hymn

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ボトムの礼拝堂ではクリスマスコンサートの予行演習をしていた。雛壇には子供たちが並び、修道女が弾くオルガンに合わせ、たどたどしい賛美歌を唄っている。 指揮を執るのは年齢不詳の神父。最前列でかしこまるチェシャの背後にはハリーが控え、隙を見て耳を引っ張っていた。 「いたっ!ちょっと、いい加減にしてってばハリー!」 「なんもしてねーもん」 「ほらそこ、悪戯しちゃいけませんよ」 オルガンの演奏が止み、神父が大仰にため息を吐く。もとより集中力散漫なハリーは、ことあるごとにチェシャにちょっかいをかけ、合唱の練習を中断させていた。チェシャの隣のシーハンも困り顔だ。 「やめなよハリー、チェシャやみんなが困ってる」 「そうだよ、本番で失敗しちゃったらどうするの?」 「だって暇なんだもん」 ハリーの右側のヴィクがおずおず口を挟み、シーハンも援護する。友達に窘められ、ハリーは露骨にふてくされる。半ズボンから突き出たしっぽは跳ね回っていた。 「讃美歌ってしんきくさくて苦手。もっとパーッとしたの唄いてえ」 「お気に召しませんか。私は好きですけどね」 頃合いと見て休憩をとる。 他の子供たちがこぞって礼拝堂の外に飛び出していくのを見送り、ゆったりした歩幅でハリーの隣にやってきた神父が、雛壇に腰掛ける。 「ばっかみてえ。どうせ誰も見にこねーのに」 クリスマスコンサートは慈善活動の一環で、合唱後に寄付を募るのが慣例となっている。 とはいえ神に見放されたボトムのこと、わざわざ教会に足を運ぶ物好きは稀。 雛壇に掛けたハリーが口を尖らし、交互に宙を蹴る。 「あーあ、やる気でねえ」 クリスマスは持てる者持たざる者の明暗を分ける日だ。故あって孤児院に預けられた子は家族の温かい拍手に包まれ、みなしごはその様子を指を咥えて羨むしかない。ハリーは後者だった。 「気持ちは御察しします」 神父は鹿爪らしく頷く。 「ならばハリー君、私やシスターたちを喜ばせる為に歌ってくれませんか」 「やだ。音痴だもん」 「そんなことありません。君の歌声は元気一杯で大変よろしいと思います」 「さっきだって歌詞間違えたのに」 「主はお許しになられます」 両膝を抱き締めたハリーに寄り添い、そっと耳打ちする。 「チェシャさんを見返したくありませんか」 「ッ!」 ハリーのしっぽが伸びきる。図星。神父が悪戯めかして笑い、ハリーの頭を優しくなでる。 「上手に歌い通したらきっと感動しますよ」 「……できるかな」 「自信をもってください。さ、練習再開です」 手を高く打ち鳴らし、あちこちに散らばっていた子供たちを集める。修道女がオルガンに両手を下ろし、ペダルを踏みこむ。豊穣な旋律が醸され、礼拝堂の穹陵に殷々と響き渡る。 『あなたの歌好きよ、アウル。もっと歌って』 脳裏に像を結ぶ初恋の少女が、ブロンドの髪をシーツに広げ、澄んだソプラノで囁く。 『嫌だ』 『どうして?恥ずかしいの?』 『讃美歌は嫌いなんだ。昔死ぬほど歌わされた』 『躓いたらお仕置きされた?』 『……』 『わかりやすい』 くすくす含み笑い、頑なに強張った頬に手を伸ばす。 『神様なんか信じてないのに嘘っぱちの讃美歌は歌えない。僕の祈りはでたらめだ』 『いいじゃないそれで。歌は素晴らしいものよ、人の気持ちを明るく照らす』 あなたの讃美歌はからっぽだけど、無意味じゃない。 『歌って』 『誰が神様なんかに』 『私の為に』 苛立たしげな言葉を途中で遮り、真っ直ぐ瞳を見詰め、少女が懇願する。 『あなたのエンゼルの為に』 これはエンゼルに捧げる歌、天使を讃える歌。 オルガンが止む。合唱が終わる。 甘美な追憶がもたらす余韻を瞠目で噛み締め、束の間の回想を一抹の感傷で締めくくり、神父は満足げに言った。 「最高の仕上がりです」
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