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十一月二十四日の早朝、姫路駅でコートの襟を首元に寄せながら列車を待つ女がいた。
「秋終わるの早すぎ」
などと独り言が聞こえたが、ホームには生憎他に並んでいる客がいない。ぶつぶつと独り言をつぶやく女をよそに、がらんとしたホームにアナウンスがかかる。
『お待たせいたしました。八番乗り場に五時二十六分発、寝台特急サンライズ出雲・高松出雲行が十四両の編成で到着いたします。危ないので白線の後ろまでお下がりください……』
パンプスの先が白線を越えていることに気づいた女は、ホームに置いた紙袋を手に持つついでに半歩後ろに下がる。線路がカタカタと振動し始めて、じきに向こうから電車の顔が見えた。
段々とスピードを落としながらホームに入ってきた列車が停まるのをじっと待ち、ドアが開いて誰も下りないことを確認してから女は乗り込んだ。
きっぷに書かれた個室に移動して、大きなボストンバッグを床に置き、貴重品の入った小さなショルダーバッグと紙袋を持ってラウンジへ行く。
ラウンジまで来たところでコートを脱いでくるのを忘れたことに気づいたが、間もなく発車だし朝ごはんを食べることを優先したかったので、一先ず眺めのよさそうな場所に座ると予想通り発車を告げるベルが鳴った。
が、すぐに発車する様子はなく、停車信号待ちなのかと両手を膝に置いたまま窓からホームをちらりと見れば、駅のホームを爆走する男が見えた。
ああ、乗り遅れそうになったのかと思い、男がすごい勢いで車両に飛び乗るのを見届けようとしたが男は自分がいる出雲行側の車両に乗り込んできた。
発車ベルがもう一度鳴り、今度こそサンライズ出雲は出発した。
まもなくして自動扉が開いて男の荒い息が聞こえる。ああ、やっぱりかと女はため息をつく。どかどかと慌ただしい音を立てながら歩いてくる男に眉をひそめたが、男が自分の隣のテーブルの座席に座るのを横目で確認してさらに眉をぐっと寄せた。
と、すっとんきょうな声が横から飛んできた。
「なんだよ、姉さんじゃないか」
聞きなれた声が聞こえてきたことに驚いて女はとっさに横を向くと、無精ひげがひどい見慣れた顔が目をひん剥いてこちらを見ていた。
「スサノヲじゃない」
「やあ~まさか当日にサンライズ出雲で現地に向かう数寄者が俺以外にいるとはねえ、さすが我が姉アマテラス」
「やだもう、こんなところで血筋感じるなんて」
女―アマテラスは深い溜息をついて、座席に全身を預けた。
「伊勢からくるの大変だろうなとは思っていたけど、まさか毎年こんな面倒な方法で行ってるのかい」
「違うわよ、西宮の別表の引継ぎが最後だったからどうせだし寝台特急に乗って睡眠とりながら行こうと思ったの。バスだとほら、体に悪いから。貴方こそどうして広島から行ってないのよ」
「それこそ俺も姫路に別表があってね、そっちの方の引継ぎが終わってなかったのさ」
「あーそういえばそうだったわね、お互い別表神社が多いから毎年大変ってことか」
アマテラスはそう言いながら紙袋から大量のお弁当や餅や赤飯の入ったパックを取り出して、テーブルに広げ始める。スサノヲはそれを見ながら「姉さんのとこは相変わらず豪勢だね」と言って、自分も紙袋から同じようなものを取り出す。
「ン千年も同じようなもの食べると飽きるかなって思ったけど、最近はおしゃれなお弁当も増えたし国際色豊かになって有難いわ」
「そうだな、結構長いこと米と酒と餅と赤飯しかない時期があったから、ここ数十年はもういらないって思ってたけど、最近の神送りの供え物は品質がいいから昔と違って案外飽きない」
つやつやの赤飯を割りばしで持ち上げて、一気にパック半分ほど口に入れるスサノヲを見て、アマテラスは「お行儀悪い」というような視線を送る。
アマテラスはアマテラスで、二つ目の幕の内に手を付けており傍目に見れば随分早食いのように見えた。
「恵比寿さんも毎年この時期になると死んだような目で引継ぎにくるけど、今年は特に疲れた様子だったね」
「……そりゃそうでしょ、今年は特に良くないこと続きだったから、福の神の自分がなんとかしなきゃってリモート会議でえらい落ち込んでたって弁財天から聞いてたけど、私のところにきた恵比寿さんもものすごく痩せてて福の神どこ行った状態でね、とりあえず余りに余った赤飯全部渡してきたんだから」
「人間もえらく大変だけど、こっちもこっちで参拝客はごっそり減るし商売あがったりってね」
スサノヲはそう言いながら自分の拳ほど大きな餅を二つ一度に頬張った。
アマテラスはその反対側で四つ目の弁当、牛めし弁当を食べ終わるところだった。
と、ここまで二人が食べてきた弁当や餅や赤飯は、旧暦十月一日に人間たちが用意した『神送り』の弁当である。
そもそもの話、毎年旧暦の十月になると全国の神々は十月十日までに出雲に向かって≪神無月≫を過ごすため出雲へ向かい翌年の作物や酒の出来や、人間の縁結びについて協議する≪神議≫を十月十日から十七日まで執り行う。十月十八日になれば会議は終わり、人間に見送られながら出雲から去る。
なので、十月は神無月と言いつつも実際に神々がいない時期は旧暦に従う。近年これは神々の間でも議論の的になっており、「今の西暦で考えるべきだ」という西暦派と「いや昔のやり方を守らずしてどうする」という旧暦派で定期的に大きな討論が勃発する。
アマテラスは立場上、そういう催しに口を出すと色々とまずいため基本的には黙っているが、どっちかと言えば「神議の時間を短く建設的に改善したい」というのが本音だった。
アマテラスにしてみれば、開催時期などはどうでもよく、自分たちを慕う人間のことを思うと、大切なのは議題をきちんとこなし年々移り変わる人間の生き方に寄り添った議題を用意すべきだと思っている。
しかしどうにも主催のオオクニヌシをはじめ、多くの神はどうにもそういうところにしか目がいかないらしく、彼女の頭痛のタネになっていた。あと面倒なのはオオクニヌシが弟・スサノヲの子孫でもあり娘婿というところだ。
人間たちの書物では、オオクニヌシの嫁とり話として記されており、一応スサノヲとしては自分の無理難題や嫌がらせを躱し、何よりも愛娘が好いた相手だからと結婚を許したが、やっぱり本心としては気に食わないの一言らしく、とりあえずオオクニヌシを困らせたくて毎年西暦派と旧暦派を行ったり来たりしている。
まあ一部の神はそんなスサノヲの様子を見て、婿いびりと気づいているようだが何も言わず遠い目をしているので、アマテラスとしては恥ずかしくて申し訳ない限りである。
……などとそんな事情があるのだが、人間たちが毎年出雲で神々が自分たちのことそっちのけで揉めているなど知る由もない。それこそ神のみぞ知る……という話だ。
話は戻って。
「それにしても今年の会議って本当にいつも通りの日程で終わるのか? 寝る時間削らないと無理なんじゃないか。お酒や作物のことは絶対話し合わないとだけど、誰と誰をくっつけるだの縁結び関係の話は後回しにすべきだと俺は思うんだが」
自分こそ毎年不毛な議題に首を突っ込んでは引っ掻き回しているくせに、スサノヲは口の周りをあんこまみれにしながら言う。
「そうは言ってもこの二千年近く段取りが変わったことなんてないじゃない。今年だって疫病が流行ってるけど、その対策はそっち系統の神々が連日あっちこっち駆けまわってるのよ? そんな中会議にも参加しないといけないんだから、恵比寿さん同様大変ったらありゃしないわ」
「なんだっけ、アマビエ? 妖怪のことは良く知らないけど、あっちの方が有名になったって対策会議開いてるって薬師如来がぼやいてたよ」
「相変わらずこの国ってば柔軟性ありすぎて信仰対象が我々に留まらないから頭が痛いわ」
はあ、とアマテラスとスサノヲは同時にため息をついて、それから黙って食べ終わった弁当などの容器を片付け始める。持ってきた神送りの弁当はいつのまにかすっかりなくなっていた。
列車のアナウンスがまもなく岡山駅に到着することを告げる。お腹がいっぱいになって眠くなってきたらしいスサノヲが大きなあくびをする。アマテラスも今朝は早かったことを思い出してもらいあくびをしてしまう。
「じゃあ、私は自室で寝るから。また現地でね、ちゃんと髭剃りなさいよ」
「わかってるよ、おやすみ。またあとで」
アマテラスがラウンジから去ると、スサノヲはため息を小さくついて、「俺もちょっと寝ておくかな」と言って立ち上がる。
「あ~髭剃り持ってきてたかな……まあ駅に着いたら買ってトイレで剃ればいいか」
その声は到着を告げるアナウンスでかき消され、同時にスサノヲはふと目を向けた窓の向こうで手を振っている知り合いに気づき眉間に皺を寄せた。
「お義父さん! お疲れ様でえす!」
噂をすればなんとやら、出雲で待っているはずの主催にして娘婿・オオクニヌシがたくさんの紙袋を持った両手を振りながら満面の笑みで窓越しに話しかけていた。
ああ、そういえばこいつもあちこちに別表神社があったっけ……と思い出しながら、スサノヲは許す体裁を取って以来、昔よりは規模の小さい嫌がらせをしても「さすがお義父さんです!」と言って悪意を疑わないほどやたら懐かれてしまった娘婿から逃れられないことを悟って、もう一度、今度は大きなため息をついてがっくりとうなだれた。
嗚呼、願うことなら次の駅で開放されますようにと念じながら。
(了)
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