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pink snow
「爸爸、真っ白」
肩車された幼女がウインドウを指さし舌足らずに呟く。ガラスに映りこむのはベリーショートをショッキングピンクに染めた男。隣にはチャイナドレスの女が寄り添っていた。
女には顔がない。内と外の寒暖差で曇ったガラスにかき消されている。男は娘の足を支え直し、その視線を辿る。雑貨屋の陳列棚にスノードームが置かれていた。
ガラス球の中には両親と娘の人形が暮らし、箱庭に雪が降っていた。ミニチュアの銀世界。
「ありゃあスノードームっていうんだ」
「すのー……」
「本物見たことねえか。雪は冷たくて真っ白で、シロップかけて食うとうめえんだぜ」
「あなたってば、子供に変なこと教えないでよ」
「ンだよ、本当にイケるんだぜ。今度試す?」
「お腹壊しても知らないわよ」
夫の軽口に朗らかに笑った女が、ウインドウにすべらかな片手を添え、優しげに目を細める。
「クリスマスプレゼント、これにしましょうか」
「まだ早えんじゃね?」
「そうかしら」
「ぶん投げて壊すのが関の山。危ねえから別ので」
小さな娘がガラス片で手を切るのは避けたい。肩の上のシーハンは放心し、スノードームの内部の幻想的な光景に見とれていた。
「爸爸、あれちょうだい」
「もうちょい大きくなったらな」
指さしておねだりする娘を宥め、夜鈴と微笑み交わして歩き出した矢先―
「哥哥」
束の間の優しい夢が終わり、シケた現実が戻ってきた。傍らにはドン引きした劉。眼鏡がないせで鼻梁のそばかすがよく見える。
「キモ。笑ってましたよ」
「るっせ」
「いい夢見てたんすか」
「わかってんなら邪魔すんな」
「俺のベッドだし……」
眼鏡を外した劉は童顔だ。肋骨がハッキリ浮いた貧相な上半身をさらし、不服げに口を尖らす。
だんだん記憶が蘇ってきた。昨夜は劉を伴いバーを梯子した挙句、安アパートのベッドで酔い潰れたのだ。
「こっちは一晩床で寝かされたんすよ、背中バキバキ」
「あ゛~あ゛~うるせー頭に響く」
乱暴に頭を掻いて上体を起こし、まだ怒り足りない様子の劉に手を突き出す。
「ん」
以心伝心、これだけでわかった。劉が恭しい仕草で献上したサングラスを掛け、大きく伸びをする。視界はピンク一色に染まっていた。
ピンク?
「ぷっ……」
床に正座した劉が小刻みに震えている。俯いて笑いを堪えているらしい。今一度目を眇めて壁紙を睨み、サングラスを取り外す。
「謀りやがったな」
ハート型のドでかいレンズは度し難いショッキングピンク。それは参加者全員が羽目を外すパーティーでしか使い道がないような、イロモノの極みのジョークグッズだった。
「スワローのヤツに無理矢理押し付けられたんスよ、絶対似合うとかテキトーこかれて。哥哥ならほら髪色とお揃いだし案外イケっかなって、カラーリングの相性だけならばっちりっしょ」
しどろもどろ言い訳する劉にシカトをくれ、ふざけたサングラスを掛け直す。ベッド横の棚にはスノードームが飾られていた。
レンズ越しの雪は華やかに色付き、フラミンゴから毟った羽毛をばら撒いてでもいるようで。
「悪かねえ」
「は?」
素っ頓狂に聞き返す劉の腕を掴み、ベッドに押し倒す。
「冗談でしょ?」
「お前が掛ける?世界の見え方変わって刺激的だぞ」
「せめてそれとってください、面白すぎて気が散る!」
「やーだね」
じたばた暴れる劉を力ずくで組み敷き、シャツを捲っていく。呉がプレゼントしたスノードームの中では、けばけばしいピンクの雪が降り続いていた。
視界の端を掠めた子供だましの箱庭に嗤い、眼前で歪む顔に意識を集中する。
雪がれた血の色は、今の自分にこそふさわしい。
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