると同時にサンドイッチに手を伸ばす。
「まずまずかな……」
「おいしいですよ?」
うるさいのに慣れてるせいかスワローがいないと変な感じだ。窓の向こうの通りでは子供たちが戯れ、伸びた猫があくびしていた。
「最近どうですか、教会の様子は」
「相変わらずです。子供たちが会いたがってました」
「クリスマスには伺いますよ、プレゼント持って。スワローに人数分のサイン書かせます」
「子供たちが喜びます、ヤング・スワロー・バードはヒーローですから」
「リトル・ピジョン・バードのサインも隅っこにちっちゃく入れときます」
「堂々書けばいいじゃないですか」
「転売時に価格が下がるといけないんで」
「そんな事しませんしさせませんて」
食事中に行儀悪いと思いはすれど話題は尽きず、お喋りは止まらない。神父とピジョンは和やかに言葉を交わし、サンドイッチを食べ、コーヒーを飲む。
「ごちそうさまでした」
「早。もうですか」
「昔の癖でしょうか、早食いは直りませんね」
「負けちゃいました」
「張り合うなら狙撃の腕にしてください」
「ごもっとも」
先に皿を空にした神父が正論を放ち、口の中の物を嚥下したピジョンが生真面目に頷く。
「次はスワローを同席させます。絶対」
「無理なさらずに」
「してません。アイツは先生のこと誤解してるんです」
「なんて?」
「瓶底眼鏡と糸目が胡散臭いエセ神父だって」
「手厳しいですねえ」
「人を見かけで判断するなんて兄として哀しいです」
「外見が胡散臭いのは認めるんですね……」
ピジョンは大急ぎでごまかす。
「けど先生、そんな分厚い眼鏡かけてちゃハンデになるんじゃ。狙撃手は目が命だってさんざん」
「賞金稼ぎは引退済みです」
「そ、そうでしたね」
食後の休憩を切り上げた神父が椅子から腰を浮かす。
「そろそろ行きますか」
「帰るんですか」
ピジョンの疑問に眉をひそめ、眼鏡のブリッジを指で押す。
「スナイパーライフルを持ってきなさい」
この流れはまさか。
眼鏡の奥の糸目がうっすら開き、パープルアイが怜悧に光る。
「君は私の弟子。ならば師の務めを果たすまで」
嫌な予感は的中した。平坦な屋上にピジョンを連れ出した神父は、弟子に狙撃の基本姿勢をとらせ、アップテンポの手拍子を交えて指導する。
「ブローン・ニーリング・スタンディング、ブローン・ニーリング・スタンディング」
「ちょっ待っ」
「肘を内角に曲げてるせいで無駄な負担が掛かってますよ、手首の腱を痛める前に修正してください」
「三十秒だけ休憩を!」
「ブローン・ニーリング・スタンディング、ブローン・ニーリング・スタンディング」
号令に応じめまぐるしく姿勢を変え、ライフルを構え直す。神父はピジョンを中心に手を叩いて歩き、バテて止まれば素早く飛んできて、萎えた膝や挫けた肘を正確無比に矯正する。
「リトル・ピジョン・バードのサインが真に価値あるものになるかどうか、全て君自身の頑張りに賭かってる現実をお忘れなく」
屋上の隅に建てられた小屋でくるっぽーと鳩が鳴く。
「何してんのー?」
「へんなのー」
洗濯物を干しにきた主婦に放し飼いにされた子供たちが珍しい見世物に群がり、ピジョンの腕といわず膝といわずツンツンする。
「ちょっやめっさわんないでお願いだから!」
「あははぷるぷるしてるー」
「バンビちゃんのまねー?」
膝の屈伸運動を続けるピジョンの哀訴を面白がり、棒やら指やらでピンポイントに急所を狙いまくる悪ガキどもを眺め、神父が相好を崩す。
「ピジョン君は人気者ですねえ」
「笑って見てないで助けてください!」
「邪魔しちゃいけませんよ、お菓子をあげるからあっちで遊んできましょうね」
「「わーい、ありがとー!!」」
袖の下の飴玉をもらい子供たちが離れていく。同時に力尽きたピジョンが突っ伏す。
「やった……やったぞ……!」
ごろんと寝返りを打ち、大の字に空を仰ぐ。哀しいかな、ボールを投げて遊ぶ子供たちは見向きもしない。ならばと神父の労いを期待し耳を澄ます。
「……先生?」
なんてことだ、よそ見している。神父の労いだけを心の支えにやり遂げたというのに、頑張り損のくたびれ儲けじゃないか。
さすがに文句を言おうと口を開きかけ、シリアスな横顔が気勢を殺ぐ。
憂いを帯びた視線の先には、物干し用のロープに吊られた真っ赤な紐パンがあった。
何故紐パンを?
愚問だ。神父だって生物学上は男の端くれ、異性の下着に興味ないはずがない。賞金稼ぎ引退から十数年、教会にこもり禁欲生活を営んできた身には些か刺激が強すぎる光景だ。
スワローとデキずにいた半年間オナニーアナニーでもたせた不肖の弟子と違い、清く正しい神父は一切の煩悩を絶ち、ポルノ鑑賞はもとより自慰すら慎んでいたはず。
紐パンを眺めたそがれる様が同情を誘い、抜き足差し足忍び足で部屋に戻り、スワローが留守にしたベッドの下をかき回す。
「げ」
真っ先に掴んだ雑誌を見る。よりにもよってこれかよ。他は……奥の方に蹴り込まれてる、足癖の悪いヤツめ。
コートの下に雑誌を隠して戻り、相変わらず上の空な神父の肩を遠慮がちに叩く。
「ああピジョン君。終わりましたか、お疲れ様です」
「どうぞ」
「はい?」
コートで遮るように雑誌を渡す。
「シスターたちには内緒にしときます。絶対喋りません、口固いんで俺」
表紙ではやけに丈が短くスリットが際どいシスター服を着た、痴女と紙一重のセミヌードモデルが開脚ポーズをとっていた。
神父の笑顔がぬるく薄まる。
「なにか誤解されてません?」
「お気に召しませんか?スワローのお宝の中からなるたけキレイめでノーマル寄りの選んだんですけど……他は上級者向けっていうか、SМ系のエグいのばっかで」
自分の本を貸す案は却下、カピカピで恥ずかしい。神父はまだ戸惑っている。
「弟さんの性癖暴露されても困ります」
「考えが足りませんでした、いくらコスプレだって現役神父がシスターを性の捌け口にするのは問題ですよね、取り替えてきます。ナース・ウェイトレス・チアガール・レースクイーン・バニーガール・レディポリス、どれにします?」
「しいていえばバニーガールが」
咳払い。
「話を戻します。何故この本を?」
「屋上で光合成してる紐パンじっと見てたじゃないですか。その、えと、ずばり言っちゃいますけど……溜まってます?」
「違います」
ぱらぱらピンナップをめくり、欲求不満を否定する。
「じゃあなんで弟子のトレーニングそっちのけで食い入るように紐パン見てたんですか」
「それには深い理由が」
「どんな?」
ひたむきに詰め寄るピジョンに対し、大真面目に雑誌の中身を検閲し終え、「神よ許したまえ」と小さく十字を切る。
「先日教会に下着泥棒が出たんです」
「なんですって!?」
素っ頓狂な声を上げるピジョン。主婦が洗濯物を干す手を止め、子供たちが一斉に振り向く。
「それで?皆は無事だったんですか」
「子供たちはスルー、シスターは全滅でした」
「そんな……」
「お気に入りの紐パンを盗られたシスターモニカはとりわけ傷心のご様子で、下着泥棒を逆さ吊りの刑に処すと息巻いています」
だから紐パンに想いを馳せていたわけか。ていうかシスターモニカ紐パンなんだ。
悶々と膨らむ妄想を打ち消し、勇み足で突っかかっていく。
「水臭いじゃないですか、どうして真っ先に相談してくれないんですか」
「君は独り立ちしましたし、内輪のトラブルに巻き込むのは気が引けまして」
「お世話になった人が困ってるのにほっとけません」
「懸賞金100万ヘル以上の大物しか手掛けないとお聞きしました」
「それはスワローだけ。俺は選り好みしません、大物小物どんとこいです」
「お忙しいのでは?」
「暇です!」
胸を張る。
「犯人の目星付いてるんですか」
「たぶん彼かと」
カソックの懐を探り、丁寧に折り畳んだ手配書を開く。刷られていたのは二十代後半の男の絵。爬虫類のミュータントらしく、全身に緑がかった鱗が浮いてる。
「神出鬼没のトカゲ男、狙った獲物は逃がさないリチャード・リザードマン氏です」
「保安局で見たことあります。コイツだったのか」
「私の下着も盗まれました」
「先生も!?」
「聖職者、ましてや男は対象外だと油断していました。君も気を付けてくださいねピジョン君、彼の犯行は無差別無分別無節操の極みで」
賢しげに語り続ける神父の背後、見覚えある男が横切った。ロープに干された洗濯物の中から下着だけ奪い、上着とズボンにありったけ突っ込んで逃走する。
ピジョンは即応した。
「現行犯逮捕だ!」
コケて空振りしたピジョンの体を飛び越え、屋上の縁まで飛び退ったリチャードが向き直る。
「お宝はいただいた。コイツは高く売れるぜェ」
「売るのか!?」
「個人的趣味でコレクションするのもあるけどな」
「下着だってただじゃないんだぞ、持ってかれちゃ困る」
「知ったことかよ」
泥棒の尻ポケットからはみ出た布きれを目撃し、ピジョンが愕然と凍り付く。
「そ、それは……」
トランクスの端にはガタガタのイニシャルと燕の刺繍が縫い込まれていた。
「ヤング・スワロー・バードのパンツ!!」
不覚だった。
いい天気だからと浮かれ、窓辺に干しっぱなしにしていたのが災いした。
「お、見ただけでわかるたァ兄ちゃん通だね~」
「最初からスワローのパンツ目当て……!?」
「ヤング・スワロー・バードといやあアンデッドエンドで売り出し中の若手賞金稼ぎ筆頭、生パンツをオークションに掛けりゃ百万は下らねえ、トランクス一丁でボロ儲けだはははは!」
「お前には人の心がないのか、そのガタガタのイニシャルとお世辞にも上手って言えない刺繍は母さんが夜なべして縫ってくれたんだぞ!」
「思い出した、ストレイ・スワローにゃみそっかすの兄貴が一人いるとかいねえとか……」
「パンツ返せ!」
「やーだね」
ピジョンの要求を突っぱね、スワローのトランクスを被ってダイブする。
「!?ッ、」
慌てて駆け寄るも遅く、大胆不敵な下着泥棒は配管や室外機を足場にし、滑らかに外壁を伝い下りていく。
「彼はトカゲのミュータント、手足の裏の吸盤が垂直移動を可能にします」
「逃がさないぞ!先生お願いします」
信頼する師にスナイパーライフルを預け、リチャードをまねて配管に取り付き、注意深く滑り落ちていく。
「すばしっこい奴め……!」
嵩張ると判断し銃を置いてきて正解だった、道幅が狭い上に雨樋や配管に阻まれ長物は閊えていた。
リチャードはピジョンの眼下で両手を突っ張り、会心の笑顔で待ち構えていた。
「未練たらたらじゃねえか」
「当たり前だ、俺が真心込めて洗って干したパンツだぞ。ていうかなんでスワローだけなんだ、盗むならきょうだいお揃いにしろよ、隣に吊ってあっただろ」
「あ~鳩のフン付いてたアレ?ばっちいからやめた」
ピジョンがショックを受ける。
追っ手が固まってる間にリチャードは距離をあけ、もうすぐ地上に到達しようとしていた。
「くそっ……」
我を忘れて追ってきたものの、高所から落ちたら死ぬ現実に足が竦む。
「スワローとシスターの下着を返せ!」
かくなる上はと覚悟を決め、目を瞑って手を離す。数秒後、衝撃が訪れた。ピジョンの狙いは見事的中し、ダストシュートの出口に位置するゴミ捨て場に落下する。
「ぶはっ」
ゴミ袋の山で弾み、幸いにも無傷ですんだ。魚の骨やリンゴの皮に塗れて立ち上がり、狭苦しい路地の谷間からまろび出る。
「臭ッ!」
顔を顰める通行人には目もくれず、長い付き合いのスリングショットを構え、ポケットに入れていた予備の銀玉を番える。
落下時に咥えたリンゴの芯を吐き捨て、限界ぎりぎりまで引っ張ったゴムを弾く。
「ぎゃっ」
足のすぐ横を弾丸が穿ち、リチャードが悲鳴を漏らす。上体が泳いだ拍子に懐の下着が撒かれ、それを掴んで回収する。
「させるか」
リトル・ピジョン・バードは激怒した。必ずかの邪知暴虐の盗っ人を除かねばならぬ。二発目三発目と音速の銀玉が掠め、リチャードが吠え面をかく。
「クソださトランクス一丁位いいじゃねえか、大目に見ろよ!」
そうかもしれない。
スワロー本人も「クソだせえ」「正気じゃねえ」「ノーパンのがまだマシ」と罵っていたし、オークションで変態に落札されたところで別に……。
「駄目に決まってるだろ!!」
続けざまに銀玉を射出、野次馬に向かって叫ぶ。
「あの人下着泥棒です、アナタのパンツとブラも持ってるかもしれません!」
「嘘でしょ!?」
「やだホント返しなさいよ!」
告げ口の効果は絶大、リチャードの前後を塞いだ女性陣が鼻息荒く飛び掛かっていく。
進路と退路を絶たれたリチャードは必然上に逃げざる得ず、雑貨店の庇に沿った雨樋を掴んで跳躍―
「今です!」
「心得ました」
ピジョンが翻す手に応じ、屋上に臥せった神父がトリガーを絞る。スナイパーライフルから放たれた弾丸はリチャードの右肩を正確無比に貫き、固い石畳に叩き落とす。
「痛っでえ……」
リチャード・リザードマンの受難は続く。
「こないだ失くしたベビードールあんたが持ってったのねこの変態!」
「うちの人がボーナスで買ってくれたTバックよこしなさいよ!」
怒り狂った女性陣がリチャードを袋叩きにし、身ぐるみ剥いで下着を取り返す。
「ぎゃああああぁあぁあぁあ!?」
阿鼻叫喚の地獄絵図と化した現場に立ち会い、お手柄を上げたピジョンは引き気味に苦笑いする。
「バーゲンセール?」
聞き覚えある声に振り向けば、スワローが劉と連れ立って帰宅したところだった。
「おかえり二人とも。その眼鏡スワローに買ってもらったの?すごく似合」
「ってたまるか。テメエの弟が選んで何故か俺が自腹切らされたんだ」
「ごめんよ」
劉は安っぽい星型レンズのサングラスを掛けていた。スワローはピンクハートのサングラスをずらし、だらしなく伸びたリチャードを冷ややかに見下ろす。
「コイツなんで俺のトランクス顔に履いてんの?」
「下着泥棒だよ」
「んだと?」
「リチャード・リザードマンて知らないか、アンデッドエンドお騒がせ中の……」
話の途中でスワローの鼻がヒク付き、ピジョンの胸ぐら掴んで匂いを嗅ぐ。
「臭っ!よく見りゃゴミまみれじゃねえか、きったねえ」
「お前って奴は……命がけで取り返したんだぞ、他に言うことないか」
「弟のトランクスに人生賭けて虚しくねえの」
「母さんがイニシャル入れてくれた……」
「女の前で脱げねーだろが!!」
見かねた劉が止めに入る寸前。
「助かりましたよピジョン君」
一同揃って振り向く。アパートのエントランスから悠然と現れた神父が、スナイパーライフルをピジョンに返し、リチャードの懐を探る。
「ありました、シスターモニカの紐パンです」
「よかったあ」
安堵する神父とピジョンの傍ら、スワローと劉はドン引きしていた。
「お前んとこの尼さんすげー下着はいてんな」
「ほぼほぼ紐じゃねえか、冒涜が過ぎんだろ」
「おしゃれができないぶん下着にこだわるのがシスターモニカの美学なのです。こっちは私のですね」
「ボクサーパンツ派か、気が合うなあ」
「他人とは思えませんねえ」
リチャードの戦利品をしっかり回収したのち、ピジョンの頭に手を置く。
「スナイパーライフルを預けて行かれた時はどうなることかと」
「またやっちゃいました、アイツがスワローのパンツ被ってるの見た瞬間頭が真っ白になって」
「ご無事でよかった」
「必ず仕留めてくれるって信じてました」
「弟子の期待にはこたえませんとね」
「ケチな下着ドロのした位でドヤってんじゃねえぞ駄バト駄メガネ」
「先生がいなけりゃスワローのパンツは帰ってきませんでした、ありがとうございます」
「いちいち俺の俺のって付けんじゃねえ、嫌がらせかよブッ殺すぞ!」
リチャードを踏み付けたスワローの野次はシカトし、照れ顔で忠告。
「剥き出しで持ってると誤解されちゃうんでしまった方がいいかな~、なんて……」
「迂闊でした」
右手に紐パン、左手にボクサーパンツを掴んだまま立ち話していた神父がハッとし、几帳面に畳み直した下着を衣嚢に入れる。
「弟子に教わる立場になるとは面目次第もございません」
「シスターモニカが待ってます。行ってください」
「かしこまりました」
かくしてリチャード・リザードマンは保安局に引き渡され、ピジョンは母が夜なべして縫った、スワローの下着の奪還に成功した。
なお神父が熱心に眺めていた紐パンが、大家の勝負下着であったことを最後に付け加えておく。
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