走り行く列車に、夢を見た

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「……ふぅ、それじゃあ、昼食にしようか、後輩くん」 「ですね」  すると、彼女は左手に置いてあったバケットを開け、その中からサンドイッチを取り出した。「後輩くんの分はこれとこれだよ。あぁ、勿論卵サンドには、マヨネーズを抜いてあるから安心して良い」なんて言いながら、バケットを差し出してくる。  毎度、お昼は彼女が作って来てくれるのだ。それこそ最初の頃は遠慮をしていたが、今では当たり前のように「頂きます」と言い、美味しく頂いているのだ。というか、普通に美味しい。 「それで、読み終わったのかい?」 「えぇ、なんとか」 「君は読むのが遅いからなぁ。本当は二冊目に入っていておかしくないんだぞ?」 「は、はい。善処します」  こんなやりとりを繰り返しながら、昼食を取る。  僕としては、これが至高の時間なのだ。嫌なことの全てを綺麗さっぱり忘れてしまえる、そんな時間がとても好きだった。  出生地、住所、学歴、職業、生活状態、年齢、容姿、そして、名前までもに縛られないこの関係。ただし、他人や友人という程距離が遠いわけでも、恋人や夫婦のように近いわけでもないこの関係。そんな彼女との間柄はこの時間を過ごすにはとても都合が良い。  ただ、それだけの理由。けれど、僕にとってはそれだけで十分でもあった。 「さぁ、食べ終わったことだし、私は続きを読もうかな」 「僕もそうします」 「そうか。因みに、他に本は?」 「ないですよ」 「……だろうと思ったよ。ほら、これでもどうかな。久々に読んでみるのも良いものだと思うよ」  そう言ってバックから取り出し、渡して来たのは宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』だった。 「では、読ませて頂きます」 「うん」  本を開き、文字を目で追い、物語を読み進め、ページを手繰って行く。  一応、三度も読んだことがある作品ではあったが、読み進めてみると以前とは違った感覚に襲われた。何と言うか、一度目の純粋な衝撃とも違い、二度目の物語の深さとも違い、三度目の表現の繊細さとも違う感覚。物語の中に吸い込まれて行くような、とても不思議な感覚だ。  夢中になっている最中、ふと視界に入ったのは、帽子越しにこちらを覗いている彼女。その口元はとてもニヤついていた。  してやられたらしい。ちょっと悔しくもあるが、それでも尊敬の念を抱く。同時に、何となく安心感も覚えるのだ。  大きく息を吐き、頬を緩ませると、また本の世界へと入り込んでいった。  これは、土曜日だけの何気ない特別な一日。  何一つとして気にしなくて良い。  僕は、こんな時間が好きだ。彼女との本を読むだけのこの時間が。  友達以上、恋人未満な不思議な関係。  そんな何にもない関係の中に生まれた“何か”が、きっと僕らを繋いでいるのだろう。  そして、幸福な時間を僕らに与える。  ただ一つ、言えることがあるとするならば––––。
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